柳瀬 |
これだけパソコンだのインターネットだの
携帯だのが普及し、企業から社会から個人までが
「必須のシステム」として
それらを採用しているのを見ると、
好むと好まざるとに関わらず、本当に
「理系化社会」になっちゃったんだなあ、と思います。
そもそも、社会の理系化は
いつからどのように進んできたのですか?
とりわけここ数年の急激な進歩は
どんな具合で起きたんでしょう?
社会の理系化の経緯を教えてください。
また、こうした社会の理系化の過程を、
谷島さんはどう思いますか。 |
谷島 |
理系化社会ですか。ものすごい言葉だなあ。
これもハイテク製品がはびこっている社会、
という意味でいいんですよね。
こうなった経緯としては、おっしゃったように
パソコン・インターネット・携帯の出現は
大きいでしょう。
企業や研究所の奥の院に鎮座していた
コンピューターを一気に世の中の人々に普及させ、
しかもお互いで通信できるようにしたわけですから。
月並みな言い方ですが、
コンピューターの小型軽量技術が
ものすごい勢いで進化したということです。
とはいえ社会そのものは
まだそれほど変わっていないと
ぼくは思っているんです。
もっと正確にいうと、
人間はそんなに変わっていないということです。
ハイテク製品がいくら出回っても、
ひとはそう簡単に変わりません。
携帯の出現で、
「新人類がさらに進化した」
みたいなことをいう方がおられますが、
まったく信じられません。
電車の中で一生懸命、携帯を使って
電子メールを書いている女子学生なんか見ると、
多少退化しているのかという気はしますが。
「動かないコンピュータ」の本の
前書きに書いたことを繰り返しますと、
人間はあんまり進化していないのに対し、
コンピューターだけはものすごく進化している。
このギャップが表面に出てくると、
動かないコンピュータにつながるわけです。
このギャップは永遠に残ると思います。
だから、パソコンも携帯も使えない
文系おじさんがいたとしても、
それ自体は別にあせることはありません。
むしろ、人間とコンピューターの間に
ギャップがあることは大前提として、
それにどう対処していくかを
よく考えるほうがいいのではないでしょうか。
対処にはいろいろやり方があって、
パソコンや携帯を拒否する手もあるでしょう。
ただし、しつこいですが、
経営者のひとはシステムに関する
意志決定だけは拒否しちゃ困ります。 |
柳瀬 |
「社会の理系化」が進む過程で、
具体的にさまざまな問題が起きてます。
それがまさに御著書でお書きになったような
事例だと思うのですが‥‥。
こうした急激な理系化の過程で、
企業や個人に求められる資質や知識などに
どんな変化が起きてるのか?
またそうした変化に追いつけないひとだの
集団だのが出てきたときには
どんな問題が起きるのか?
‥‥さらにはそういった問題は、
社会、個人、企業それぞれで、
今後どうやって克服すればいいのかを
教えてくださいますか? |
谷島 |
実のところ、
理系化は大昔から進行していました。
さまざまな家電製品や
それらに電気を供給する仕組みは、
まさに理系の世界です。
新幹線や飛行機はハイテクの固まりですし、
話題になった銀行の情報システムも
その原型は20年以上からあるわけです。
ただし、こうした理系の世界は、
世の中のインフラストラクチャになっていて、
一般の人はその仕組みを
あんまり意識しないで使っていました。
これに対し、携帯とかパソコンは
普通の人がハイテク機械を
自分で持つようになった点が大きく違います。
何がいいたいかというと、
理系化は昔からあるわけで、それに備えて
企業や個人に求められる知識や資質もまた、
大昔から変わらないということです。
さっきは経営者の悪口を言ってしまったので、
ついでに普通の人への悪口というか
お願いを言うと、
「理系の世界の人たちがたいへんな苦労をして
インフラを作っている、支えている」
ということを理解してほしいですね。
経営者の話と一緒で、
理系の世界といっても、数学とか物理を
理解しろというわけではないのです。
どういう人たちがどんな仕事をして、
何が難しいのかを知っておいてほしい、
ということです。
新年の話題として
あまり適切ではないかもしれませんが、
原子力発電を巡る電力会社の不祥事とやらも、
なぜ現場の理系のひとたちが
ああいうことをしなければならなかったのかを
考えてみる必要があります。
背景や現場の担当者の苦労をよく知らないのに、
ただ声高に批判するのは止めませんか。
「社長は辞めろ」
「企業の隠蔽体質がいかん」
というだけなら、小学生にだってやれます。
一番この点でダメなのがマスメディアですが。
繰り返しますが理系時代を乗り切るには、
まず理系の仕事を理解することです。
そうすれば、おそれることもないし、
理系の人に無茶な要求をすることもなくなる。
もう一つ理系時代に必要なのは、
理詰めで考える力です。
また原子力発電を例にとると、
ぼくは原子力の専門記者ではないので、
原発がいいかわるいかは言えません。
ただ、「原発はけしからん」というなら、
日本の電力をどうまかなうのか、
すべて火力と水力発電に戻すことが
できるのかどうか、といったように、
本質までさかのぼって
考えるべきではないでしょうか。
どうも日本の人は、
ぎりぎり詰めて本質を考え抜くことを、
野暮ったいと見る傾向があります。
理系態度とは、野暮でもいいから
理詰めでとことん考えることでしょう。
理系の変化に追いつけない人が出たら
どうすべきか、というのは、
パソコンを使えないと
情報入手の点で格差が出て困る、
といった議論からきた質問でしょうか。
この点については、すでにお答えしたと思います。
パソコンやメールや携帯が使えなくても、
どうってことありません。
小学校でパソコンを教えるなんて
馬鹿なことを本気でやろうとしているのは
日本だけです。 |
柳瀬 |
じつはかくいう私が「文系」です。
とりあえず、社会の理系化に追いつくために、
何をすればいいんでしょう?
それから、どんな本を読んだら
ある程度勉強になるんでしょう?
対策とオススメ参考図書を教えてくださいますか。 |
谷島 |
いやいやご謙遜でしょう。
なにかに追いつこうとか、
あせる必要はまったくないです。
必要なら、理系の産物を使えばいいし、
いやなら止めればいいわけですから。
そういえばぼくは携帯を持っていません。
「それで記者がやれますか」
とよく驚かれますけれど、
なんとかなっています。
ただ、ぼくに連絡がすぐとれないから、
迷惑を被っている人もおられまして、
あんまり胸を張って言えませんが。
「これをやらなきゃ理系時代に乗り遅れる」
といった趣旨の記事を読んだら、
まず疑ってかかるというのが、
正しい理科系態度です。
ただし、耳を閉ざしていては、まずい。
常に理科系の話を読み、耳を傾け、考え、
その上でおかしいものはおかしいと言えばいい。
オススメ参考図書ですか。
日経の本を紹介すると身内誉めになってなんですが、
IBMの会長だったルイス・ガースナー氏の
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『巨象も踊る』は、おもしろいです。
ガースナー氏は確かもともとは理系の人ですが、
コンサルティング会社を経て、
クレジットカード会社や
食品会社の経営をしてから、
IBMのトップになったので、
文系経営者といってよいでしょう。
IBMの会長に就任したとき、
「クッキー屋にハイテク会社を経営できるのか」
とマスメディアは懐疑的でした。
「巨象も踊る」には、
文系経営者が理系企業に入って
何をやったかが書いてあります。
多くは、IBMをどう立て直したか
という成功談ですが、本筋以外の
理系経営者批判が特におもしろいです。
笑っちゃうのは、
マイクロソフトとかオラクルとか、
ハイテクの象徴のような理系会社の経営者たちを、
「ハーメルンの笛吹」と酷評していることです。
これだけすさまじい批判は
ちょっとほかにないでしょう。
ついでにいっておくと、
この本はこれまで出た経営書の中で、
もっとも手厳しいマスコミ批判が展開されています。
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柳瀬 |
年明け一発企画なので、
谷島さんにお聞きします。
昨年は社会の理系化に追いつけない問題として
「銀行統合の際のシステム障害」
という大事件が起きました。
今年、注目すべきこうした問題になりそうな話、
あるいはドラスティックに社会の理系化を
おし進めるような話題、
ぜひトレンドとトピックを挙げてください。 |
谷島 |
これは難問ですね。
ぼくは記者でして、予言者じゃないから。
なんか大事件を予想して
社会不安をあおるようなことはしてはいけないし。
あえて妙なキーワードを使うと、
「理系の暴動」があるかもしれませんね。
「理系の崩壊」といったほうがいいかな。
ずっとお話してきたように、理系の人たちは、
難しいシステムを黙々と支えてきた。
システムには、コンピューターだけではなくて、
鉄道とか、電力とか全部含みます。
しかし、必死にやっているのに、
ちょっとトラブルがあると悪者扱いされるし、
仕事への理解がなかなか得られない。
また興奮してきたので、言いますと、
日本が技術立国というのは嘘っぱちですね。
技術者がこれほど評価されていない国は
先進国で珍しいです。
幸いというかなんというか、理系の人の間には、
「文系の経営者や利用者には
俺たちの仕事なんか理解できない。
だからこそ現場の我々ががんばるんだ」
という美しい根性がありました。
しかし、もはや限界にきています。
理系の暴動といっても、
彼らが自分からトラブルを起こすわけではなくて、
現場の孤軍奮闘の限界が来るのではないか、
という意味です。
あるいは彼らが諦めて、
現場から離脱してしまうかもしれない。
2002年に起きた銀行や原発の問題が
単なる偶発的なことで終わり、
ぼくの予想が杞憂であることを祈ります。 |