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豪華だぞう!
『アナライズ・ミー』をめぐっての特別対談。
なんとゲストは安部譲二さんだぜ。


日経新聞を購読している人は、一部分お読みになった
かもしれないのですが。
広告タイアップで、安部譲二さんと対談をしたんですよ。
ところが、それ、やっぱり、紙面に限りがあるでしょ。
ほんとにおもしろい無駄話の部分は、
消えてなくなっちゃうわけですよ。

そこで、「ほぼ日」がまたまた地味に水子救出。
横道寄り道だらけの対談を、全文掲載。
安部さんも、「ほぼ日」のことをご存じなかったのですが、
こころよくOKしてくださって、実現です!
ベリーありがとうございました。
(小さい声で)
『安部譲二さん、
こんどはいつか連載小説やってくれないかなぁ・・・』

また、長い対談なので、5回に分けてお届けします。



3

糸井 安部さん、ジョージ・フォアマンに会いに行ってますよね。
安部 行った。行った。
糸井 あれも、「人生が二度あれば」の話じゃないですか。
博奕ですよね、フォアマンだって。
力はもちろん蓄えてるんだけど、
線の上に乗っかってるみたいなもんでしょ。
安部 トレーナーがね、チャーリー・シャイプスってのが
いるんだけど、それも元懲役ですよ。
で、僕はそのチャーリーとはよく知った仲でね。
カムバックする前のフォアマンを訪ねたら、
練習道具っていったらサンドバックが
軒につるしてあるだけなんです。
それをシャイプスが押さえてフォアマンが打つんだけど、
俺、最初はね、スローで練習してるんだ思った。
ところがそれがトップスピードだとわかるわけ。
チャーリーに「フォアマンがあんまり惨めにならないうちに
タオルを放るのがお前の役だぞ」って言ったんだ。
俺はそれを言うためにわざわざここまで来てるんだと。
自分のお金で切符代払ってニューヨークから
シュリーヴポートなんて田舎まで行くんだから、
チャーリー頼むよって。
彼は「わかった」ってこたえたよ。
カムバックに成功するなんて誰も思わなかった。
糸井 もう博奕なんてもんじゃないんですね。
でも、あれだって安部さんの作家になるっていうときに
リセットしたのと同じようなもので、
年とってから起業家になったようなもんじゃないですか。
安部 まぁねぇ。
糸井 若いやつがみんなその、アントレプレナー(起業家)
とかいうじゃないですか。
あれをジジィが始めるっていう系譜があるんですよ、
やっぱり。安部譲二、フォアマン……。
安部 とっても可笑しいのがね、僕がこの年になって
日本のプロ野球見てるとね、盛りを過ぎた選手が
必死に野球をしてるのがとっても感動的なんだ。
斎藤なんかが力のなくなったボールを一所懸命
アウトコースの低めに放ってね、
その姿ってのが感動的なんです。
僕がそうだから、人もそうだと思うんですね。
ジョージ・フォアマンが成功をしたのは
全米の中年過ぎのおっさんたちのね……。
糸井 中年の魂を背負ったんですよね。
安部 演出家が居たんだとしたら、いいとこ突いた、と思う。
糸井 そのエネルギーって、もともと皆、
たまってたってことですよね。
安部 この映画を作った脚本家は、
原作があるのかないのか知らないけど、
すごい商売人だと思う。
中年を過ぎたドンのロバート・デ・ニーロは、
18ヶ月の刑が終わったらきっと堅気になるじゃない。
そのとき、この男にどういうふうな展開が
あるんだろうってすごく思うでしょ。
糸井 終わってからが始まるんですよね。
安部 そう!
むかしさ、『カサブランカ』でさ、
最後にハンフリー・ボガードとフランスのお巡りが
「これから二人の永い友情が始まるんだ」
って道を降りて行く。
あの最後のシーンは素敵だったじゃない?
あれと同じなんだよ。
糸井 この映画は、ギャングの親分も病んでるんだっていう
「癒し」の映画だっていうよりは、
「リスタート」の映画だと思うんですよ。
安部 精神分析医も病んでいるんだっていう。
糸井 そうそう。
安部 御立派なお父ちゃまがいて、ね。
糸井 そうなんですよ。
だから、復讐物語じゃないけれど、
「リマッチ」っていうんでしたっけ?
安部 うん、リマッチ。
糸井 その「リマッチ」の後編はお前もやれよって
言われてるような、勇気の出る映画だと思うんですよ。
「みんな病んでるんだよ」っていうところでは、
客はリピートしない。
リピートしたっていうのはね、
「俺も」って思うんですよ。
安部 そうかもしれない。
みんなそれぞれトラウマに苦しみながら生きてる。
そして、18ヶ月後には、あの2人には
どんな展開が待ってるんだろう。
それはとってもハッピーな展望じゃない?
糸井 うん。
社会的には負け戦かも知れないけど、
本人にはずーっとパンチを出し続けている試合が
出来るっていう気がするんですよね。
ほら、日本人てのほほ〜んとしてるじゃないですか(笑)。
給料減るだの、増えるだのって。
それこそ会社が無くなる! っていう状況の中で、
減る増えるだのパーセンテージっていってるような
のほほんとした社会のなかで、
これを観たらやっぱりまた面白くなると思うんですよ。
安部 この競争社会ではない甘ったれ日本に住んでる僕たちはさ、
僕の読者も可哀想かもしれないけども。
あのメジャー・リーグの野球を観て、
ハリウッド映画を観られるアメリカ人は幸せだね。
日本人は間違いなく不幸だね。
糸井 あれで育っちゃうんですもんねー。
安部 ねぇ。
だってさぁ、黒澤明がみんなすごいって言うけど……。
糸井 アメリカ映画ですもん、あれ!
安部 確かにすごい監督だけど。
あの脚本は、『椿三十郎』なんかにすると
「うわっ、こんなヒドい脚本!!」
っていうような脚本だよ。
何故かっていうと、日本の映画界の一番いけない伝統はさ、
監督が監督業だけで満足せずに余録として
脚本にも咬むっていうことだよ。
脚本家の才能と監督の才能とは全然別なものだもん。
糸井 個でありながらリンクしていくってことですか。
安部 『椿三十郎』で、若侍を隣の屋敷で待たしといて
椿三十郎は相手の屋敷に乗り込むシーンがあるんです。
川が屋敷と屋敷の間を流れているわけよ。
それに椿の花を流したら切り込めと。
あなた、どうしてヤクザが彫り物をするときに
椿じゃなく岩牡丹の彫り物をするか知ってる?
椿っていうのはポロリって落ちるからよ。
不吉だっていうことで。
それをあなた、その川辺に椿の木があって
ポロンと落ちたら切り込んじゃうんだよ?
糸井 宗教ないですよね、そこには。
安部 俺、なんていう馬鹿な脚本を書く男だと思うの。
糸井 一映画ファンになってますね、完全に(笑)。
いや、昨日ほかの映画関係の人と会って
話していたんですけど、『羅生門』って
あるじゃないですか。
今観ると、三船敏郎ってGIですよ。
笑いかたから喋り方から。
黒澤さんてこういう人だったのかぁと思いますよね。
安部 そうなの。実にそう。
若い頃の三船敏郎とね、三国連太郎はね、
間違いなくGIだよ。
糸井 あれやっぱり時代背景で見えなかったんでしょうけど、
今観るとまぁ見事に
「ジョン・フォードやりたかったんだな」
と思いますよね。
安部 この前ね、アメリカからプロデューサーが来たんです。
それはね、ポール・ムニがね、1946年に撮った
『エンジェル・オン・マイ・ショルダー』
っていうモノクロ映画を
リメイクしたいということだったんです。それで、
「脚本お前やれ」って。そいで
「どうして俺が?」つったら
「日本のマーケットを意識しているから
 日本人に脚本を書かせたいんだ」って。
「俺脚本はあんまり書いたことないよ」つったら
「それでもやれ」と。
そしたら、あなた、なんとね、ざっくばらんな話、
ギャラがジョゼ・ジョバンニの二十分の一だからだって。
あんまりハッキリ言うなよー、って。
糸井 町工場に頼むみたいなもんですね。
安部 そうそう。
「さらにお前は、これだけのギャラの3分の1を
 受け取ることになる」っていうんだよ。
「なんで3分の1なんだ?」つったら、
「お前はメインの脚本を書く」と。
男のセリフは、男のセリフ専門の脚本家、
女のセリフは女の脚本家が女のセリフだけ作る、と。
でも、それだって俺の部分の方が多いがやって。ね。
半分を俺が取って、セリフを書く人たちが4分の1ずつ
取るのが当たり前だろうっていって、話が流れちゃった。
糸井 流れちゃったんですか?
安部 流れちゃったんです。
けどあなた、それはねぇ。
でも、おっさんがね女優さんのセリフまで書くのは
確かに間違いだと思ったよ、僕も。
糸井 その考え好きなんですよね、安部さん。
意外に。つまり……。
安部 あのね、潜在してホモの部分があるから
女のセリフも書きたいんですよ。
糸井 太宰治の『女生徒』みたいな。
安部 そうそう。そういうのが潜在してるんですよ。
糸井 書きたいんだ。
安部 うん。
糸井 でも、俺じゃない方がいいかもしれないとも思ってるんだ。
安部 でも、例えば僕が書いた小説を女房に見せると、
「こんなこと女は言わないわよ」っていうことを
僕は書くんです。だからハリウッドのね、
男が男のセリフを書いて女が女のセリフを書く、
そしてメインの脚本家がいるっていう、
3人で書くことが常識になっているっていうこと、
これはすごいよ。
日本では鈴木清順でも黒澤明でも山田洋次でも
テメーで書くんだもん。
糸井 そうですよね。
安部 そいで、現場で女優さんがセリフかえて喋ると
やたら怒ったりさぁ。

(つづく)

1999-11-12-FRI

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