荒俣 |
‥‥気を取り直しましょう。
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── |
お願いいたします。
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荒俣 |
次はこちらをご覧ください。
ときは1830年代、ジョン・マーティンという
イギリスのアーティストによる
「聖書」の挿絵本なんですが‥‥驚くことなかれ。
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── |
おおおー、美しい‥‥。すみません、驚きました!
ものすごく細密というか、何とも繊細な絵ですね。
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荒俣 |
この影の黒さ、光の白さ‥‥たまらないね。
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── |
ええ、異様なほどの迫力です。
よく見ると絵の下に「THE CREATION」と
ありますから、つまり「天地創造」の図ですね。
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荒俣 |
この挿絵は「メゾチント版」という手法で
印刷されております。
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── |
メゾチント版。
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荒俣 |
ご存知のように、一般的な「版画」というのは
白い紙面に、黒いインクを転写するわけです。
が、この「メゾチント」の場合は、
真っ黒い画面に、白い線をつけていくのが特徴。
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── |
黒い部分が、本当に闇のように真っ黒なので
ものすごくドラマティックで重厚です。
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荒俣 |
つまり、まさしくこの「聖書」のように
「真っ暗い闇の中に差す、一筋の白い光」
というような表現に、これ以上ない手法。
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── |
なるほど‥‥。
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荒俣 |
ロマンティックな時代に輝く、至高の作品。
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── |
ははぁ。
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荒俣 |
あきらかに、19世紀初頭における
決定的名作のひとつ。
今、こんなものをつくろうと思ったら
何十万円もかかるでしょう。
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── |
そんなにですか! |
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荒俣 |
ちなみに、こうした版画を手がける職人は
セーフティネットなき長時間労働者
でありました。
ですから、対価としてのお金も渡しませんし、
過酷な労働により
病気になって死んでも「それまでよ」の世界。
つまり、そういった幾多の職人たちの
犠牲のうえに、
このような世界が成立しているのです。
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── |
そういう背景のエピソードを聞くと
よけい、すごみを感じてきます。
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荒俣 |
さらに言うなら、こうした愛書家向けの本は
「装丁」も「表紙」もない、
丸裸のフリーでありました。
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── |
丸裸のフリー‥‥とおっしゃいますと?
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荒俣 |
ようするに、愛書家向けの本というのは、
ヘタなデザイナーに
装丁させたら、怒られるわけです。
「センスのない本つくりやがって!
買わねぇ!」と。
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── |
そ、そうなんですか。
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荒俣 |
そこで、これらの本は「仮綴じ」というスタイルで
出版されていたのであります。
つまり、1枚1枚、ページはバラバラで
表紙などは、愛書家たちが、
自分たちの好きなようにつくらせていたんです。
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── |
へえーっ!
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荒俣 |
「仮綴じ」の一例をお見せいたしましょう。
これは、1920年代のパリで出版された
ファッション・ブック。
ページが、ホラ、ぜんぶバラバラなんです。 |
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── |
紙芝居みたいになってますね。
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荒俣 |
だから出版するほうも、
まるまる1冊分、まとめて出す必要がない。
たとえば、まず最初の5ページを印刷して、
「第一部」として出版する。
で、買うほうも、最後まで付き合えば
1冊の本として完成しますし、
「これ、おもしろくないからもういいや」
という場合には、途中でやめられる。
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── |
ははぁ。
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荒俣 |
この作品は、20世紀の代表的イラストレーター、
ジョルジュ・バルビエによる
『現代のモード』という有名な本なのですが‥‥。 |
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── |
これが、20世紀初頭のパリのファッション?
ずいぶん前衛的と申しましょうか‥‥全裸ですが。 |
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荒俣 |
まぁ、当時の「ファッション・アート」ですね。
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── |
ははぁ‥‥なんか、追いかけっこしてます。 |
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荒俣 |
当時は、現代に連なる
フランス・ファッション産業の礎をなす
黎明期でありました。
そしてちょうどそのころ、パリのバレエ界に
ロシア・バレエ団の
ヴァツラフ・ニジンスキーが登場します。 |
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── |
ああ、あのちょっとエッチな振り付けをして
パリを騒がせたという‥‥盆栽とタンチョウヅル? |
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荒俣 |
バルビエ自身も彼に魅了され、
その名も『ニジンスキー』という作品集を残しますが、
おっしゃるとおり、
ニジンスキーが舞台でオナニーのシーンをやったりして
大変な騒乱が起きてしまいます。
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── |
この人、仏像でポーズとってます!
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荒俣 |
つまり、時代が「風俗」の方向へシフトするんです。
サロンで哲学談義とか
そんなものはどうでもよくなってしまい、
パリジェンヌ・パリジャンは
こぞって風俗やダンス等に興じるようになりました。
そんな時代の有名なファッション・ブックなんです。
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── |
そして、当時の愛書家のみなさんは、
こういった本の表紙を
自分なりにカスタマイズしていた‥‥と。
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荒俣 |
表紙だけじゃなく、
「ここに、こう色を付けろ」だとか、
「金箔を塗れ」だとか、
わがまま放題の指図をしていたのです。
つまり、
莫大なお金をかけて、自分だけの本をつくっては
センスを競っておったのです。
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── |
なるほど‥‥。
ちなみに、愛書家向けの本というのは
テーマはさまざまなんでしょうか。
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荒俣 |
さまざまです。
今までご紹介してきた挿絵本や
童話などが、いちばんポピュラーではありますが、
これなど
最も呪わしい、最もエロ度の高い本として
有名になった作品。
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── |
はぁ!
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荒俣 |
アーサー・マッケンという小説家の書いた
『ザ・グレイト・ゴッド・パン』。
邦訳では『パンの大神』という作品ですが、
すごいのです、これが。
なにしろ「神と交わる」というお話ですから。
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── |
それは、聞くだにすごそうな‥‥。
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荒俣 |
好色の神「パン」に犯された人間の女性が、
神との間に
「半神半人」の女の子を生んでしまう。
そして、その女の子が
次々と人間の男どもを篭絡してしまうという、
当時の社会状況において
最も好ましくないタイプの物語なのですが、
そんな本の挿絵を
19世紀末を代表するイラストレーター、
ときに悪魔的と評される
オーブリー・ビアズリーが描いているのです。 |
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── |
ははー‥‥。
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荒俣 |
牧羊神パンは、とにかく
男性の野生・好色のエネルギーを象徴する神で、
いつもは森のなかに隠れております。
そこへ、キレイな女の子が
ランラランラランと
ピクニックにやってきたりなんかすると、
いきなり木陰から
ちんちんを立てて飛び出してくる。
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── |
は、はい。
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荒俣 |
当然、女の子はびっくりして
「キャーッ!」とか言って逃げまどうのですが、
そのようすから
「パニック」という言葉が生まれたのです。
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── |
ははぁ、「パニック」は「パン」が由来ですか。
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荒俣 |
ともかくも、こういった愛書家向けの本が
年に一度の
ここ雄松堂さんのブックフェアには、
たくさん出てくるのです。
先ほどのジョン・マーティンの「聖書」なども
「これいいな、欲しいな」と思ってですね‥‥。
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── |
お求めになったと。
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荒俣 |
その当時、10万円前後だったかと思います。
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── |
当時というのは‥‥。
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荒俣 |
昭和40年代のことでありました。
わたくし、
昭和45年にサラリーマンになったのですが、
初任給が「3万円」という時代。
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── |
その時代に10万円の本を買うとは‥‥。
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荒俣 |
「ただのバカだな、こいつは」という扱い。
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── |
お給料の3カ月分ということは
いわゆる「結婚指輪」みたいな値段ですものね。
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荒俣 |
そのころ、恩師で愛書家の紀田順一郎さんに出会い、
「私も本を集めたい」と告白するや
「荒俣くん、
こういうものを集めるのはいいけれども、
身の不幸を覚悟しなさいよ」と。
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── |
身の不幸‥‥。
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荒俣 |
「こういうものに手を出したら
人生の喜びなんてものは、ついぞ訪れないよ。
結婚などはもってのほか。
ささかやだけれど、あたたかいマイホームで
子どもたちに囲まれて‥‥とか
そんな未来は絶対に来ないから」と。
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── |
絶対に来ない‥‥。
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荒俣 |
「そういう冥府魔道のような世界に
本当に、足を踏み入れる気ですか?」
と問いただされましたので、
すかさず
「わたくしは
すでに齢3歳にして心朽ちましたので、
モテたいとか、
お金が欲しいとかは思いません」
と答えましたら
「それではお集めなさい」と言って
お赦しが出‥‥。
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── |
ははぁ‥‥。
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荒俣 |
神田の古本屋の親父さんたちを
紹介してくださるようになったんです。
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── |
ははぁーーーーーっ‥‥。
<つづきます> |