「ほぼ日」は、16回目の誕生日を迎えました。 ひとりで大きくなったような顔はしません。 もうこどもじゃないと言われそうな年なので、 たくさんの人たちに感謝すること忘れてはいません。 そうかといって、ただただ謙遜に、 皆さまのおかげです、とお辞儀をしてるのもへんです。 内心うれしかったり、感謝していたりするのに、 ちょっとなんでもないふうを装ってみたり、 いわゆるその、「ツンデレ」ですか、 まことにシックスティーンらしい心境であります。 背丈も大人のようになってきて、 多少なりとも周囲も大人の扱いをしてくれたりもして、 半端な知識やら方法なんかも身につけてもきて、 このまま適当なサイズに収まってしまうことも、 なんとなく想像できるような16歳です。 大人になっているということを、 ただただ「しっかりしなきゃ」と考えてはいけない。 大人っていうのは、こどもたち諸君に、 「おとなになったら、あんなふうになりたい」と、 うらやましがらせなきゃいけないと思うのです。 どこかの熱い地方でバナナの木にするする登るおじさんも、 発明王エジソンやら、サッカーや野球の選手やらも、 年寄りやこどもにやさしい坊さんやら、 いい歌を歌う人やら楽器を弾く人やらも、 病院でてきぱきと働く看護師さんたちも、 おいしいラーメンの湯切りをするお店のおにいさんも、 見上げるこどもたちからしたら、かっこよく見える。 「うらやましい」大人たちなんだと思います。 もちろん、身の丈で、「できることをしよう」 という姿勢は変わるわけもないのですが、 ちょっとね、大人の背中を じっと見ている人たちもいることなので、 いわば、背中の美しい「ほぼ日」になりたいな、と。 いやいや、そんな美しいとかじぶんで言って、 お恥ずかしいのですが、 めずらしくかっこつけてですね、 「いまのまんま」より、少しでも成長した姿を 意識したいと思うのです。 だってねぇ、16歳のおにいさん、おねえさんなんだもの。 1 じぶんの足で、しっかり立てる、歩けること。 おんぶされながら、口だけ動かしてるのはだめさ。 2 誰かの手助けができるくらいの力をつけること。 力のないままじゃ、誰に手を貸すこともできないですから。 3 そのための勉強や練習は、 毎日忘れないようにしようねということ。 このくらいのことだけを、毎日忘れないで続けていたら、 それなりに大人になっていくでしょうし、 けっこうおもしろくなると思うのです。 これまでの誕生日にはなかったような、 大人になります宣言みたいなことを、 今年のこの日には記しておくことにしました。 来年とか、再来年とかをたのしみにしててください。 (言ったぞ、こわいぞ、言ったからにはがんばるぞ) もちろん、まだまだまだまだひ弱な「ほぼ日」です。 どうぞ、あたたかく見守ってくださいと、 大人になるぞと言いつつも、よろしくお願いします。 |