うれしいことに、2016年も6月6日を迎えられて、
ほぼ日刊イトイ新聞は創刊18周年になりました。
じぶんのことを、まず言ってしまいますが、
いま、「ほぼ日」をやっていること、
「ほぼ日」でやっていることが、
おもしろくてしかたありません。
傍から見たら、そうは思えないかもしれませんが、
ぼく自身は、日々、とても愉快に仕事をしています。
昔からいる乗組員たちも、
次々に船に乗ってきた乗組員たちも、
つい最近仲間に加わった乗組員たちも、
先日から顔を見せるようになったバイトの人たちも、
みんな生き生きと働いています。
ぼくがとてもおめでたく、
そんなふうに見ているだけではないでしょう。
つきあいのある知人友人たちも、
「ほぼ日の人たちは、みんな気持ちがいいね」
というような感想をくださるから、
きっとほんとにそうなんです。
ぼく自身は、アイディアの芽吹かせ方と、
その苗の育て方、花を咲かせたり実を付けさせたり、
さらにそこから種をとりだしたりというような、
ぼくのやるべき仕事が、
やっと見えてきたような気がしています。
それができるまでに根っこが育っていたのかもしれない。
じょうずやへたはあるでしょうし、
失敗も成功もあるに決まってますが、
ぼくら「ほぼ日」が、なにをするチームなのかが、
わかってきたのではないかと思っています。
2011年に、東日本大震災があったことは、
ぼくやぼくら「ほぼ日」を、ずいぶん大人にさせました。
大人というのは、どういうものなのか。
定義がどうなのかはわかりませんが、
こどもはだれに頼られなくてもいい、
大人は少しは人に頼られるということかな。
ほんとに「少しは」、という感じですが、
じぶんがやれることを増やしていきたい、と、
考えるようになったのは、2011年があったからです。
そして、2015年には、
ぼくのとても大切な友人が亡くなりました。
ぼくより若くて、なんでもできて、やさしくて、
ずっといっしょにいろんなことを話したり、
考えたり、やっていこうと思っていた友人です。
そんな人が急にいなくなって、
いいかげんなぼくのほうが残っているということが、
なんだか、その後のじぶんの生き方を
変えてしまったように思います。
残っちゃったんだから、ちゃんとやるよ。
こんなやつなりに一所懸命生きなきゃ、
たっぷり生きる前に亡くなっちゃった彼に
もうしわけないよ、もったいな過ぎる、
と思うようになりました。
だから、たぶん、これまでの年以上に、
いろんなことをしっかりやれてきたという気がします。
考えることも、やることも、たのしむこともです。
この先も、そのつもりでやっていきます。
「夢に手足を。」ということばが見つかったのも、
この一年の間のことでした。
ぼくらは、夢に手足をつけて動かしていく、
そして、手足にいい夢を見てもらう会社です。
みんなが集ってくれるから、読んだり、買い物をしたり、
遊び相手になってくれるから、「ほぼ日」は続けられます。
「みんな」ってずいぶん抽象的な言い方だけど、
ほんとうに「みんな」というのが、
ずしんと、「ほぼ日」の重心をつくっています。
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。
ぼくらは、さらに次の一年もこれまで以上に
「やさしく、つよく、おもしろく」なっていきます。
18歳は、おもしろくがんばっちゃえる年です。
がんばりまーっす。