<とるにたらないやつらの希望。>
今日も、イタコ方式で、
近所のおっさん口語体で、書くことにしました。
失礼があったらお許しください‥‥って、
誰が許すとか許さないとか決めるんだか知らないけどな。
永田照喜治先生の「永田農法」が、
どうして、人のこころをつかむかというとな、
「とるにたらないやつら」に
希望をあたえてくれるからなんだと思うんだよ。
「とるにたらないやつら」という言い方は、
誤解を招きそうだけれど、
まぁ、だいたいの人はその範疇だと思うよ。
逆に、「とるにたるやつ」というのが、どこにいるのか?
って質問に答えるほうがむつかしそうだよな。わはは。
基本的にさ、ほとんどの人間は
「とるにたらないやつ」に決まってるよ。
それが、何かしらの希望を持ちたくてさ、
自分もいていいんだ、と思いたくて、
じたばたしているんだよな。
だから、みんな超能力とか大好きだよ。
わけわからずに、なにかができるようになっちゃう。
そういう力があるとしたら、
偏差値とか上役の評価とか資格とかに関係ないだろ。
自分にも可能性がでてきちゃうわけだよ。
超能力とまで言わなくても、
運がいいとか、ツキがあるとか、カンがいいとか、
計測のできない、見えない力が、大好きなんだよ。
たいていの人は、数字で計れるような世界では、
自分がたいした位置にいないってこと、
わかっているからね。
見えない力と、見える力の中間あたりで、
あいまいにブルンブルンうなっているパワーが、
金の力ってやつだよね。
キンじゃなく、マネーのほうね。
これは、力そのものは見えないほうに属するんだけど、
見える力のようにも使えるし、
数字で表わせたりもしちゃうからねー。
100円と、100億円じゃ、
どっちが大きいか、一目瞭然だもんな。
その誰が見ても価値が見えやすいってことが、
みんなの欲しがる理由だよね。
いい学校でてるやつだとか、成績の優秀なやつとかが、
科学的な「絶対価値」みたいに思っちゃうんだよな。
ま、大昔から、
見えない部分の大きさってものを、
人間はわかっていたし、
大昔の「とるにたらないやつら」は、
そいつに期待して生きてきたんだと思うね。
そうじゃなきゃ宗教なんて、なかったよな。
そうだ。
話が飛んじゃったけどさ、永田農法のことだよ。
あれって、魅力的なのは、
基本的にタネを選ばないってことなんだよ。
もちろん、タネの品種改良の歴史とかってものを
認めないわけじゃないよ。
だけど、タネのおかげでいい野菜になる
ってことには、ならないんだ。
普通にタネを買ってきたり、
苗にまでなっているやつを仕入れたりして、
そいつを「永田式」で育てるわけだよね。
そうすると、あのうまい野菜になるわけさ。
タネはどんなんでもいい、とさえ言える。
となると、ほれ、人間もそうなんじゃないかと、
思っちゃうんだよ。
思っていいと思うよ、と思うんだ。
おれも思っているもの、そういうふうに。
思うのはタダだよ。
育ち方で、変わるというのは、希望そのものじゃん?
「とるにたらないやつ」が、ここに希望を見いだすのよ。
なまじの家柄とか、氏(うじ)の部分とかね、
かえってじゃまにしちゃうものね、永田農法って。
つい最近になって、『誰でもつくれる永田野菜』って
DVDをつくったろ。
あれを機会に、はじめてばらしちゃったのが、
買ってきた苗の根っこを洗っちゃうことと、
根っこをハサミで切っちゃうことだね。
これまで、あの「乱暴そうな方法」については、
永田先生、本にも書かなかったし、
秘密にしていたふしがあるんだよな。
ま、あれって、本に書いて、
半信半疑のままで実行されたら、
抗議の手紙がじゃんじゃん届くかもしれないもんね。
DVDのドキュメンタリー映像になって、
「ほらね」と言えるからこそ、
秘密を発表しちゃったのかもしれないな。
‥‥そうなんだよなぁ。
切っちゃうんだよ、苗の根っこをね。
余計な養分が根っこについてるのが、よくないって。
いわば、丁稚のふところに縫い付けてあった
「いざというときの小遣い」を、
捨てちゃうようなもんだよね。
たかが知れた知識だとか、資格だとかを、
捨てちゃえってことだろう?
最低限の養分を、死なない程度にしっかりやるから、
生きる保障だけはあたえるから、
自分の持っている力のすべてで生きてみろ!
というふうに育てるわけだよね。
これ、スリルあるんだよ、実際は。
「ほっとくだけです」とか言って笑っているけど、
ウソだよね、ある意味で。
「手はかけないけど、目はかけている」
というのが実際のところですよ、ありゃぁ。
言い方としては誤解を招くかもしれないけど、
永田農法ってのは、徹底的な、
超がつくほどの管理農法だと思うよ。
管理ってコトバが、悪く聞えるかもしれないけど、
とにもかくにも、「見てる」「見守ってる」んだ。
それで、必要最低限の手をかけるようにしてるんだよ。
たぶんさ、神さまってものがいるとしたら、
こういうやり方で、生きものの面倒を見てるんだよ。
よく、永田先生、言うもんね。
「山の木に、誰が肥料をやってるんですか」ってね。
それこそ、山のワイルドな木の実とか、
草の実とか、太いの細いのあるけど木々とか、
肥料なんて要求しなくても、足りているんだよね。
蹲(つくばい)の、ほら、あるじゃない。
五円玉みたいな□を真ん中にして、
上下左右に漢字の一部を足してさ、
「吾、唯、足るを知る」って読める石が。
あのココロだよね、ほんとに。
多すぎるのは、腐りのもとになっちゃうんだよなぁ。
情報もそうだね、実際のところね。
一冊しか本を持ってなかったら、
さぞかしいい勉強をするだろうねぇ、おれらも。
でね。
こんなふうに、必要最低限の手と、
日々怠りなく見ている目と、
そのふたつがありさえすれば、
あとは、太陽だの、風だの、大地だの、
どこにでもあるような自然がなんとかしてくれるんだな。
「とるにたらないやつら」だった苗が、
すっごい野菜になってさ、
満場の諸君の大拍手を受けるわけさ。
スタンディングオベーションだよ、カーテンコールだよ。
というような「物語」が、永田農法にはあるんだ。
それが、おもしろいんだよ。
世のほとんどのバカどもが、
「おれたちも、すげぇじゃん!」と思える時が、
必ず来ますよというメッセージが、
農業のなかに含まれているから、
この物語がおもしろいんだよ。
そんで、しかも、この物語のほうが、
現実の社会に、似ていたような気がするんだよな。
だって、世の中だって、
偏差値の高いエリート学校の卒業生ばっかりが、
人間としておいしく育っていると思えないだろう?
選ばれた人たちから見たら、
価値ないように思われちゃいそうな人間が、
すごい野菜みたいに大きくなってるのを、
いくらでも見ているよな。
ん?
そうでもなくなっているってか?
育ちより氏か? 新格差社会か?
そうか、そう思うなら、思っていればいいよ。
怖がりながら、その「失望の物語」を生きればいいや。
止めないよ、それも。
オレが言ってるのはさ、
どっちが好みで、どっちを選ぶということなんだろうね。
「がっかりするのが怖いから、希望は嫌いです」
というのも、ひとつの道だしさ。
でもね、できるだけ
「おおぜいのとるにたらないやつ」に、
「やったー!」と思わせるようなやり方こそが、
いい方法なんだと、思うんだよな。
そういう意味じゃ、永田農法の考え方ってのは、
やっぱりみんなの喜べる、いい方法だと思うんだ。
逆に、受験勉強ってやつは、
どうにも、いいことが見えてこねぇなぁ?
受験勉強をちゃんと逃げないでやった学生というのは、
若いときにガマンする訓練ができているんです。
という説明を受けたことがあって、
なるほどなぁと思った憶えもあるんだけどさ、
それって‥‥ちょっと昔の社会で
必要な人材についての考え方じゃないかねー?
「逃げない」「ガマンができる」ということでは、
いまの時代、稼ぎもつくれないような気がするんだ。
ま、ずっと考えてる「いい会社」とは?
って問題にもからんでくると思うんでさ、
また、続きは考えることにするよ。
そうそう。
こないだ、朝日新聞のサイト見てたらさ、
どういうわけか就職のことを書いたページが目について、
そこで宇田成徳さんという工学博士という人が、
「必ず就職できる方法」について、
インタビューで答えてたんだよ。
引用させてもらおう。
「世の中の企業すべてが
大学名や偏差値で採用を決めているわけではない。
その事実を私は数多く知っています。
では、人間を見る目がある人事担当者は、
学歴ではなく何を見るのか。
それは、その学生の持つ自然の生命力です。
人間の生きる本質をこの青年はつかんでいるか、と」
さらに、記事は
面接試験で面接官の心をつかむ5項目を
宇田さんは伝授する。
1.健康に気をつけ
2.後輩の指導ができ
3.心身ともに豊かで
4.誰とでも仲良くし
5.仕事は天命と思って三人前は働きます、
と素直に自分の言葉で語ればいいそうだ。
と続いていた。
いいなぁと思って、この宇田さんという人の本を
2冊買ったり、「ふりかけ」まで買ったりしたよ。
公式ホームページ
http://www.b-model.net/uda/
なんか、永田農法と非常に近いものを感じたんだ。
じゃぁな。 |