糸井 |
デザイナーの仕事が、
デザインの範囲を超えている現状を
あちこちで見たりきいたりするから、
今、デザイナーのやっていることが
ものすごくおもしろいんです。
できることの範囲を
拡大しようとするところが
いいなぁと思う。
可士和くんは、代理店出身ですよね? |
佐藤 |
そうです。
多摩美を卒業して、
そのまま博報堂に入りました。 |
糸井 |
代理店にいると、
枠組みのある場所で逸脱しないほうが
「職人としていい腕だ」
と評価されると思うんです。
だけどほんとうはそのワクなんか
どうでもいいような仕事が
おもしろいというか……
だから最近のデザイナーの仕事は
ものすごいというか……。
可士和くんがフリーになってやったことって、
ほとんどそれですよね? |
佐藤 |
はい。
美大生のころって、
まだなにもわかっていないじゃないですか。
代理店とプロダクションのちがいも
わからないし、
広告とグラフィックデザインと
現代アートの境界線もわかっていない。
そんななかで
ぼくが博報堂を選んだ理由は、
ごくごく単純に
「大貫卓也さんがいた」
というだけです。
ぼくのあこがれのポップアイコンが
「大貫卓也」でしたから。 |
糸井 |
博報堂では、
大貫くんのチームに、
ちゃんと入れたんですか? |
佐藤 |
いえ。
「これからは、
大貫卓也の下で、ガンガンやるんだ!」
と思って入社したら、
いきなり大阪に飛ばされちゃいました。
それですごい挫折感を味わいまして……。 |
糸井 |
(笑)がっくりくるよね。 |
佐藤 |
三年半ぐらいで東京に戻るんですけど、
ようやく大貫さんの仕事を
間近で見られると思ったら、
ぼくが東京に帰る三か月ぐらい前に、
大貫さんは辞めちゃったんです。
「ぜんぜん意味ないじゃん!」
とすごくショックで……
数年後、あるプロジェクトで
「博報堂×大貫デザインの
仕事のスタッフに入らないか?」
といわれた時は、
それはもうよろこんで参加しました。 |
糸井 |
よかったねぇ。
そういえば、大貫くんの
アイデアを出すときの惜しみなさは、
可士和くんに
つながるものがあるかもしれない。 |
佐藤 |
それは大貫さんから学んだんです。
大貫さんとやらせてもらった時期が、
ぼくにとっては学校みたいなもので、
「コンセプトを考えぬく」
ということを教わりましたね。 |