糸井 |
藤田さんは、後悔していることも含めて、
率直におっしゃるところがスゴいなぁと思います。
「まだ、痛みを忘れていないのだなぁ」と言うか。
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藤田 |
あ、そうですか。
たとえば、ぼくが数失敗しているうちで
大きな失敗は、
中畑をファーストへまわして、
原をサードにまわしたこと‥‥。
これはいちばんの間違いでした。
性格やタイプからいって、
原がファーストタイプなんですよ。
中畑がサードタイプなんです。
あれは、ぼくがミスして逆にしちゃった。
もしも原をファーストで
中畑をサードに入れていたら、
もっと、チームが勝てていたと思います。
これだけはまだ本人たちに謝っていませんけども、
あれは、まちがいでした。
サードというのは、攻撃型の人でないと‥‥。
たとえば、長嶋とかね。
ファーストというのは、受け入れ型の、
今でいえば松井とかね、
そういう人がファーストをやればいいんです。
だから、そういう
性格とか技術が当てはまってる
ポジションをきちんと見つけて、
打順にしても、きちんと当てはめていくと、
チームは、充分に、いい結果を出せますから。
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糸井 |
適材適所って、
ものすごく大切なことなんですねぇ。
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藤田 |
ええ。そうなるでしょうね。
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糸井 |
台湾から来た選手だとか、
クロマティだとか、いろんな選手がいたけど、
どうとらえていいかわからないその人たちを、
藤田さんは、ぜんぶを
ちゃんと見ているような気がしていました。
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藤田 |
でも、キツイことも、やっているんですよ。
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糸井 |
どんなことを、やったんですか。
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藤田 |
今の台湾の選手なんかは、
「同じ失敗を2回するな」と言っていたのを
3回失敗したから、帰しちゃったんですよ。
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糸井 |
あ‥‥そういうこともしている。
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藤田 |
それから、西本(聖)なんかは、
ジャイアンツのエースでしたよね。
それを、キャッチャーの山倉が
ナマクラになっちゃってどうしようもないから、
「山倉に、刺激を与えにゃいかん」
と、西本という、その時点のエースで、
トレードなんて考えもしていなかった人を、
ポンと、中日とトレードすることになったんです。
代わりに、中日のキャッチャーの中尾を入れました。
星野(中日監督)のところに会いにいって、
「代えてくれないか」と言ったら、星野はすぐ
「わかりました」と言うものだから代えました。
その時には、ちょっとした悶着がありましたね。
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糸井 |
確かに、藤田さんは、
やるときは、デカく怒りますね。
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藤田 |
その時は、背に腹は変えられないということで、
思いきった決断だったんです。
ところが、山倉が言ったのは、
「ぼくは、中尾さんにはかないません」と。
もう、ぼくはガーッと山倉をつかまえて‥‥。
そんなつもりで、こっちは
犠牲を払っているわけじゃないのに。
刺激を与えるための、重要なトレードだった。
「そういうつもりで言ったんじゃないです」
と、山倉は、あとで言いに来たんですけど、
そのときはもう遅いですよ、カッとしてるから。
「おまえのためにこんなに
犠牲を払ったのに、何て弱虫だ!」と。
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糸井 |
藤田さん、「弱虫ギライ」ですね、だいたいが。
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藤田 |
まぁ、弱虫嫌いといいますか、
「どんな状態でそうなったか」
というのを何も考えないで弱虫になるのが、
きらいなんですね。
‥‥思い返すと、たくさんあるんですよ、
もうしわけないなぁと思うようなことは。
だけど、心ならずも、やらなきゃいけない。
鹿取(投手・現巨人コーチ)も、
熊本でテレンコテレンコやっていたから、
マウンドに行って
「てめえ、やめろ!」と言ったら、そのまま、
「わたしはもう、ジャイアンツに
いたくないから、やめさせてくれ」
何回か話したんですけど、絶対にいやだと。
「困ったなぁ」と思ったんです。
鹿取、その時、家を建てたばっかりだったし。
ダイエーからは声がかかってるけど、
福岡に行くのじゃあ、建てた家がもったいない。
東京付近で、
鹿取のことを受けるところがないかなと、
森(西武監督)に頼んだら、
「じゃあ何とかしましょう」と言ってくれたけど。
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糸井 |
それで西武なんですか。
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藤田 |
そしたら、西武で意外にはたらいちゃったんです。
その時に代えたのが、西岡と大久保。
大久保を取ったら、これがえらい活躍をした。
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糸井 |
一時、ものすごかったですよねぇ。
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藤田 |
あの時は会社に行って、
「あいつは月給が安いから、
少しご褒美を出してくれ」と言いました。
でも、今も後悔しているのは‥‥
その時、払う額をいえばよかったんです。
せいぜい500万円ぐらいの褒賞金を
一時金として「よくやったな」と出してもらおう、
と考えていたのですが、会社側は、
「ワカりました」と2000万円出しちゃった。
そしたら、たとえば、当時の石毛だったら、
「同じようにはたらいていて、自分には何もない」
と思うでしょう?
大久保だけボーンと2000万円‥‥。
これはみんな、雰囲気悪くなりますよ。
チームじゅうで、雰囲気が悪いんです。
いや、これには、まいりました。
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糸井 |
そういうことまで、監督は
考えてなきゃいけないんですね。
「500万円」って言えばよかったんだ。
失敗って、多くのことを学びます‥‥。
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藤田 |
そうなんです。
あとで気がついても、遅いんだけどね。
フロントは、ぼくが直接伝えたものだから、
「めったな額じゃいけない」
と思ったんじゃないですか。
大久保は、その後もよくはたらいたから、
有頂天になっていたでしょう。
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糸井 |
大久保さんは、いまでも
藤田さんのことをうれしそうに言いますね。
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藤田 |
あいつから、やめる時に、
電話がかかってきたんですよ。
「いろいろお世話になりましたけど、
やめます。決まりました。
ところで‥‥ぼくにヤセろと言わなかった
監督は、藤田さんだけです」
それを聞いて、
「何を言っているんだろう」
とはじめは思ったんです。でも感謝をされていた。
本人はヤセたくてしようがないんですけど、
みんなから、ヤセろヤセろと言われるから、
無性に腹が立っていたらしいんですね。
ぼくは大久保には、いつも、
「おまえ、その体を保つのには
うんと走らなきゃいかんなぁ」
と言っていました。
確かに、一言もヤセろとは言わなかった。
大久保にとっては、
「ヤセろ」といわれなかったのは
うれしかったんですね。
ぼくは、走ればやせると思ったんですけど。
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糸井 |
そうか、内容は同じなんだ(笑)
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藤田 |
ええ。
でも、大久保が、やめるあいさつのときに
そう言ったものですから、ますます、
「人の心を傷つける言葉を使っちゃいけないな」
と感じましたよ、その時に。
だから、同じことを言うのでも、違う方向から、
傷つけない言いかたを、しなきゃいけない。
それが、だいじなことだとわかりましたよね。
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糸井 |
ああ‥‥。
やっぱり、そこだけはいわれたくない、
というのが、みんなあるんですよね。
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藤田 |
あったんですよね。
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