是枝 |
いちばん癪にさわるのはね、
お父さんのキャラクターがいいとか、
距離感が絶妙だとかっていうのは
置いとくとして、
例えば作品の後半に行った時に、
突然約束とは違う形で
お兄さんが赤んぼ連れて帰って来るでしょ。
あそこで‥‥
正直言うと、最初観た時に、僕は、
「わぁ、ここがすごく好きだ」と思ったんです。 |
糸井 |
あっ(笑)。 |
是枝 |
それは本筋と関係ないんだけど、
帰って来たお兄さんが家に向かう途中で、
自分が卒業した小学校を、
娘だっこして見せるじゃないですか。
あれは!! すごいなと、正直に思って。 |
糸井 |
そう、たしかに。 |
是枝 |
あれを、ふっと(編集で)
残しておくっていうのは、
相当いやなやつだと思います! |
|
糸井 |
そうですねぇ(笑)。 |
是枝 |
あれは、劇映画で描くことはできるかもしれないけど、
相当なベテランだと思う。 |
糸井 |
作り手としては、
「誰がそこを見るかな?」っていう
うれしさがありますよね。 |
是枝 |
すごくいいシーンなんです。
でもドキュメンタリーで
ああいうシーンを残す、
そもそも、撮れるっていうのは‥‥、
普通ね、あそこは撮っても
(編集で)落としてくるような
気がするんですよ。 |
糸井 |
つまり、実の兄の家族と一緒に、
カメラを持った監督がいて、
でも彼女は本当は家族の一員であって。
で、ああでもない、こうでもない、
何を言うでもなく撮ってて。
そして、映画の流れとは関係ない場所で
お兄さんが立ち止まっちゃう。
それは「しょうがないな、一応撮っとくか」
っていうはずのものですよね。
それを確実に、入れた。
やどり木まで絵にしちゃった、
みたいなことですよね。 |
是枝 |
あれがあることで、あのお兄さんと家族が、
一緒に暮らしてた時のことが、
ふっと広がったじゃないですか。
時間が過去に。 |
糸井 |
そうですねぇ。 |
是枝 |
そうすると、
お兄さんの子どもたちの
これからみたいなところに、逆に
意識が飛ぶんですよね。 |
糸井 |
見事ですねぇ。 |
是枝 |
見事なんですよ、あれは。 |
糸井 |
だから、人の死を前にして、
熱情だけで人は動かないっていう、
あの映画全部を貫いてる、
いい感じの「要と不要」みたいな、
「人には、それが、あるんですよ」
っていう感じが。 |
是枝 |
そうなんですよねぇ。 |
糸井 |
あれ、大人の作品ですよね(笑)。 |
是枝 |
大人の作品なんですよね(笑)。
いやぁ‥‥。
じつは本人はずっと
フィクションを志向しているんです。
もともと劇映画をやりたいと思ってきている。
『エンディングノート』を観ると、
やっぱり彼女の劇映画を観たくなるんですよね。 |
|
糸井 |
観たくなりますね。 |
是枝 |
すごく観たくなる。 |
糸井 |
そうですねぇ。 |
是枝 |
それも、もうなんかね、不愉快だなぁ(笑)。 |
糸井 |
お兄さんたちが
正月前に帰ってくるっていうハプニングがあって、
それに対応することまではできるんだけど、
要するに“ご馳走が多くなりすぎちゃった”
みたいな状況になるわけですよね。 |
是枝 |
はい。 |
糸井 |
で、そこの時も温度を上げずに。 |
是枝 |
そうなんですよ。うまいんですよね。
引き加減だと思うんですけどね。 |
糸井 |
で、親父は、自分の死期が近いこと、
よっぽど緊急だから帰って来たって知ってるけど、
それは言葉では絶対言わない。
で、お兄さん夫婦も言わない。
で、“言わない会話”が始まるわけだけど、
同時に、“本当の会話”も始まってて、
二重の会話があそこでひっきりなしに
やり取りされてるわけですよね。 |
是枝 |
はい。 |
糸井 |
それを家族としてずっと見てて、
映画に撮ってるって、
‥‥できるやつはいないよねぇ。 |
|
是枝 |
そうですねぇ。撮れない、撮れないなぁ。 |
糸井 |
自分だったらって思いながら、
是枝さん、観るんですか? |
是枝 |
観ます、観ます、ええ。
やっぱりそう思いながら観ますね。 |
糸井 |
うん、うん(笑)。 |
是枝 |
観ますけど、僕、
それもまた癪にさわるんですけど、
僕には、あんな父親はいなかったので、
あのぅ(笑)。 |
糸井 |
うんうん。 |
是枝 |
その死を巡って
家族を撮って笑えるっていうような
家族関係がなかったので、
そのこと自体もすごく
羨ましいっちゃ羨ましいんですよ。 |
糸井 |
そうですね。その羨ましさっていうのが、
やっぱりあの映画のご馳走の部分で。
なんていうんだろうな、
ネガティブなことを考えたがる人は、
「所詮、中産階級の上の、
あるいは、上流の下の辺りで
すくすく育った子どもたちと、
楽しかったお父さんとお母さんがいて、
ひとり死んだっていう話で、
なんでおまえら、そんなもの見せるんだよ」
っていうようなことを、
今の時代なら、平気で言うようなものを。 |
是枝 |
そうかもしれないですね。 |
糸井 |
もう1つは、それを描かれると、
そういうのがいいんだよなって思うよね、
っていう、普通の人の欲望が
あの中にきれいにちりばめられてる。 |
是枝 |
とくべつな不幸を背負ってるわけではない
家族の話なので。 |
糸井 |
そうです。 |
是枝 |
ただ、試写室の反応を聞く限りでは、
たぶんそのことが、
逆にすごく広がってるんですよね。 |
糸井 |
うんうんうん。 |
是枝 |
とくべつ負荷が掛かっていないにもかかわらず、
ああいう形でこう、内側まで全部。 |
糸井 |
そこがやっぱり僕は、
あの映画の素敵な部分だと思う。
誰にも申し訳なさそうにしてなくて、
一人の死についてそれぞれにちゃんと考えてるし、
過剰に悲劇にも、喜劇にさえもしようとしてない。 |
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是枝 |
そうなんですよね。 |
糸井 |
うん。あれを人々が
ちゃんと泣いたり笑ったりできるっていうのは、
日本の豊かさって、悪くないなぁ。 |
是枝 |
そうなのかもしれないですね。 |
糸井 |
「あんちゃん、死なないでくれ」
みたいな話ばっかり見てると、
なんかそれが本当で、
「ぬくぬくと死んだおばあさんがいました」
みたいな話っていうのは、
映画にしちゃいけないんじゃないかみたいなことを
人は無意識で思ってるような。
そんな時代な気がするんですよ。 |
是枝 |
はい。
(次回につづきます) |