YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson224 それでも新人を採る理由

「こうしたら、もっと売れるのに……。」

私は長く企業に勤めていたが、
自分なりにちょっと、
数字を上げることができるようになると、

世の中の、商売しきれていないものを見ると、
はがゆく感じるようになっていってた。

たとえば、こだわりだけでつくられ、
売る気があるとも思えない、
インディーズのCDジャケットを見たようなときに、
「こうすりゃ、もっと売れる」と、
つい、説教したくなる自分がいた。

私たちの頭は、ゆるやかに改造されていく。

企業のゴールは、やっぱり「利益」だから、
企業で、まじめに取り組むうちに、
時間をかけて、わたしの頭も、
利益を産めるように、改造されていったんだと思う。

そのおかげで、こうして、
フリーランスになっても食えている。
育ててもらった企業には、ほんとうに感謝だ。

社会人をもう一度やり直せるとしても、
私は、企業に入って修行すると思う。

だけど、あのまま、同じ環境にいつづけたなら、
あくまで私の場合はだけど、ある思考パターンを反芻し、
少しずつ思考の柔軟性を失っていったかもしれない。
会社の外を独りで、危機感の中、生きてみて、そう想う。

どんな会社にも、その会社独特の「文脈」がある。

はじめてその門をくぐったときには、
違和感があり、入りづらいものだ。

それが、いつしか、
強く反発しながらも、同じ座標に並び、

抵抗を試みては、
その会社のもつ「問い」を共有し、根本思想を共有し、

しだいに、その文脈に応じた独特の作法で、
ふるまえるようになっていき、
会社の示すゴールにむけて、
よりはやく、正確に、結果が出せるようになっていく。

つまり、その会社の文脈の衣をまとう。

それは、いいことなんだろう。
だけど、その衣は、どこまで、
「外」で通用するものなんだろうか?

新人はとても無防備で、
その組織の文脈の衣をまとっていない。

装いたくとも衣はなく、自分の
「好き、嫌い、面白い、つまらない」の感覚でしか、
ものが言えないようになっている。

それは、二重、三重に
会社の文脈を厚着した先輩からみると、
すっとんきょうと映り、未熟と映り、
「で、それが何になるんだ?」と言いたくなる。

でも、むしろ、文脈の中で唐突に思える発言にこそ、
新人の存在価値がある。

新人は、その会社にはじめて外側から遭遇したときの
衝撃を、そのまま映し出して見せている。

硬直した組織の文脈にも、新風を巻き込み、
次の時代を予見させる「問い」を隠し持っている。

だから、先輩たちは文脈の中で唐突に思える発言にも、
安易に「それが何になるんだ?」といって、
新人のプライドをくじくべきではない。

外で、そして、これからの時代で、通用しなくなるのは、
あっちか? こっちか?

たとえば、インディーズのCDジャケットを見ても
「こうすりゃ、もっと売れる」と思っていた私の感覚は、
多分に、大企業という文脈の中で編まれたものだと思う。

そこでは、より売れるものが尊い。

たとえば10万部売れるものをつくったとして、
「ここを、ちょっとだけ変えて、
こうすれば、倍の20万部売れる」
という目算が見えたときに、
変えないで、あえて、10万部にふみとどまることは、
大企業では、むずかしい。

ちょっと変えれば、倍売れる。
でも、ちょっと変えれば、似て非なるものになる。

そういうときに、組織人として、
「自分たちが本当につくりたかったものと、
 ほんのちょっと狂いが生じるけど、しかたがない」
と思って、やってしまう人がほとんどだと思う。

倍売ったって、自分の給料が倍になるわけではない。
その関係性の中で、認められたい。
役にたちたいという想いでがんばるのだと思う。

実際、成果があがれば褒められるし。
そのようにして、当初、志したものとの
「ほんのちょっとの狂い」を抱えたまま、
会社の文脈に、取り込まれていく人もいるだろう。

でも私がいま、
独り、作り手のような格好で仕事をしていると、
そのちょっとの狂いが、命取りのような気もする。

自分独自の世界観をきっちり創った上で、
より売れるように、と考える文脈はありだけれど、
この順序が逆になることはありえない。

つまり、立場によって、仕事の規模によって、
文脈は変化していく。
文脈は、時代によってもずいぶんかわっていくと思う。

それぞれの会社の中で、
みんながちょっとずつ、がんばって、
みんながちょっとずつ、しがらんで、築き上げた文脈は、

もしも、あの、はじめて会社の門をくぐったときの目で
素でみたら、いったいどううつるんだろうか?

外から、未来から、
やってくる新人は、それを知らせている。

新人は、まわりが見えてない、動けない、
というような声をよく聞くけれど、
これ、あたりまえだな、と思う。

訓練してないのだから。

訓練をすれば、やがてできるようになるし。
逆に、訓練を積んで年数が経つまで待たないと、
いくらまわりでギャアギャア言っても、
できるようにはならないことがある。

そんなのは甘い、
仕事では即戦力が要求される、なんていうけれど。
だったら、経験者をとればいいだけの話だ。

年齢制限にかかる
40代以上で経験豊富なプロがたくさんいる。
そういう人に訓練の美を感じずにはいられない。
無駄がない。配慮がいきとどいている。
人の心をつかむ。話がはやい。仕事が速い。

それでも多くの人が、新人を採りたいと想う、
その意味はなんだろう?

新人を採ろう!と思った時点で、
すでに効率はすっとばしていると私は思うのだ。

新人は、自分の感覚を、文脈の中で行動に移し、
ビジネスにつなげていくスキルがない。
でも、まだとらわれていない、その感覚は信用できる。

時代の波をもろにかぶり、しがらみのないところで、
おかしいことはおかしいと純粋に思っているし。

いろんな部門のマーケティングの人が、
いまの若い人の感覚をつかもうと、
調査したり、分析したりしてやっきになっているのだ。
でも、それは、当の若者自身が、
「いま、感じている」スピードに追いつけない。

ここに、効率をすっとばしても、
新人を採る理由があるような気がする。
新人のこない職場は、やはり活気に欠ける。

だから、新人の人に、表現してほしいと思う。

なまいきなまでに、その感覚に忠実になって、
想っていることを、どんどん言って行ってほしいと、
私がトップや、上司だったら、ほんとうにそう思う。

新人と旧人の対話のカギは、
「無駄を恐れない」姿勢だと思う。

お互いのゴールがまったくちがっている状態では、
お互いの思う「意味あるポイント」が、まったく違う。
だから、お互いの関心事にしがみつき、
意味あることだけを、
無駄なくやろうとすればするほど、
話は、まったく交わらない。

一見無駄なところに、
自分を投げ出し、相手を投げ出し、
そこから、引出し、引き出されるものを
楽しんでいける人こそが、
世代をこえ、背景をこえ、
自分と強烈にギャップがある人との、
対話力に優れた人だと思う。

新人と旧人が通じ合う、数少ないポイントの中にこそ、
未来のビジネスチャンスがある。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-11-17-WED
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