おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson454 考える美容法 自分の内にある想いを、 言葉や行動などのカタチにして 外に通じさせていくことが「自己表現」だとしたら、 美容は大切な「自己表現」のひとつではないだろうか? 若々しい内面に、シワシワの外見、 繊細でやさしい心に、ごわごわの黒ずんだ肌では、 「自分らしくあろう」にも、あれないからだ。 見た目と内面の不一致に悩む人は多いのではないか。 そして年齢が上になるほど、 乖離の幅はひろがっていくように思う。 けれども私たちは、美容について 基礎的な教育さえ受けておらず、 化粧品は、まっとうな消費者情報も与えられず、 ほとんどがコマーシャルのイメージに踊らされ、 野放しというか、我流というか、 もっと言えば、流行とうわさ、迷信のような美容法を 渡り歩いている。 外見と内面の「自分らしさ」を通じさせる美容のこと、 何を目指して、どうしていったらいいのだろうか? 私自身、美容というものに、 恐ろしいくらい無頓着だった。 私の肌は、30代の終わりごろ、ぼろぼろだった。 ちょうどそのころ会社を辞め、 フリーランスとして立ち上がるまでの一時期、 収入がとだえた。 真っ先に化粧品代をごっそり省いた。 化粧品といえば、マツキヨにいって、 398円と298円の化粧水を見比べて買い、 それもつけるか、つけないかの生活を送っていた。 ある日、鏡をみると、 グッサリ、目と口のまわりにシワが刻まれ、 両目の下に大きなシミ、 毛穴もひらいて、びっくりするくらいふけた自分がいた。 見た瞬間、「終わった」と思った。 終わったと思いつつ、 さしてショックを受けていない自分にも 静かに驚いた。 女にあるまじと思われるかもしれないが、 外見がくちるのなら、それはそれでいい、と そのときの自分は思った。 必死だったのだ。 仕事を通して、どうやって身を立てていこうということに。 「外見なんか、かまっていられない」 もともと美容のことに疎かった。 もともとそういうことが好きでないうえに面倒くさがりで、 「なりふりかまわず仕事にかける」そういうのが かっこいいと思っていた。 しかし、そのころから、 徐々に人の「視線」が気になりはじめた。 自分を見る厳しい視線が気になったのではない、 「自分をスルーする視線」なのだ。 講演に行くと、私の本を読んだ人が、 「どんな先生がくるのだろう?」と楽しみに待っている。 ところが、受付で、「あのー、あのー」と言っても 気づいてもらえない。 そのころ、旅先で待ち合わせた母親が、 私に気づかなかった。 旅館の従業員に見えたと、母は本気でそう言った。 顔色が黒ずんで、シミを出し、髪を2〜3センチの ショートにし、安物の服を洗いざらし着ていた私は、 自分の娘に見えなかったそうなのだ。 フリーランスという仕事は、 一回一回、仕事ではじめての人に会う。 そのたびに、中身や能力はもちろんだけど、 外見に関しても、「値踏み」されるような目で見られる。 当時の自分の「終わった感」「捨てた感」のある外見は、 あきらかに、不協和音を立てていた。 この先、自分の外見をどう考えて、 どうしていくのか? あるいは、どうもしないのか? 「値踏み」の厳しい視線にさらされる日々のなか、 私は、真剣に考えた。 真剣に自分に問うたときに出てきた答えが、 「現役感」だった。 私は、生涯現役で仕事をしていたいと思っている。 そのためには、内面を常にクリエイティブにしておくことは もちろんだけど、 四の五の説明しなくても、一目で見て感じる「現役感」が、 自分には必要なんだなと思った。 現役感とは何か、という問題もあるし、 それぞれの年齢に応じた現役感というのもあるのだけど、 肌の美しさを失ってみて、 自分にとって、現役感のある外見には、 内面と通じた皮膚、肌の健康が要るんだなと思った。 肌を手入れしよう! 自分が自分であるために、肌の手入れはしようと、 人生で、はじめて思った。 思ったものの基礎知識がない。 しかも、エステに通うような予算もないから、 自宅で自分でできる方法で、 いろいろと自分の肌で実験して、検証していくしかない。 いろいろとやってみたその結果、 自分の場合、肌をきれいにするには、 次の4つの視点が不可欠だとわかった。 どれが欠けてもいけない。 「塗るもの」「飲むもの」「循環」「筋トレ」。 まず何から、と考えたときに、 最初に見直し、改めたのが、「肌に塗るもの」つまり 「化粧品」だ。 それまで、CMのイメージとか、デザインとか、 値段とか、ものすごくいいかげんに選んでいたなと 反省した。 「化粧品」を選ぶポイントは、 第一に「添加物の排除」、二に「美容効果」だ。 例えば界面活性剤は、肌のためではなくて、 水と油を混ぜるため、製造の都合で入っている。 本来、自然には混ざらない水と油を人工的に混ぜる 添加物なので、肌にはいっていくと、 いろいろな悪さをする。 肌に塗るものを、界面活性剤無添加に変えた、 それだけでも、おどろくほど肌の具合が良くなった。 肌に有害な成分についての商品知識を、 自分はいままでなぜ知らされなかったのだろうと 腹が立った。 有害な成分を徹底して排除し、 有効な成分をガッツリ入れる。 成分に注目して化粧品を選んで使うようになると、 それまで手入れしていなかった分、めきめき結果が出る。 しかし、一定のところまでいくと、頭打ちになる。 やっぱり、外から塗るだけではだめで、 中から、つまり食べるものが大切だとわかる。 そこで、忙しい食生活のなかで、どうしてもとりきれない ビタミンなどを、補助食品で補うようにしていった。 すると、美容師さんや、たまに会う友人から 「肌、きれいになった」「目の瞳に輝きが出た」と、 思わぬ反応が得られた。 「塗るもの」「飲むもの」で、 ずいぶんと改善が見られたものの、 これも、そのうちに頭打ちになる。 「たるみはどうにもならないんだな」 美白でシミが薄くなったり、 吹き出物や毛穴が目立たなくなって、 表面的にはきれいになっても、 「なんとなく肌が元気じゃない」。 年齢とともに、重力で、肌がたるむ。 これだけは、化粧品や栄養補助食品では どうにもならないなあ、と思った。 もちろん、化粧品にはリフトアップ効果を うたったものもあり、 それらもつかってみたが、いくら持ち上げるといっても、 限りがある。 停滞のなかで、いろいろな美容本や、美容情報から 思い至ったのが、「循環」を良くすることだ。 人によって、「血流マッサージ」だったり、 「リンパマッサージ」だったり、 「蒸しタオル美容」だったり、 いろいろなのだが、ようは、血液やリンパの流れが滞る、 それが、健康にはとてもよくない。 血やリンパの流れが滞ると、そこに老廃物がたまって、 不健康が生じる。 私の場合は、マッサージで、血流とリンパの流れを 改善していった。 マッサージした直後は、ぐんと肌が持ち上がって、 「すごい」と思ったが、これも一定限度までいくと 頭打ちで、それ以上は持ち上がらない。 最後に気がついたのが、持ち上げるのは筋トレだ ということだ。 たとえば、運動不足でお尻が垂れ下がったら、 筋トレするだろう。すると、お尻の筋肉が鍛えられ、 引き締まって、持ち上がる。 同様に、顔の筋肉も、やりすぎはだめだけど、 適度に動かすことで、引き締まって、あがっていく。 表情筋の簡単な運動は、てきめんで、 やっているうちに、体重自体は変わっていないのに、 「やせた?」「なんか、きりっとした?」 と周囲から言われるようになった。 「塗るもの」「飲むもの」「循環」「筋トレ」。 いろいろ試しながら、試しては考え、 現在、ゆきあたったのが、この4つだ。 肌にいいものを塗っていても、 食べるものがしょぼかったら、肌は内側から朽ちていくし、 ちゃんと食べて、塗っても、 血とリンパの循環が悪ければ、老廃物がたまっていく。 循環を浴しても、重力とともに垂れ下がる筋肉は、 適度に運動させて、もちあげていく必要がある。 「塗るもの」「飲むもの」「循環」「筋トレ」、 それぞれ、この方法でなければだめというものはないので、 それぞれ、自分にあった方法で、 なにかひとつずつ肌にいいことを、 しかし、4つのうちの一つも欠けないように、 試してみるといいのではないだろうか。 見た目と内面の不一致に悩む人は多いと思う。 それだけに、中身と外見を通じさせていく作業には 希望がある。 私の場合は、「肌」だったが、人によっては、 体重だったり、 シルエットだったり、着るもののセンスだったりする。 外見と内面の不一致に悩むとき、 考える=自分に問うことをし、 内面が反映した外見をイメージし、 トライアル・アンド・エラーを重ねながら、 なりたい「あなた」に近づいてほしい。 |
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2009-07-29-WED
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