おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson532 不安に打ち勝つ文章 日本大地震の日、私はヘタレだった。 「日本大地震」というのは、 私が勝手に名付けているだけだが、 東北だ、関東だ、と言われてもなにか違う。 東日本と言われてもしっくりしない。 直撃されたのは日本である。 問われているのは日本そのものだ。 歴史的に見ても、世界的に見ても、 日本に二度とこんな地震が来ないでという祈りもこめて、 私には「日本大地震」がいちばんしっくりくる。 「ひとり」が身にしみた時間だった。 東京で2度目のおおきな揺れがあったとき、 岡山の家族からメールがきた。 返信が打てない。 自分では意外に冷静だと思っていた。 指も震えていない。なのに、 ひとつのまとまりをもった文章を書き、 メールを送るという一連の動作ができない。 非常用の荷づくりができない。 これまたネットで冷静に、 阪神大震災の経験者の声を調べるも、 いざ、荷造りするとなると、ふたが閉まらない。 背負えないほど重い。 要るものだけを残し、要らないものを出す、 この一連の動作ができない。 この東京で自分はひとりなのだ。 この東京に、家族もなく、親戚もなく、ご近所もなく、 ホームのような会社もなく、 自分の命は自分で守るしかない。 結局、その日は荷造りひとつできず、 眠れないまま横になった。 ヘルメットがわりに、台所からボウルをもってきて、 枕元に置き、 テレビの地震警報に跳ね起きては、 ボウルをかぶったり、 上着を着たり、ドアをあけたり、オロオロした。 そういう自分がどこか他人事だった。 うとうとしかけては、地震警報に目覚め、 その度、何度も何度も思った。 「夢であってほしい。 目覚めたら、ぜんぶ悪夢であってほしい。 昨日と変わらない日常に戻っていてほしい。」 私はまだ、どこか現実が受け入れられないでいた。 そう思うそばから、 「受け入れられるというのか、この現実を?」 とても受け入れられる規模ではない、と思う。 気が張っていたのだろう。 肉体労働をしているわけではないのに、 くたくただった。 自分を取り戻したのは、翌々日、 なんと、「チェーンメール」がきっかけだった。 「地震が起きると、デマが流行る。」 以前、小論文編集で取り上げたことを思い出した。 関東大震災のときに、ひどいデマ、 朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるという、 根も葉もない噂がはやり、 恐れた日本人が、朝鮮人を暴行・殺害した。 みな不安なのだ。 非常事態不安が溜まる。 内に溜まった不安は、 ゆっくりと膨らみ、やがて満タンになると はけ口を求める。 不安の正体はたいてい見えない。 わからないから不安なのだ。 不安の正体はたいてい複雑だ。 ひとつではなく、いろんな要素が絡み合っている。 だから、目に見えるはっきりした標的求め、 それを責めるカタチで、 グラグラ延々つづく不安から着地したくなる。 「石油会社が‥‥、」 「国が、政府が、メディアが‥‥、」 でも、本来見えない複雑な不安を、 矮小化した形ある単純なものにしてしまうことは、 いいことなんだろうか? チェーン・メールのおかしな文章。 「友だちのお父さんが‥‥、」 「友だちの知り合いが‥‥、」 決して「私は、」では始まらない文章。 一人称=私がいない。 自分ではない、だれかに判断の下駄をあずけ、 それをもらった人は、 いったん自分の身体をとおった言葉にしないで、 右から左に流して、受け手に判断をゆだねてしまう。 チェーンメールは、思考停止の表れなんだ。 そう思ったら、この2日間、 自分が「思考停止」を起こしていたことに気がついた。 無意識に、考えることの無力さに打ちのめされていた。 でも、自分はずっとずっと 「考える」ことを大事にしてきた。 これからも生きていく限り不安は絶えない。 でも、安易な着地点にどかっと腰を下ろすんじゃなく、 不安を持ち続けながら、自分で考え、判断し、行動する。 考えて行動したからといって、 それが間違っていることもある。 それでまた不安が増すこともある。 でも、そのときはまた、なにが間違っていたか考え、 どうしたらいいか考え、また、判断し、行動し…。 自分はそうやって、「考える」ことで、 けっこう大変なときもやってきたじゃないか。 これからどんな不安がどんなふうに襲ってきても、 自分で考えてのりきっていくんだ! そう思ったら、まるで息を吹き返したように、 体が動き出した。 地震当日つめた荷物を見たら、 化粧品とか、いらないものがいっぱいつまっていた。 思考停止を起こした自分は、 非常時でもまだ、 いままでの日常を荷物に詰めようとしていたのだ。 災害対応ラジオ一つないリュックを見直し、 まず、命を守る最低限の準備をすることから、 私は、自分を取り戻していった。 「昨日の自分と、連続性のある今日を生きる。」 それが私にとって、不安にやられてしまわないことだ。 考えることで生きてきた私が、 一時期、考えることを放棄してしまっていたように、 非常時に自分らしさを保つことは最も難しいのだろう。 でも、たったひとつでもいい。 自分のいいところはなにか? 自分が大切にしてきたものは何か? 自分らしいものは何か? それを1日に一度だけでも思い出し、 表現してほしい。 私は、非常時にあっても 「考え、表現すること」で連続した自己を 生きることができるし、 「考え、表現すること」のサポートを通して、 これからも社会に貢献していけると信じたい。 表現といえば、被害の少なかったこの東京でも、 私は、文章講座の生徒さんの、 すばらしい文章表現を 目撃した。 最初は、地震当日、帰宅難民が溢れる首都圏で、 講座の生徒である男性の方が こんな文章をメーリングリストに流した。 「もし、今、徒歩で帰宅をしていて 浅草〜押上界隈を通過している方は 私の家にお寄りください。 浅草線の○○駅付近です。」 男性は、帰れないならうちに泊まってくださいと、 自宅の住所・電話番号・携帯メールアドレスを添えて 申し出た。 また、液状化現象で水が出ない、風呂に入れない という人が出れば、講座の生徒で 妊婦である女性が、こんな文章をメーリングリストに流す。 「水道が止まってしまっているということで、 本当に不便ですね。 こちらは、水道も通常どおり出てるので、 よかったらうちに。」 同じく、この女性も自宅の住所・電話番号・メールを そえて申し出た。 チェーンメールの、書いた本人さえいない文章とは違う。 信頼できる表現には、「私」がいる。 そうこうしていたら、私の友人から、 「ひとりで心細かったら家へきて。 うちでごはんを一緒に食べましょう。」 とメールが来た。 みな素晴らしい「与え文」だ。 「差し出す」。 寝床なり、風呂なり、ごはんなり、 こちらから、差し出す。 「くれ文」ではない。 だから、読む人に感動を与える。 そして、いま、被災地には、 究極の「与え文」が生まれている。 そこに希望がある。 その文章に、「私」はいるか? 自ら差し出す「与え文」か? 非常時に不安に打ち勝つ文章は、 人を勇気づける文章は、 きっとそういう文章なのだと私は思う。 |
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2011-03-16-WED
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