フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

わが友ジーコのこと、
そしてアズーリの歴史のこと。


こんにちは、フランコです。
僕は、ブラジルのフォルタレッザ海岸に
別荘を持っているので、度々ブラジルに行きます。

ブラジルで今でも伝説のアズーリ・ストライカーといえば
パオロ・ロッシです。
僕がブラジルで小切手やクレジットカードにサインすると
あのサッカーのパオロ・ロッシさんの御親戚ですか?
と尋ねられます。
パオロ・ロッシが1982年のワールドカップで
世界で最初にブラジルにハットトリックを決めたのが
相当印象に残っているのでしょう。

この大会でパオロ・ロッシの活躍により
イタリアが優勝したのですが、
僕はブラジルチームとジーコがとても印象に残っています。
対イタリア戦で敗者となったジーコですが
「君たちのプレーはとても素晴らしい
 是非この大会でイタリアの優勝を望んでいるよ」と
イタリア選手団のバスに乗り込んで、
勝者にエールを送ったのでした。

ジーコはセリエAのチームに在籍したこともあって
今でも僕と旧交を温めています。
僕が昔、アマチュアサッカーチームの監督だったころ
僕のチーム全員に彼のサイン入りコメントが届きました。

「愚かな選手諸君よ!たくさん練習したまえ!
 さすれば、君らもこの愚かなジーコに近づける!!」

さあ、日本ナショナルチームの監督になった我が友ジーコ!
日本の青い軍団を世界のピッチで輝かせたまえ。

アズーリの歴史を、お話しします。

そのジャージは、白でした。
すべてが急なことで、お金もなかったのです。

1910年、サッカーのイタリア・ナショナル・チームは
貧しく誕生しました。
裕福になるのはずっと後のことです。
それから過ぎた90年は、
まるで900年のようでもあります。
足早な時の神は止まることを知らず、
イタリア・ナショナル・チームは長い道のりを歩みました。

その遠い遠い1910年5月15日に、
ミラノのセンピオーネ公園にある
「アレーナ・ナポレオニカ」
──ナポレオンのアレーナ、と呼ばれる競技場で、
イタリアは初めての国際試合に挑みます。

デビュー戦にイタリアが招いたのは、
一番ご近所のフランスでした。

白いジャージが選ばれたのは、色染めは高価だったので
資金不足の最初のフェデレーションが
お金を出し渋ったからです。

当時、サッカーは半ば非合法のスポーツだったせいで、
イタリア・チームの初戦に駆け付けた4000人の観衆は、
そのころにしては破格の値段を払ったのでした。

フランスに6-2で勝ったことで
「イタリアは強いんだ」と納得したイタリアは、
11日後にはハンガリーに挑戦します。

ブダペストへの旅は、汽車で4日かかりました。

選手たちは座席で寝て、
ハムとチーズのサンドイッチしか食べられませんでした。

しかし、ハンガリーは決定的に強く、
イタリアは1-6で負けてしまいました。

後に、イタリアはジャージーの色を白からアズーロ、
水色に変えます。
この色は、イタリアを治めたことのある
サヴォイア家の紋章のメイン・カラーです。

ムッソリーニが独裁者だったころに。

イタリアのサッカーは、徐々にロマンを失っていきます。
1934年には、ベニート・ムッソリーニの
ファシフト政府が、第2回世界選手権を主催しました。

その4年前の第1回大会は
ウルグアイに持っていかれたのです。
ムッソリーニは、他の独裁者と同様に、
何が何でもイタリアが
世界チャンピオンになることを望みました。
イタリアがサッカーでも世界一なのは、
彼の政府のお陰である、と
見せびらかしたかったからです。

ムッソリーニは、当時の世界一の選手で
アルゼンチン人のルイシト・モンティに、
奇妙で訳のわからない書類を使って、
イタリア市民権を与えたりもしました。

そしてイタリアは世界選手権の開催権を勝ち取ります。
賄賂のお陰でね。

アズーリの勝利に酔うために、
いく人かの審判にもお金が渡されました。
ローマでの決勝でチェコスロヴァキアに勝った後、
選手たちは観衆に向かってファシスト式の敬礼をしました。



同じことが4年後、
パリでの世界選手権でも繰り返されます。
アズーリがハンガリーに勝って、
2度目の優勝を果たすのです。

でもこの時、ファシスト式の敬礼をする
イタリア選手たちに向かって、
ムッソリーニの独裁に反対していたフランス人たちは、
口笛を吹いて野次を飛ばしました。
この世界チャンピオンであるチームに向かって・・・

やがて第2次世界大戦が始まります。
そして終戦を迎えた時には、
サッカーは今までとは別のものになっていました。
スポーツや娯楽から巨大なビジネスへと、
姿を変えたのです。

しだいに、お金への執着が、
ナショナル・チームのジャージの色への愛情を
凌ぐようになりました。

サッカーは過去を捨て、ロマンスの時代を捨て、
お金の世界、つまりビジネスとして動くお金や
TV放映権料金などの世界へ突入してしまったのです。

昔に較べれば今のイタリア・サッカーはスピーディーだし、
より面白く、そして確実にお金持ちにもなりました。

でもアズーリの水色は、多分もう、夢の色ではなくて
単純にお金の色なんでしょうね・・・


翻訳/イラスト=酒井うらら

フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、

フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!)

2002-10-21-MON

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