フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

イタリア人選手がいない日


2005年11月23日水曜日、
イタリアの、ひとつのサッカーチームが、
試合のためにピッチに降りたちました。
でも、そこに、イタリア人選手は
ひとりもいませんでした。
これはイタリアサッカー史上、
はじめてのことです。
イタリアのプロのチームが、
ひとりのイタリア人もいないフォーメーションで
試合を始めるなんて。

ブラジル2名、アルゼンチン5名、
カメルーン、ポルトガル、コロンビア、
ウルグアイ、各1名。
これが、ピッチ上に居並んだ計11名の
選手たちの国籍です。

いくら“国際的な”という
名前だからって!!


そのチームの名前は
インテルナツィオナーレ
(インターナショナル)といいます。
そう、ふつうは「インテル」と呼ばれている、
あのチームです。
いくら「国際的な」という名前だからって、
これはやりすぎだと、
少なくもLega Nord(レーガ・ノルド、北部同盟)という、
イタリア政府の中でベルルスコーニ首相と
手を結んでいる政党は、考えました。
同じミラノ市のチームで、
インテルのライバルであるACミランのオーナー会長が、
ベルルスコーニ首相ですから。

その衝撃的な水曜日の夜、
インテルはUEFAチャンピオンズ・リーグの、
スロヴァキアのアルトメディアとの対戦を、
ジュリオ・セザール、J.ザネッティ、
コルドバ、サムエル、ウォーメ、
フィーゴ、ヴェロン、カンビアッソ、ソラーリ、
アドリアーノ、レコバ、という顔ぶれで
スタートさせたのでした。



「ラ・パダニア」という新聞が早速トップ・ページに、
インテルのオーナーであるモラッティに対する
暴力的なまでの記事を掲げ、そこに政治的な
思わくがらみの問題も生まれました。
以下が、新聞の見出しの内容です。

サッカーのバベルの塔
スポーツの終焉

ひとつのインテルの恥
昨日、計11名の外国人がピッチに

この試合にインテルは4対0で勝ちました。
これはベルルスコーニのACミランが、
トルコでフェネルバセに勝ったのと同じ結果であり、
ACミランを勝利させた4ゴールを入れたのは
「外国人」のシェフチェンコでした。
ところが、これについては、
だれもベルルスコーニのチームを批判しようとしません。

イタリアではこの事態をどう見ている?


それにしても11人が11人全員外国人であったことは、
イタリアでは歓迎されず、
多くの人がフェデレーションの介入を要求しました。

実際のところ、世界のどの国でも、
スポーツのチームに外国人はいるものです。
ぼくは個人的に何度か日本へ行きましたが、
野球とサッカーという日本の2大人気スポーツで、
何人もの外国人選手を見かけました。
でも外国人ばっかりということではなく、
もちろん日本人選手もいっぱい、いますよね。
しかし、そもそもインテルには、
イタリア人選手がほんの少ししかいないのです。
今回のUEFAチャンピオンズ・リーグの試合では、
その少しのイタリア人のだれも
プレイしなかったというわけです。

例の新聞が第一面にのせた批判にたいして、
インテルのマンチーニ監督は「人種差別だ」と
批判しかえしました。
「人種差別との闘いのことが多く語られ、
 人類はすべて平等だといわれ、
 そのあとでパスポートや国籍で人を裁こうとする。
 いつから肌の色や宗教が
 問題視されるようになるのだろうか?
 この考え方は大変に危険だと、私には思える。
 ヨーロッパの法律は差別を受け入れない。
 私は、チームにイタリア人がひとりもいないことさえ、
 気づかなかった。
 ひとりのサッカー選手はサッカー選手なだけだ。
 彼のプレイが悪ければ批判できるが、
 ブラジル人だから、
 アルゼンチン人だから、というだけで、
 批判はできない」

たとえそれが、ファシストのムッソリーニによって
イタリアが国粋主義であることを強要された30年代に、
何事もインターナショナルであってはならないという理由で、
「インテルナツィオナーレ」という名前を
「アンブロズィアーナ」に変えるように
命じられたチームだとしても、
今日、ピッチ上にイタリア人を選ばなかったと
非難されることは、とても異常だと、ぼくは思います。

戦後「アンブロズィアーナ」は
「インテルナツィオナーレ」、つまり、
「インテル」に名前をもどし、
いまや文字通りに100%国際化したと思ったら、
批判されてしまったというわけです。

インテルのオーナーであるマッシモ・モラッティは、
彼が会長時代に最高額が支払われていたのは
正にイタリア人選手のヴィエリであることを、
人びとに訴えかけ、思い出させようとしました。
ヴィエリは、今はACミランにいますけれど。

イタリアのパスポートを持つ選手たちを
ひとりもピッチに送らなかったと、
批判されたのもインテルなら、
イタリア人選手のひとりに最高額を支払ったのも
同じインテルです。
なにやら、ねじれて矛盾をはらんだ現象ですね。

訳者のひとこと
新聞の見出しにある「バベルの塔」は、
キリスト教の「旧約聖書」にある話です。
耳にしたことのあるかたは多いと思いますが、
ざっとご紹介しておきますね。

自分たちの力を神にたいして奢った人類が、
天までとどけと高い塔を築きます。
これが「バベルの塔」です。
神は、この奢りに怒り、塔を壊します。
その時、人類はお互いに通じない
それぞれの言葉で話しはじめたのでした。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-11-29-TUE

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