ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

51.野球を観ていた夜。

この日、ぼくは日本にいなくて、
巨人の優勝を観ていない。
チケットもムダになっているはずだ。

ガンジーさん、巨人ファンだったのかなぁ。
知らなかったよ。
なんか、見当もつかなかった、どこの贔屓かなんて。

では、巨人優勝の翌日の『the親戚新聞』を。

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「優勝」

見ててよかった、ゆうべのテレビ。
おとぼけ顔のニ岡が、ぴょんぴょん横とびに
跳ねて一塁へ走ったもんね。
まるで幼稚園の “蟹さんおどり” だ。

ベンチから飛び出してくる、ヨシノブの眼が
まん丸、まるで 「ふくろう」 のよう、
長島監督の顔が一瞬、痴呆老人だった。

テレビだからこその、いいところだ。

球場では見られない場面、 リアルタイムで。
TVカメラマンも、ビデオカメラを放り出して
見たかったろうなぁ。 転職を考えているぜ、きっと。

小川アナも、ニ岡のぴよんぴょんは、
見落としたと言ってた。
たぶん仕事が終わってから
局のトイレで踊ったことだろ。
こうかな?いや、こうだろ、なんて
チャックをあげるのも忘れて。

こんな事は、50年に一回だろう、
ホント見ててよかった。

とつぜん話しは、シンミリ、へと変わるが
人生のピンチにある人たちに、どれほど勇気
を与えてくれたことか。

ガンジーも、ときには
普通の重病患者らしいことを言おう、
”ベンチ ( ピンチでもいい)にあっても
希望を捨ててはいけない” 

諸君! 「希望」 が落ちてたら拾ってきてくれ。
大金で買おうじゃないか、なるべく新鮮なのがいいね。
いっぱい拾えたら 「ほぼ日」 へ売りにいく。

ムカシ、「東京ぼんた」って人が、
希望を売り切ってしまい
舞台で歎いていたのを、おぼえている。
(※「夢もちぼう(希望)もないもんね」というギャグが、
唯一に近い売り物だった漫談の芸人さん・編集註)

飢乏の状況下にあっても、
希望をもって戦後を生きてきたガンジーの世代だ。
希望があれば、たいていの事は出来る。

まちがっても、飢乏(きぼう)なんか拾ってくるなよ。
ひもじいおもいは、奥さん、ちがう!もうたくさんだ。

奥さんも、最近は 「もうたくさん」 でもあるけれど。
(ないしょ、であることはいうまでもないぞ!)

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そうなんだ。
希望は、ある意味で、めしより大事なんだよね。

キミに、ぼくに、希望はあるかい?

(つづく)

2000-10-14-SAT

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