ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

120.闘病というスポーツ。

すごく力の入った『the親戚新聞』が届いた。
ガンジーさんは、もちろんサービス精神満点の、
うけること大好きのおじさんではあるのだが、
キリッと厳しい顔を文章の中にみせることがある。

今回なんかは、その典型かもしれない。
こういうことを書いた人は、過去にもいるかもしれない。
こういうことを書ける人も、いるにちがいない。
しかし、ガンジーさんが、
ガンジーさんのことばで書いたこういうことは、
世の中にふたつとない。
最近、ぼくが気になっている「手づかみ」の思想だ。

ともかく、読んでみてください。

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「究極のレジャー」

釣りや、ハンティングは、
ムカシは生きるための手段だった。
でも、今では職業とする人々を除いて、
楽しみのひとつになってる。 
非日常性ということで 旅行とおなじようにね。          
そこで、ふと思ったことだが。

とんでもなく飛躍した考え方だけど、
ガンジーの現在は
「命がけのゲーム」 
あるいは 「スポーツ」 
を楽しんでるんじゃないだろうか?
釣りに例えれば、
大物が (病気全快)掛かるかもしれないし、
終日、あたりがなく、ジ エンド、になるかも。
また、一向に釣れずに
根競べの長丁場になるかもしれない。
”つれない仕打ち、
それはあんまりじゃございませんか?お魚ちゃん!”

登山なんかにも例えられる。
頂上を極められるか、脱落、あるいは滑落して死ぬか。
ゲームは、次ぎの挑戦ができるが、
ルシアンルーレットなんか命がけだよね。
スリルと度胸定めに、興奮の極致を楽しんでる。
次ぎの人が、クシャミをしただけで
ショック死する慌て者もありそう。

闘病、と人は言うけど、
スリルの極みを楽しんでる患者もいるんじゃないか?
いや闘病、という言い方自体、
闘志を掻き立たせる言葉ではないか。
いっぱんには、どうも、闘病というと悲壮感がつきまとう。
もっと、喜び勇んで戦地に赴くべきだ。 
(♪〜勝ってくるぞと勇ましくぅ
誓って国を出たからわぁ、手柄立てずに帰らりょか〜♪、「戦中派」)

老齢に達しての、癌という病気は不幸ではない。
降伏でもない。
人生の終わりには、死因となる何かがあるわけだ。
試飲した密造酒が死因、あるいは、
腹上死なんていう突発事故かもしれないし、
様々な病気、人によっては自殺もありうる。
(ちょっと旦那、
あたしの事も遺書に書いてからにしておくれよ!)

ガンジーの場合は、それが、だいたい決まったわけだ。
死因は、最高裁で確定したとしても、
いつ頃? という時間の問題もある。 
ガンジーは、ただいまその件につき
閻魔裁判官とネゴシエーションを重ねている。 
お歳暮に宝くじを用意して。

ロック、クライミングのとき、
岸壁の途中で、突風にあおられ、
2本のザイルだけに支えられてる時、何を考えるだろうか? 
”糸井さんお奨めの青山の蕎麦を食いたい”  
なんて思うかな?

それや、これや(なんや!)を考えると、
まさにこれはスポーツだ!
だから、この瞬間、瞬間を一所懸命に、つないでいるだけ。
他に何も考えない。(うそつけ!このっ!)
落ちるんじゃないか?死ぬんじゃないか?
なんてことを思うヒマはないんだ。 
スリルいっぱい! ラーメン2杯、
神社に参拝しても支配できそうもない、
タステ美とフクちゃん。

こういう考え方の人、けっこういると思う。 
(いねぇよっ!)
ただそれを、病人じゃない人は、信じてくれないから、
言わないんだと思う。 
Oh please” believe it!

新世紀が、ちらちら頭をかすめるけど、
そんな事どうでもいい
この瞬間が大事なんだ。
12月17日現在の、ガンジー地区天気予報でした、
明日はまた下り坂になるもよう。  ジャン!

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『なんてことを思うヒマはないんだ』。
ということばの、重さと確かさを、
いただきました。

ついでですが、ぼくのおすすめのそば屋は、
青山でなく、白金にある「三合庵」といいます。為念。

(つづく)

2000-12-22-FRI

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