ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

127.じぶんの結婚のこと。

ガンジーさんの思い出映画館は続く。
昨日に続けて、今日は、
ガンジーさんの結婚の思い出だ。

性格もちがうし、育ち方もちがう赤の他人が、
いっしょに「つがい」として生きていく結婚って、
ほんとに不思議なんだよなぁ。

だけど、たくさんの人たちが、この結婚ってやつを
経験してきているんだから、
あたりまえの不思議、なのかもしれないねぇ。

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「結婚した頃」

明るくって、暖かくって、広ろーい所が好きだ。
寒がりや、目立ちたがりや、そして閉所恐怖症のガンジー。
ムカシ、タステ美とデートした時、
地味好み、マジメ一筋の彼女と
名曲喫茶店で、坐る席のことでよくもめたよ。

この、マジメ一筋が後年、災いのもとにもなる。 
ガンジーにとってだけど。 
具体的な例はあげないもんね。
彼女は、隅が好きで、鉢植えのそばなどに席を取りたがる。
墨好きのくせに、筆不精とはこれ如何に?
筆まめで、豆好きでも、マメな男ではないガンジーだ。

そんなタステ美を見て、結婚を決意したような気がする。
This is between you and me 
だけど、他にも
候補者がたくさんいたんだ。 
(信じる?)
でも、もうたくさんだ、女のご機嫌とりは、となったわけ。
各候補者もそうだったことだろうて。 

よく観察してると、その人の性格がつかめる、と思う。
性格がつかめても、心はつかめないけどね。
うなぎ、のような女ごころ。 
苦節32年でやっと掴んだ、
という人からメールをもらった。
硬貨、拭こうか?、結婚に到った我々だけど、
よく喧嘩もしたな。

Sometimes I was thinking
 to want to a divorce.
But it was just thinking. 
I couldn,t do it.
( Is this all right?)

昭和38年4月3日、大神宮で挙式。
披露宴の時間まで、親族以外は
花冷えのする寒い社殿で待たされ
みんな、佛佛言ってたそうだ、神社なのに。

その頃、親戚ではまずまずの出世頭だった、
某一流企業で、重役予備軍の男が仲人。
こいつが、固い(?)だけのヤツで、
新郎は、飲んじゃいけない、と言う。
延々2時間、ひとの飲みっぷりを観察してた。 
「あの野郎、祝儀は少しのくせによく飲みゃがるぜ!」
「あいつは嫁さんの方ばっかり見て
鼻の下をのばしてやがる、助平め!」

仲人はやっぱりだめな男で、次長どまりで終わった。 
ざまぁみろ!
この男の年代では、まだ大学出が少なかったから、
勝手な夢を描いていたんだ。

当日、ガンジーは中古のダットサンで式場へ向かった。
途中の踏み切りで、お待たせ、を食い
時間ぎりぎりだったなぁ。
羽織はかまの盛装だったが、下に巻いたバスタオルが、
胸のあたりまでずりあがり、まるで、ボイン。
いっしょに乗っていた近所の娘サンに笑われた。

この車、2万円の給料の当時、
1万円の15回月賦で、
お医者さんから譲ってもらった物だ。750ccのセダン。
前、後輪とも板バネ、という代物。
新婚旅行もこれで伊豆を廻った。 
下田、蓮台寺温泉まで。

ヤクザの親戚に、 
「舎弟がいるから寄ってみな」 と言われ
蓮台寺まで行ったんだ。
でもそのヤクザ舎弟さん 
「あぁ、そうかい」 だけでチョン。
「まぁあがって茶でも飲んでいきな」とも言わねぇ。
ヤクザなんて、そんなもんだよ。 
この親戚ヤクザの爺さん、風呂の中でお陀佛しちゃった。
当時の西海岸は、道路がかなり狭く舗装もなかったので、
敬遠されていた。
ポイントが焼きつくなど、世話のやける車だったが
けっこう楽しめたな。

はじめ市川の新田町に住み、
大雨の度に浸水する道路に嫌気がさして
東京、馬込に引っ越したのは、翌年。(39年) 

あれから38年、名もなく、汚く、愚かに、生きてきた。
(糸井さん、ご指摘のとおり、たびたび使える言葉だね)

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東京に引っ越したのが、オリンピックの年ですね。
まだ日本の成長といっても、
不安定な、ふらふらした未成年みたいな国だったはずで、
そういう「国」と同じような若夫婦のひと組が、
いまのガンジーさん夫婦になったわけだねぇ。

(つづく)

2000-12-30-SAT

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