ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

139.家族の集まり。

人間は、まず、ひとりだ。
わたしはわたしで、ふたりといない。
しかし、もうひとりのわたしがいたら、つがいになる。
つがいがこどもをつくると家族ができる。

とても単純なことで、
多くの人がそうしているので、馬鹿にしがちなんだけれど、
これが、大きな事なんだなぁ。

ひさびさに、全員集合した家族に、
ガンジーさんが、とても素直に感動しています。

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「組織の原流」

親戚新聞の読者諸君。
きのうは、有り難う。 
全員が一堂に集まってくれたのは、
創刊以来初めてではないかな? 
死刑宣告の後にも、
入れ代わり立ち代り、訪ねてくれたが、
一遍にではなかったね。
茜を加えて総勢9人のささやかなパーティーだったが、
こんなに嬉しい集いは、めったにないぞ!
「くそ爺ぃ、ボケ始めでまん丸になりだしたぜ!」 
って言われそう。

長い時間だったので、茜がすっかり寝込んでしまい、
ガンジーの 「新年親せきソング」が歌えなかったので、
この場でやらせてもらおう。

♪〜年ぉしの始めの ためしとてぇー
  終わりなき代のめでたぁさをー 
  松竹(まつたけ)たぁーてて  
  門(かど)ごとにぃー
  祝う今日こそ楽しけれぇー♪

数年前までのガンジーは、
箱根駅伝の先触れ、と勝手に決め、
交通規制で、ガラ空きのR1号を、
誰の子?あっしの子、(芦の湖)まで、
オートバイで駆けていた。
沿道の観客が、ランナーを待ちわびて、
ヤケクソに読売旗を、振ってくれるので
ご機嫌で片手を、時には両手をハンドルから
離して挙げたものだ。(おひねりでも投げてくれや)
シロバイのおまわりさん、シロイ目で ”ジロッ!”
ここらあたりが、
”名もなく 汚く、愚かに、生きてきた” という所以。

そんな浅はかなガンジーを、
よく父親として保ってくれた事、
改めてお礼を言うよ。 
(真実はどうあれ、ね)
大方は起久の、長男としての統率力ともいうべき、
親思い、があったからだと思う。
これは大事なこと、ムカシは長子が親代わりを努めてた。
だから子沢山でも親は安心していられたし、
長男に対しては、
格別の思いをいだいていた。
それに長女も長男もこたえていたのだ。

それが家族の役割だ、と思う。
いかに両親だけが、シャカリキになって
子育てに励んでも、
子どもの方には、親に言えない事件や
相談ごとがあるもんね。
家族は組織の源流、そして夫婦はその原点である。
(親せき憲法第2001条)

新年にあたり、特に起久に感謝する。

では、仕事始めの今日が、
どうでもいい日ではないことを祈る。

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最初の、ひとりの男の子、長男が持つ意味って、
時代は変わっても、あんがい大きいままだという気がする。

(つづく)

2001-01-11-THU

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