ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

229.現在と過去と未来。

たくさん生きると、思い出も増えてくる。
生まれて何年も経ってないこどもにも、
思い出はあるのだとはおもうけれど、
やっぱり、
思い出を忘れるほど思い出がたまっていくと、
それぞれの思い出の、似たところ似てないところが、
見えてきたりする。

たくさんの思い出を抱えたほうが、
未来に対する視点も増えるのかもしれない。

ま、桜咲く日のガンジーさんの話、
読んでみてください。

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「フク ”ワタシを花見に連れてって!”」

きのうね、九段まで花見に行ってきたよ。
武道館で大学が入学式をやってたんで
すごい混みようだった。
外堀から眺めただけで
千鳥が淵までは行かずに靖国神社へ入った。
ここも両側に売店が並んでて賑やかだった。
でも、屋台の中で飲食してる人はまばらだったぜ。 
子どもが「やだい!」って言ったのかな?

ガンジー、靖国神社の、あのデカイ鳥居が好きだ。
七.五.三で靖国神社へお参りに
出かけたような、行かなかったような
記憶がはっきりしないが
戦時中にも行ったような憶えがある。
牛込の陸軍第一病院(現、国立病院)にも
母親に連れられて兵士のお見舞いに行った。 
血みどろの包帯が廊下にいっぱいあって
気持ちがわるかったなぁ。 
手足のない兵隊さんたちが恐かった。

親父は違ったが母親は愛国者、それに天皇陛下様々だった。
神仏を信じないガンジーだが
ここへ来ると何故か帽子を脱いで御辞儀してしまう。
多分、若くして国の犠牲になった人たちへの
感謝とあわれみがそうさせるんだろう。
ひどい時代を経て繁栄をつかんだ日本、
それだけに彼らの無念が頭をよぎる。

こういう唄がある。 
 ♪...上野駅から 九段まで 勝手知らないじれったさ
 杖を頼りに一日がかり 倅、来たぞよ 会いに来た... ♪

諸君!想像してみてくれ、
戦死した息子の、霊の存在を信じて
年老いた老婆がはるばる田舎からやって来るんだ。 
どんなに辛かったろう、どんなに無念だったろう、
どんなに国の指導者たちを恨んだ事だろう。 
口惜しくて参道の玉砂利を握り締めたことだろうか。  
それをあのデカイ鳥居は見つめてきたんだ。

我々世代はこの教訓を履き違えている。 
自分が苦労したから子どもにはさせまい、と
猫可愛がりしてしまった。 
結果が昨今の相次ぐ事件だ。

子どもは猫ではない、いずれ人格を備える人間だ。 
親の自己満足で育てられてたまるか! 
物心がつく4、5歳に欲しがる物を買い与え、
人格が整いだした10代になってから、
躾を厳しくしょう、ったって遅い! 
学校の所為にするな!
ガンジーが、大上段に振りかぶってこんな事を言えるのは
我が子に厳しく、おのれに甘く? 接してきたからだぞ。 
自分が苦労したのなら
後半生はみずから楽しもう。 
15歳過ぎたら子どもは放っておこう。
勉強するもよし、しないもよしだ。 
それ以前に人生の大切事を教え込んでおこう。

若い人たちが結婚、育児を敬遠するのは
親のことをよく見てるからだろう。
いつまでも子どもの事しか考えてない親を見てるから。 
そんな結婚生活を馬鹿馬鹿しく思うのは当然だ。 
亭主が死んで「さぁ これからアタシの時代!」と
張り切った時は顔中しわしわのおばあちゃん。 
それじゃぁねぇ。
時代は大きく変わったんだ、
結婚して子育てを終えたなら
みずからの人生をさらに楽しもうや。

幼時の時は、付きっきりで専業主婦、
経済的に辛くても我慢。
中学に入ったら
全寮制の学校へ入れちゃって放っておこう。
そして自分の好きな事をやってはどうか? 
と提案します。
何? 最低案だってか。 
もぅ このぉー!


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自分のなかにあるたくさんの思いを、
必要に応じて切り捨てたり、拾い直したりして、
決意や行動が見つかる。

なにもかも残しておいては、
考えているだけで時間は消えていく。

ガンジーさんは、クールに見えているけれど、
思いやりのある人なんだろうなぁと、思った。

眠いので、伝わりやすいことばで書けなかった。ごめん。

(つづく)

2001-04-11-WED

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