ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

231.幸せはどこ。

この回の『the親戚新聞』は、ぼくにとっては新鮮だった。
テレビを語るとき、不要なもの、くだらないもの、
足りないもの、強いもの・・・
いろんな言い方があるけれど、
この視点で語られるテレビって、
いままであったのかなぁ。

病院で入院患者を支えているものとして、
テレビをあげている。
そういえば、ぼくは古い人間なので思い出すんだけど、
こどもの頃には、テレビがほしくてたまらなかったのだ。
簡単にテレビを否定するのもいいけれど、
この見方でテレビを考えたら、
もっとちがった何かが見えてくるかもしれない。

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「幸せはどこにだってある」

今の病気人は幸せだね。
点滴などの医療機器の進歩もあるけど、
蔭で支えてるものにTVがある。
ガンジーも延べ4ヶ月の入院生活でわかったが
各ベッドに備え付けられている、このTVの存在は大きい。
ホテルのように
別チャンネルがあるともっといいけど。

もちろんお金はかかるが
ムカシのようにラジオだけと違って映像だ。
映画館だ。競技場だ。 
寝ながら観ることが出来る、スポーツの観戦が出来る。
TVが枕もとになかったら
死んじゃう患者がもっと増えてるだろう。

消灯時間の後も、仕切りカーテンとイヤホーンで観られる。
昼間も寝てる病気人、病人には地獄に仏、
貧乏人に当たり籤、の嬉しさだ。
どれほど多くの患者たちが、
一時的にせよ病を忘れ精神的に助けられていることか。 
闘病とは病を忘れる事だと思う。 
そして病気人の闘志とは
口外したとたんにそのチカラを失う。 
絶対に口外無用でなければならない。

♪〜やるぞ 見ておれ 口には出さず〜♪ なんだ。
口に出して「見てろ!俺はやるぞ!」なんていうヤツは
他人のチカラを期待してるんだと思う。 
意志が弱い証拠だよ。
神様ってお人は意地悪でお調子者だから
生意気を言うとヘソを曲げる、
”オレ様を差し置いて何をほざくかっ!”  
と怒らせてしまうんだ。
そうではなくて、形だけにせよ
ヤツに感謝の念、言葉を伝えれば
彼ヤツは喜んでどんどん協力する。

固い意志というものは絶対、口外無用にしょう。
深く心に秘めて
初恋の思い出と、ともに鍵をかけておこうぜ。
鍵はガンジーにあずけろ!
諸君が成功の暁に”おめでとう!゛と返してあげる。

固い決意を軽はずみにしゃべっちゃう人は、
時間を守れない人とおなじだ。
そういう人は時計の針を進ませたがる。 
「必ず治してみせるぞ!」と言ったって、
拍手は受けるだろうが、それだけの事、
そいつが死んだってホントに嘆き悲しむのは
ごく一部の人だろう。

一時は悲しんでも 
”痛いの痛いの飛んでいけー” って時間が
悲しみを蹴っ飛ばしてくれる。 
でもこれは年寄りの場合だけ。 
子どもや若い人のことではない。 
順番だから諦める事だ。 
亡くなった親を極度に想いだし悲しむのはその人が悪い。
生前に親孝行はしなかったとしても、
それ以上に親を嘆かせ、悲しませていたからだ。
あとで自分が悲しむ。 
因果応報よ。

さて、昨今の病気人の幸せはTVの他にもある。 
自販機と売店の充実ぶりだ。
これも助かるよ。
怪我なんかで入院してる食欲旺盛の患者は喜んでるはずだ。
腹いっぱい食べて、職欲も旺盛にして退院してほしいね。


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文明の恩恵を、軽べつしたり否定するのは簡単だし、
『ものごとを深く考えているように見える』ので、
みんながわりと、そういうことを言いたがる。
だけど、別の視点が見つからないだけで、
そのあたりのところを堂々めぐりしているのって、
成熟度が足りないですよねぇ。

ぼくも、この視点から、もっとテレビを考えてみよう。

(つづく)

2001-04-13-FRI

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