ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

251.『the親戚新聞』の発展。

もともと、ガンジーさんの連載は、
『the親戚新聞』という、読者3名くらいの
家族に向けたメールマガジンが、原型だ。
いまでも、その形式を続けている。

息子と娘たちに宛てた、教えや気持ちを、
ぼくらにも譲ってもらっているということだ。
そのあたりのこと、今回、あらためて知ってください。

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「♪〜線路は続くよっ」

親戚新聞が250回を超えても続いているのは、
イトイさんの脚色と激励によるものだが
その他にガンジー自身の気持ちのありかたもあると思う。
それは初めから100回とか200回とかを
目指さなかったからだろう。
身体のことが第一原因なんだが、
それ以外に当初は諸君におおいに
人生を楽しんでもらいたい、との願いで
こんな事、あんな事、余計な事、を書いて
それを人生の参考にしてもらいたかったのだ。

創刊号だけで終わるかも知れない、
それでもいいや、と考えていた。
「ん?新聞、そうかん!」
「何?終わった、そうかん!」ってね。 
でもそうかんたんにはおしまいにならなかったねぇ。
未だにお墓にはお待たせしてるもんねぇ。
坊さんも呆然と見守ってるもんねぇ。
新しもの好きだったから気負い込んで始めても
すぐ飽きてしまう、そんな性格だったから
イトイさんにもお願いして手伝ってもらってる。 
♪〜あんよは上手、ここまでおいで~♪ ってね。

一回でも多くヒントになるものを
残しておきたい一心だった。
世の中が変わり古い考え方が通用しなくなった面もあるが
一方では先人の智恵に学ぶことも多多ある。
営々と積み重ねてきた人類のいろいろな資産、
その中には他人との付き合い方や、
親子、夫婦、というもっとも身近なるがゆえに
ややこしい問題もある。
それらの解決法もあるはず。 
ガンジーも60数年間見たり聞いたり試したり、と
歩いてきた道のりがある。
失敗の経験は貴重だよ。
失恋にしろ、倒産にしろ、結婚、子育て、etc

それなりの経験は積んできたつもりだから
なにか諸君の手伝いが出来るだろうと考え、
それが親戚新聞の発刊の素になった。
しかし、こうして250回を越えてみると、
何故こんなに続いてるんだ?と、気になる。
そして気がついたのは、欲張らなかった事だと知った。
どうでもこうでも100回は続けるぞ!
と力まなかった事じゃないかな? 
目的の大切さはわかるが初めから飛ばすと息切れする。
スタートした時点で半分はくたびれてしまう。
闘病と言われるものもそうだ。
意地悪神さまの目を盗んで盗塁に成功したんだ。
さりげなく何気なく気負いなく進塁しちゃった。

目的は目的としてしっかりと視野に入れておくべきだが、
まず第一歩を踏み出さなければすべては始まらない。
「千里の道も一歩から」と言うよね。
そして「塵も積もれば山となる」ともね。
読者のみなさんから
200号おめでとう、のメールを戴いた時に 
「次ぎは300号ですね」と励まされた。
でもガンジーはそうは考えない。
いまのところ一ヶ月先までしか見えない。
それでも今までの一週間よりはずいぶん伸びた。
要らなかったカレンダーも壁に掲げてる。
キーボードに希望の文字が見えてきてる。
今迄何処へ隠れてたんだコイツめ!

「明日をも知れない切羽詰った状態」から、
この分なら来週ぐらいまで大丈夫だべ、と
思えてきた時は嬉しかった。
それが今は1ヶ月先まで霧が晴れてきたんだ。
登山で経験があるだろう? 
まわりの尾根がはっきりと眼前に浮かんできた時の感動を。
カレンダーに「豆炭ミーちゃん宅訪問」と
予定を書き込めるようになった。
希望っていいね、希望の希はわずかという意味だが
それでも願望が芽生える。
キー坊とガン坊は友達だ。
♪〜僕の名前はキー坊、
僕の名前はガン坊、二人合わせてキィガンだぁ 
君と僕とでガンジーだぁ〜♪
小さな事から大きな事まで
動かすチカラだ、ほぼ日新、聞! ♪
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最後の「替え歌」は、若い人にもわかるだろうか?
ま、わかるよね。

一ヶ月先まで霧が晴れてるって表現、
病気を意識してないぼくらだったら、どんな気持ちに
似ているんだろうか。

(つづく)

2001-05-03-THU

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