ジブリの仕事のやりかた。
宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。


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 雑用係の仕事論。

 

世界名作劇場としてテレビシリーズになった
『アルプスの少女ハイジ』(1974年・全52話)
『母をたずねて三千里』(1976年・全52話)
『赤毛のアン』(1979年・全50話)という3作品は、
演出を高畑勲さん、レイアウトを宮崎駿さんが担当し、
テレビアニメ史に残るアニメーションと、言われています。

特に『ハイジ』と『三千里』では、
合計104週ぶんのすべての回の演出とレイアウトを
「高畑勲・宮崎駿」のふたりだけで行ったというもので、
すべての場面に、2人の好みが着実に反映されています。

今日の高畑勲さんのお話は、そんなふうに、
宮崎さんとの二人三脚で馬車馬のように働くようになる
すこし前の時期、のんびりした新人雑用時代の頃の話を、
たっぷりとおとどけいたします。
高く跳ぶためにはしっかりとした助走が要るかもしれない。
そんなことを思いながら、高畑勲さんによる
「雑用係こそチャンス」という話を、お聞きくださいませ。

ほぼ日 さきほど高畑さんがおっしゃった、
「自分で勝手に疑問と課題を持って
 それを、ひとつずつ解決する能力」
について、高畑さんの個人史とからめて、
うかがいたいと思います。

アニメーションの会社に入社した頃から、
「疑問と課題を持つ能力」
を、どうやって育ててきたのか、
うかがえますでしょうか──?
高畑 ぼくがはじめて演出したのは
『狼少年ケン』という作品で、
二八歳ぐらいの頃だから、けっこう若いときから
やらせてもらえたという点では、
いま考えれば恵まれていたのかもしれません。

ただ、大学を出て
東映動画というアニメーションの会社に
入ったときは、ふつうに考えたら、
ぼくの置かれた立場は
「お先まっくら」というものだったのです。

「演出助手」として
入社試験に合格したはずなのに、
入ってみたら
同じような新人が十人以上もいたんです。
会社のほうも二名募集したつもりが、
東映本社から大量の新人を送りこまれて
途方に暮れていたようでした。

当時東映動画は、長編アニメーション映画を
一年に一本つくっているだけだったのですから、
そんな人数は必要なかった。
だから仕事なんかありません。
作品にもつけてもらえないわけです。

仕事は、もう完全な雑用だけでした。
セルの整理とか、
動画用紙に穴を開けることだとか……。
その後技術課や動画課に配属されても、
きめられた仕事としては
作業日報をつけるぐらいで、あとは雑用。
そういうことばかりしていると、
不安といえば不安だし、
第一、将来どうなるかなんて、
まるでわからなかったのです。

だけど、これはすごく
恵まれていたんじゃないかと思います。
なにしろ社員採用で、雑用以外
仕事がないわけだから、ヒマもあった。

雑用係という役目は、
考えようによっては
じつに「いいもの」なんです。


どうでもいい人間なのですから、
どこにいても何をしててもおかしくない。

アニメーターのところに行こうが、
撮影に行こうが、なにをしようが、
誰にもあやしまれない……。
「こないだ入った新人が、
 ウロウロしているだけだろう」
誰にだって、そう思われるだけでしょう? 

だから、勉強する気さえあれば、
いくらでも勉強することができるんです。
地位を与えられたほうが、
ずっと、勉強をする機会は減りますよね。
たとえば絵を描く人でも、
「動画」という役目から
「原画」という役目になってしまうと、
原画同士は、もう教えあわないですから……
教えあうこともありますが、
やっぱりちょっと、聞きにくくなるんです。

つまり「聞いておぼえる」とか
「教えてもらえる」ということについては、
地位がある人であるほど不利になるわけです。

社長なんかになったら、
誰も何も教えてくれない。
むしろ、まったく無視されているぐらいの
立場のほうが、自分の意欲と好奇心さえあれば、
いろんなことが学べるんです。
雑用係なら、その立場を
生かさない手はないんじゃないかと思います。

いまは、「自己実現」なんていうことが
よく言われていますし、
若い人は勝手に、最初から自分が
しかるべき役目を与えられて
ちゃんと働いている姿を
思い描くのかもしれないんですけど、
そうならなかったとき、
ただ不安にかられたり、
自分を生かす場所じゃないなどと
あせったりするのはバカげていると思います。

ぼくは
「最初は雑用係のほうがいいよ」
と言いたいぐらいなんです。

与えられた仕事がつまらないとか、
「教育してくれない」とか
「自分の才能を生かしてくれない」などと、
会社が自分のほうを向いてくれないことに
ただ不満をつのらせるだけでは
どうにもなりません。

そんなヒマがあったら、
その間に自分でおぼえられるものは、
みんなおぼえようとすればいい。


責任のない状態だからこそ、
ラクにふるまえるというかなぁ。
雑用をしながら、どんどん
見たり聞いたり質問したり考えたり、
自分のためにその無責任な立場を
役立てたほうがいいと思います。

これは若い人には
あまり言いたくないのですが、
ぼくは遅刻の常習犯だったんです。

駅から走ったけど間に合わなくて、
タイムカードをガチャンと押したら、
九時五分だったというような
小さな遅刻ばかりですけど。課長が、
「やはり一か月に七回も
 遅刻しているようではよくない。
 会社というところは、やはり
 そういうことで評価されるのだから、
 なんとかしたほうがいいよ」
と忠告してくださったこともあります。

それから、会社の中では、
けっこう居眠りもしていましたし……。
なにしろ、雑用係だから
居眠りも出ちゃうんですけど。

言いわけするとすれば、
それはなにごとにも
責任を持たされていなかったからだ、
と思うんです。
いい仕事も与えられないんだから、
せめて会社の規律だけは守って、
と考える人もいるでしょうが、ぼくは
そんなことは本質的なことではない、
と無意識のうちに
思っていたんだと思います。

タイプとしては
図々しい感じの人間とは
思われていなかったんですが、
それだけ自由に、
自分本位にふるまえたところをみると、
ほんとうはかなり図々しかったわけです。

ぼくは映画の学校を出たわけではないし、
アニメーションにも、
さきほど言ったような
近づきかたをしているので、
入社したときは完全な素人でした。
アニメーションについては、
知らないことがほとんどだったから、
知りたいし、学びたいし……。

客観的に見れば、何も仕事を与えられない
「お先まっくら」
な新人だったかもしれないけど、
自分でも不安も感じていただろうけど、
実際、その間にぼくがやっていたことは
「学んでいくこと」だったし、
それが、とても、おもしろかったんです。


たとえば、アニメーションの
基礎のひとつに「走り」があります。
「走る」と「歩く」のちがいは、
両足が「空中に浮いている」瞬間が
あるかないかですね。

ですからそれを観念や理屈だけで
描こうとした場合、
一歩は、地を蹴って、宙に浮き、
着地し、足が交叉する、
という動きが必要だから、
少なくともその四枚の絵を
くりかえすことになります。

その絵を一コマごとに置き換えていくと、
ひどく小刻みな全力疾走になる。
一秒間に六歩、タタタタタタと。

これでは
走りのリズムも速さも速過ぎるので、
それを二コマごとに撮ると、
今度はリズムが遅くなってしまう。
一秒間に三歩、タッタッタと。

しかも、そのリズムで
中間に空中の絵があると、
走っているというよりは
わざとピョンピョン跳ねて
走っているように見えるんです。

むろん、
こういう走り方もあるのですが、
ふつうに走っている人を観察すると、
もっとリズムが速いんですよね。
一秒間に四歩、タッタッタッタ。
そしてそれを二コマごとに
一歩三枚で感じを出して描こうとすると、
不思議なことに、必要ないのは
空中に飛んでいる絵なんです。

充分な駆動力と
跳躍の印象を与えるポーズで描けば、
足が宙に浮かばないでも、
懸命に走っている感じが出るんだと、
わかるわけです。
これを発見して確立したのは
大塚康生さんですが、
そういうことが大きな驚きだった。
しかも同時に、
しかし同じ「走り」といっても、
子どもや中年などでは
ぜんぜんちがう走り方をするんじゃないか、
という疑問もわくわけです。

中年なら、走っているつもりでも、
足は宙になんか上がっていないだろうし、
スポーツ選手でも
短距離とマラソンでは
まるでちがうだろう、なんて。

アニメーションでは、往々にして
「こうするもんだ」ということを教えられます。
「歩き」はこう、「走り」はこう、と。

たしかに便利なパターンが多いのですが、
それをただうのみにしたのでは、
ほんとうの勉強にはならないと思います。
たとえば、アメリカアニメの
「抜き足差し足」という
類型的な表現があるけれども、
子どもがお母さんに気づかれないように
「抜き足差し足」するのを
リアルに描くときには、
そういうおおげさな動きは役に立ちません。

そのときに必要な表現を
自由に、柔軟に工夫して生み出すしかない。
アニメーターになりたての人は、
とにかくパターンを修得することに必死ですから、
なかなかそんなところまで
考える余裕がありませんが、そのまま
柔軟性を失ってしまう人もけっこう多いのです。
その点、ぼくはアニメーターではないし、
素人だから、描けないくせに、考えだけは
いくらでも柔軟たりうる立場だったわけです。

カメラの移動をアニメーションで
どう擬似的に再現するか、などという課題も、
当時の習慣でやっていたものが単純すぎる、
と感じたのは、ぼくだけでなく、
同期で入社して『どうぶつ宝島』などを
監督した池田宏さんなんかも、
こういう新人時代にせっせと研究していました。

勉強って、おもしろいですよね。

ぼくはまんべんなく周到に
さまざまな分野のことを
詳しく知っているほうではありませんが、
「あるひとつのことを深く知ったら、
 他のものを見た場合にも、
 同じような奥深い様相があるはずだ」

という想像力がはたらくように
なることについては、実感しています。

ひとつの分野のおもしろさを知っていれば、
別の分野のおもしろそうなものを
見つけるカンも身につく。

今の時代には、どう見たって
いろいろな情報がありすぎるから、
なにかをつかみとることが
むずかしく見えるでしょうけれど、
まずは、その中のひとつだけを
集中して探ってみるという
姿勢でいいのではないでしょうか。

ひとつに集中できれば、いろいろなものに
応用が効くと言いますか……。

どれもこれも大事そうに見えて、
漫然と手を広げすぎるよりは、
ひとつのことだけ集中して学ぶというほうが、
ずっと、おもしろいものに近づくと思います。

ぼく自身は、子どもの頃から
一夜漬けタイプで、
興味に駆られたときにだけ、
ガーッとしつこく
やらずにはおれないというか……
偏っているんですけどね。

そこのところは、
宮崎駿さんなんかも典型的にそうです。
一を聞いて十を知るタイプですから……
一を聞いただけで、
宮さんは想像がふくらんじゃうんです。
それが彼の作家性なのでしょうが、
一から十まで、すべてを読む必要がない、
という人もいるということです。

宮さんは、映画も
途中まで見てやめるのなんか、
平気なんですから。
つづきの物語は、自分の頭の中で
ふくれあがっちゃって、できあがっちゃうから。

ぼくにはそういう特殊能力はないので、
やっぱり、映画は最後まで見ていますけれど。
  (明日に、つづきます)

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2004-08-02-MON


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