第6回 いいものは、どの市場でも売れる。
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糸井 |
山本さん、常に
消費者を見ているからおもしろいですね。
プランナーのときも、いいプランナーだったろうなぁ。 |
山本 |
プレゼンは好きでやってましたけどね。 |
糸井 |
重心が市場にあるということを
ほんとにわかってやっているプランニングの人って、
少なくなってますよね。 |
山本 |
そうですか。 |
糸井 |
やっぱり、生産のロジックの方が
情報が多いですから、逃げるんですよね。
生産側の事情に引っ張られちゃって。 |
山本 |
ああ、なるほど。 |
糸井 |
例えば、すばらしいコーヒーカップがあった。
つくる人には、取材できますね?
すぐそばにいるし、知れば知るほど共感したくなる。
そるなると、「いいだろう」と女房に見せて、
「どこかで見たことあるような気がする」
「これより安く買えるよ」と言われたとしたら、
「おまえ、わかっちゃいないぞ」と言うわけですよ。 |
山本 |
ムッとするだろうなあ(笑)。 |
糸井 |
生産者側の理屈って、
それの連続だと思うんですね。
ところが、女房が正しいんだと。
ぼくは、そう言わなきゃいけないと思うんです。
その女房に対して、
「そこに座れ」って説得して買わしたところで、
それはその人と二人っきりになってから
買わしただけで、通りすがりの人は買わない。
その場合に市場が悪いんだといっても、
だんだんとただ売れないという結果が
残るだけになってしまうんです。 |
山本 |
そのとおりですよ。 |
糸井 |
その構造をみんなが理解しないけど、
ほんとは生産の側を変えるしかないんですね。
だけど生産者側は、自分ではなくて
市場を変えようとするので、
「広告で何とかしたい」と言い出すわけです。
それじゃ、だめですよ。
広告って、一言も技巧を使わないで売れるものが
本来はいちばんいいわけですもの。 |
山本 |
なるほどね。
そのとおりだなぁ。 |
糸井 |
だけど、広告は広告として
鑑賞物でもあるみたいになっちゃって……。 |
山本 |
本来の機能じゃなくなっちゃったんだ。 |
糸井 |
スタイルのひとつとして
おもしろさがあるのではなく、
広告というのが表現の場だと思いはじめたら、
ぜんぶ内容が生産側のロジックになっちゃいます。
視聴者というか、買い手の方は、
要る、要らない、欲しい、欲しくない、という
すごい単純なことしかいわないですから、
要するに「一票」ですよね。
その一票を取りにいかない生産者は、
選挙を経過しない代議士みたいになっちゃう。 |
山本 |
あぁ、そういうことか。 |
糸井 |
商売をわかっている人たちにとっては、
その消費者の一票を取りにいくことこそが
そこがいちばんおもしろいところなんだ、
という実感があると思うんですけど。
だから、山本さんが
いまおっしゃったことみたいなのは、
よくわかるんです。
「売れた数で、答えが出ただろう?」って。
山本さんは、作品としても、
力技で、要するに市場に直に問いかけているし。 |
山本 |
ありがとうございます。 |
糸井 |
前の期間が長ければ長いほどいいんだな、
ということを改めて思いましたね。
二〇歳でこれを書いても、続かないでしょう? |
山本 |
続かないでしょうね。
決めつけるとおかしいけども、やっぱり、
引き出しの数が違ってきちゃうんですよね。
小説に書くのと似た経験があればいい、
ってものじゃないからね。
最近、とくに大事だと思うことは、負けた時には、
「これは負け」ということを本気で認めないと、
次に行くことができないんですよね。
さっきまでとはちょっと違う話だけども、
去年の三月、ちょうど今時分なんですけどね、
推理作家協会というのがあるんですね。
推協という略称で呼ばれてまして、
これはミステリーを書いている人たちにとっては、
年に1回の推協賞がすごく大きな賞なんです。
ぼくはその世界とは無縁の時代小説の方にいます。
推協というものはもちろん知ってはいたけども、
自分とはかかわりのないものだと思って、
ずっと生きてきていたわけです。
しかし、去年の三月に、実は推協から速達が来まして
ぼくがおととしの12月に書いた「小説現代」の短編を
推協の短編にノミネートしますと言ってきたんです。 |
糸井 |
ほー。 |
山本 |
「丹後の豆腐」という短編でして、
売れない豆を抱えちゃったやつが、
それをどうやって売るんだという、
要は販促ストーリーなんですけれど。
ぼくは今までさんざん販促をやってきて、
クライアントに通った話もあれば
だめだった話もあるけども、自分でも
「あれはおもしろかったな」
と思うようなケースは、
江戸時代にタイムシフトして、それを
ストーリーに書いていこうという時があるんです。
「丹後の豆腐」はそのひとつでして、
書いていてすごくおもしろいんですよ。
で、それが、ミステリーへまわっちゃった。
編集の人たちに電話をかけても、
「何で山本さんのが?」と、本気にしないんですよ。
俺だって、何でかわからない。
でも、なんだかノミネートされちゃって、
しかし新人賞の後では
はじめての賞のノミネートだから、
ちょっとワクワクはしているんだけれども、
まぁ、どうなるんだろうね、ぐらいで、
かみさんと家族で、家で待っていたんです。
結果としましては、ペケだったんです。
ペケの理由はその日のうちに教えられた。
「時代小説としては非常にいい骨格で、
大変よくできている。でも、これを
ミステリーとして読むには無理がある」
そういう選評なんですよ。それは当たり前じゃないか。
こっちはそんなつもりじゃないんだから(笑)。 |
糸井 |
(笑)自分で応募したわけでもないですし。 |
山本 |
で、ぼくのまわりの編集者たちは、
「何なんだよ推協は」って言ってくれた。
でもね、そこでやはり思ったんです。
ぼくのまわりの編集者の人たちがどう言ってくれても
あれはやっぱり負けは負けなんだ、と。
あれが勝ちだったとしたら、
「ミステリーとして読むには無理があるけれども、
やはり短編賞をあげますよ」
ということに、きっとなったはずなんです。 |
糸井 |
そうですね。 |
山本 |
それが逆へ振れたということは、
力が至ってなかったんだという。 |
糸井 |
すばらしい考えですね。
それはほんとにそうですよ。 |
山本 |
ぼくはその日のうちに、
関係のあった編集者の人たちみんなに
メールを流しましてね。
「ご心配いただいてありがとうございました。
でもあれは負けは負けですから、
またここからゼロからやります」ということで。
それでぼく本人も、サバサバしたんですよ。
編集者の側にしてみても、
作者が自分でそう言ってくれたら、
「そうですよね」っていえるんですよね。 |
糸井 |
台湾に輸出してくれというから輸出したら、
売れなかったというような話ですね。
「ああ、あそこは場所が悪いねえ」
「台湾じゃだめだよ」
そう議論していては、違いますからね(笑)。 |
山本 |
(笑)やっぱり、いいものだったら、
どこのマーケットへ持っていっても、
そのマーケットが絶対反応したんですよね。 |
糸井 |
本当に力のあるものっていうのは、
説明できないんだけれども、結果、
そいつが抜けてからの鋳型の方に形がついている、
という……。 |
山本 |
ああ、いい表現だなあ、それは。 |
糸井 |
そんな感じですよね。 |
山本 |
まったくそのとおりだなあ。
成功した型が残るんですよね。 |
糸井 |
そうなんです。 |
山本 |
こうだっていう鋳型か……。
鋳型を押している瞬間はわからないけれど。 |
糸井 |
ええ。
鋳型そのものは
もう壊滅しているかもしれないんだけど、
押されたほうが残っている。 |
山本 |
うん、うん。
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