「雀鬼」とあだなされる人です。
いろいろな会話のなかで、よく出てくる名前です。
しかし、女性の書いたもの、女性の会話のなかには、
あんまり登場しない名前です。
どういえばいいんでしょうか、
「桜井章一」という名は、
ガキごころをくすぐるんですよね。
「二十年間無敗」という神話みたいなものまである
麻雀の鬼だっていうんですから。
しかし、麻雀をしないぼくは、
読んだことがなかった。
でも、ぼくのガキごころが「読んでみようよ」と、
誘ってくれたんですね。
で、何冊か入手しまして、一度に読んだわけです。
どう言ったらいいかなぁ、
まさしくいまの時代の武芸書みたいなものかもしれない。
経験と、その経験のなかで深めた考えが、
身になってしまっているんだろうなぁ。
おそらく「録音」したものを
ライターが文字にしているのでしょうが、
語っていることに「よどみ」がないんですね。
ライターが調整して「よどみ」なく見せているのではない。
きっと、ほんとうに桜井章一という人は、
確信を持ったことを、そのまま語っているのでしょう。
「文体」というのではないな、
「語り口」が、いわば名文の趣なんです。
あれこれと、事情をかんがみたり、
ほんとにこれでいいのか、という迷いのあることを、
いかにも「断定的」に言っているわけじゃない。
いったん、考え終わってるんだろうなぁ。
これは、いまの「混迷の時代」とかには、おもしろいです。
決断とか、断定とか、
「断り」を無数にくりかえしてきた人の言うことは、
あらゆる男を「後輩」にしてしまうよね。
奇をてらってキャッチーなことを言うのでなく、
太い幹の部分では「あたりまえ」ということを、
迷いなく言ってくれる‥‥これ、
まさしくガキたちが、ついていきたくなる
「先輩」の象徴じゃないですか。
色川武大さんの『うらおもて人生録』を、
教科書のように読んだぼくとしては、
いままで知らなかったおもしろい先輩の話を、
ふむふむと首肯きながら聞くように、
続けて何冊も読めました。 |