ほぼ日 |
さっそくですが、
『新宿植草・甚一雑誌』というイベント、
どうやら企画の根っこにあるものが
『はじめてのJAZZ。』と似てる匂いがしたのですが。
(このインタビューは『はじめてのJAZZ。』
本番前に行いました。)
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高平 |
そうかもしれないね。
この『新宿植草・甚一雑誌』という
イベントの話が出たのが
今年の頭くらいだったんだけど
ちょうど『植草さんについて知っていることを話そう』
という本が出た時だったんですよ。
全く同じ時期に『はじめてのJAZZ。』の話も
舞い込んできたから
企画といいタイミングといい
なんか似てるなと思いましたね。
新宿で『DIG』と『DUG』という名前の
ふたつの店を昔からやっている
写真家の中平さんという人がいてね。
その中平さんの去年からのインタビューをおこして
『新宿DIGDUG物語ー中平穂積読本』
という本を出したんです。
その本を作りながら
いろいろ思い出したんだけど
昔、ジャズ喫茶で「静かにしてください」
って紙をだしたりしてたこととかね。
他にも「入れ墨、げた履きの方お断り」
という貼り紙も演奏中に置かれてたりしててね。
演奏っていってもプロの演奏だよ。
そういうことって、若い人は知らないよね(笑)?
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ほぼ日 |
打合せでは笑ってましたけど
もちろん知りませんでした。
ぼくは『DIG』にも『DUG』にも
行ったことはないんですが
これは代表的なジャズ喫茶なんですね?
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高平 |
そうだね。
最初に『DIG』という店が出来て。
それがちょうどアルタの裏の『アカシヤ』という
ロールキャベツの店があるんだけど
そこの3階にあったんだよ。
そこにぼくらが高校2年くらいから
通いはじめるわけなんだけど。
コーヒーカップは七宝焼で、
コップは沖縄グラスで、
壁には古い六角形の時計とかが
いっぱい飾ってあってさ。
ぼくらにとって、
そういうもの全てが、イコール「ジャズ喫茶」なんだ、
という印象になっちゃったんだね。
当時、学生としてDIGに行ってたやつらが
そのうち、青森だとか博多だとか、
故郷に帰るわけだよ。
そしてなぜか喫茶店を開こうとするんだ。
あの当時、地方から来ている学生って
けっこうお金持ちが多いからね。
今は全国でも60〜70軒くらいしかないっていう
ジャズ喫茶が、
そのころ70年代の頭くらいに、
450軒くらいまで増えたんだよ。
おかしいのがそのジャズ喫茶の7割が
店にはいると必ず古時計があるんだよ。
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ほぼ日 |
新宿の『DIG』にあったような古時計がっ!?
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高平 |
そうそう。
ぼくもそんなことに気づかなかったんだけど、
中平さんにインタビューした時に
「おそらく、全国のジャズ喫茶にいくと
必ず古時計があるけど
あれはうちの店の影響なんですよ。」
って言われて。
「はっ、そうか」と思い当たった。
だって、ぼく自身が高校生の
ジャズを聞き始めた頃に、
うちにあった時計を探して
自分の部屋に飾ったもん(笑)。
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ほぼ日 |
はははははっ!高平さんの自宅も『DIG』。
地方のジャズ喫茶に古時計があったら
実はそれは新宿『DIG』の影響とみて間違いないと。
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高平 |
うん。『DIG』は知ってるとみていいね。
『DIG』に行くと植草さんをみることができるだとか、
そういう伝説が生まれたりするのね。
もうひとつのお店の『DUG』というのは
紀伊国屋のところのカメラ屋のビルの
地下一階にあったんだよ。
ほとんど紀伊国屋の裏というイメージ。
それまでのジャズ喫茶は
コーヒーを飲んでジャズを聞かせる
というお店なんだけど
『DUG』ではボリュームを下げて
ボーカルを聞かせるお店だったんだよ。
コーヒーだけでなく
お酒も出すお店なんだけど
ライブハウスの『ピットイン』がそばにあったから
演奏が10時くらいに終わると、
日野元彦さんとか山下洋輔さんとかが
この店に流れてきて
『DUG』でライブをはじめたりした
っていうような時代があったんだよ。
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ほぼ日 |
お客が飲んでる真横でですか?
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高平 |
そうそう。
小さなアップライトのピアノがあったからね。
突然、ドラムセットを組んで
いきなり演奏がはじまったりしたりね。
そしたらアメリカから来ている
ジャズミュージシャンも話をききつけて
『DUG』に現れるようになって
一緒に楽器出して演奏したりしててね。
贅沢なことがあったんですよ。
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ほぼ日 |
打ち上げがわりにもう一回みたいな感じで。
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高平 |
そうそう。
その頃のぼくは素人だからね。
常連面してお店にも入れなかったから、
ぼくはそういう貴重な現場には
2度くらいしか遭遇しなかったけど。
植草さんの書生みたいなことを
やるようになってからだけどね。
帰りには植草さんを車で送るという役目もあったし。
ほぼ日
イベントタイトルにもなっている
その「植草さん」という人は
どういう人なんでしょう?
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高平 |
植草さんはね、元々戦前から戦後にかけて
東宝東和の宣伝部にいて、
要するに映画のタイトルをつけたりする
宣伝周りの仕事をしてたんだよ。
ぼくも映画のプログラムなんかで
名前は知っていたんです。
それが中学三年くらいの時に
ジャズに興味をもったんだけど
どうやってジャズを聞けばいいんのかわかんなくって
たどり着いた結論が
「まずは『スイングジャーナル』を
買えばいいんじゃないか」ということだった。
それで『スイングジャーナル』を買い始めたら
「新譜紹介とジャズの歴史」コーナーがあってね。
そこには「ジャズは何から聞くべき」とか
「古いジャズも聞かなきゃいけない」とか、
とにかく面倒くさいんだよ。
そんな中で全然、ジャズとは関係ないことを
書いてある文章があったわけ。
それが植草さんが書いた文章だったんですよ。
それは、植草さんの書いた
チャーリーミンガスについての
レコード評なんだけど
植草さんは一枚のアルバムについて
4〜5ページ書いてるわけなんだよ。
その文章というのが
アメリカのジャズ雑誌の記事を翻訳しながら
咀嚼していっちゃうスタイルなんだけど。
これが、すごくうまいんだよ。
例えば、
「We need Miles」という普通の英語も
「僕たちにはマイルスが必要なんだ」
と直訳すると、
すごいインパクトがあるでしょ。
そういうことをしてた人でね。
ぼくの義理の兄貴が晶文社にいて
植草さんの本を出すために
記事のスクラップを結構もっててね。
それを見たら全部揃えたくなってさ、
近所の古本屋で1冊30円でバックナンバーが
売ってたから、10年分くらい揃えたんだよ。
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ほぼ日 |
おおっ!
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高平 |
記事を全部スクラップにして、
それをもって植草さんのところにいったのが、
はじめて植草さんに会った時。
18、9で浪人してた時だったけどね。
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ほぼ日 |
植草さんはどういうジャズミュージシャンが
お好きだったんですか?
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高平 |
マイルス、ミンガス、ドルフィー、モンク、
と、よく言ったりしたもんだったんだけど。
ある種、異端のジャズが好きなんだよね。
フリージャズのフリーとは
簡単に言うとコード進行がなくていい
ということであったり。
いろんな風に、新しいジャズというのを、
植草さんがいつも紹介してくれたんですよ。
だけど70年代になってからは、
マイルス・デイビスが電気楽器をはじめたころに、
植草さん、突然、ジャズに興味が無くなって
ロックに行っちゃうんだよ!
『スイングジャーナル』は
ジャズの雑誌のはずなのに、
植草さんは毎月、ロックの話しか書かないんだよ(笑)
そのせいでそのままロックの世界に
行っちゃった人もいるくらいで(笑)
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(ゆるゆると続きます!)
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