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糸井 |
コーチになることを前提に
引退を決意した川相さんが、
原さんが辞めたことによって
ちゅうぶらりんになってしまった。
そのへんのことは、
元野球記者の人がきっと覚えてますね?
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赤坂 |
よーく覚えてます(笑)。
あのときは、けっきょく、
球団フロントも原さんの辞任と
その対応で手一杯になってしまって、
川相さんのこと忘れてるわけですよ。
まぁ、忘れてるわけじゃないにしても、
川相さんのフォローまで手が回ってない。
だけど、いくらなんでもこれは
時間が経ちすぎだぞ、っていうときに
スポーツニッポンの記者が
球団代表のところに行って訊くんです。
「すいません、川相さんは
どうなってるんでしょうか?」って。
で、「ああ! しまった!」って
あわてて電話することになるんです。
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糸井 |
すごい話ですね!
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川相 |
そうですね(笑)。
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赤坂 |
当時、ぼくは日刊ゲンダイにいたから、
その対応のまずさについては
ずいぶん書いた記憶があります(笑)。
球団、後手後手だと。
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糸井 |
なにをやってるんだと。
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赤坂 |
なにをやってるんだと。
監督は辞めちゃうわ、
功労者は店ざらし(たなざらし)だわ。
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糸井 |
「店ざらし」(笑)。
で、店ざらしされてる本人からすれば、
カンベンしてくれよ、ですよね。
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川相 |
そうですね。
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糸井 |
どんな気持ちでした?
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川相 |
そのときに、まず考えたのは、
「現役復帰できないか?」ということです。
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糸井 |
あーーー、そうか。
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川相 |
まずはジャイアンツで、
現役復帰できないか。
ジャイアンツがムリなら、
それ以外の11球団のどこかでできないかと。
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糸井 |
コーチではなく、選手として。
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川相 |
はい。
声をかけてくれるところがあれば
やってみたいと思ってました。
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赤坂 |
‥‥こういう話が出るだろうと思ってね、
いろいろ用意してきたんですよ。
たとえば、これなんか、どうですかね?
2003年10月6日のスポニチ1面です。
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糸井 |
うわーーー(笑)。
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川相 |
なんでまた(笑)。
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赤坂 |
あると、わかりやすいじゃないですか。
ほら、なかなかいい一面ですよ。
『堀内巨人断った 40歳まで現役で』
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川相 |
断ったときのやつですか。
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赤坂 |
そうです。
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川相 |
ああ、そうだ。10月6日だものね。
原さんの会見が9月26日だったから。
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糸井 |
そうか、コーチ就任の要請が
あとからあらためてあったわけだね。
つまり、原さんが辞めたあとの
「堀内巨人」から打診があったと。
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赤坂 |
水面下だったと思いますけど、
流れとしては、そういうことですね。
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糸井 |
で、川相さんがそれを断って、
現役復帰を目指す、という一面なんだ。
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赤坂 |
そう。で、『40歳まで現役で』。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
じつは、ぼくも、ただの巨人ファンとして
報道を見ながら、原さんのいない来年に、
川相さんがコーチとして残るっていうのは
きっとないだろうと思ってた。
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赤坂 |
はい、はい。
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糸井 |
で、現役復帰っていう選択は、
もう、大拍手なんですよ。
ただ、それがなにを意味するかというと、
あの川相がほかの球団の
ユニフォームを着るということで。
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川相 |
(笑)
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糸井 |
それはね、
スポーツファンとして拍手しながらも、
「やりづれー!」って思いましたよ。正直。
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赤坂 |
しかも、けっきょく、同じセリーグの
中日に決まったわけですからね。
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糸井 |
そうなんだよー(笑)。
そりゃぁ、複雑だったよ。
だって、川相だからね!
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川相 |
(笑)
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糸井 |
いや、選手を続けてくれるのは、
ほんとにうれしかったんだけどね。
ここでまた、元野球記者の人に訊くけどさ。
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赤坂 |
はい。
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糸井 |
誰が、どういうふうに動いて、
川相さんが中日へ移ったわけ?
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赤坂 |
落合さんですよ。
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糸井 |
あ、やっぱり。
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赤坂 |
あのとき、落合さんは、
日刊スポーツの専属評論家だったんです。
で、ある日、落合さんが──。
(続きます) |
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