糸井 |
名人や達人が、それぞれ
「技を教える」と言うことについて、
塩野さんはどんなことを思いますか? |
塩野 |
たくさんの
名人といわれる人に会いますが、心底では、
ぼくはその仕事をしていないから
技の難しさや実感はなかなかつかめないです。
もし、やっていても
話してくれる言葉からは
仕事や技は教われるものではないなぁ、
と思いますね。
ほとんどの弟子がいるところが
そうですが、静かなものです。
それで、
弟子たちがみんな一生懸命です。
黙々とやってます。
親方は教える人じゃないけど、
教わる場を作ってくれている。
弟子は、教わるんじゃなくて
学ぶチャンスを与えてもらっている。
材料も給料ももらってね。
中にはなんにも教えてくれないと
不満を言う人もいますが、
それは心構えが違うんですね。
木の瘤のような人の弟子は
木の瘤になろうと黙ってやってます。
見てると下手な子も要領の悪い子も、
見るからに不器用な子もいます。
叱られ上手も、叱られ下手も……。
そういうことがあるところは
ゆっくりですが、みんな育っていきます。 |
糸井 |
ある意味では「教える」制度だけが
要るのかもしれない。
ぼくは
「あるひとつのことに関して
応援団がたくさんいる」
という状態が、結局はそれをやる人を
育てるんじゃないかと思うんです。
ベトナム戦争で
ゲリラが倒せなかった理由は、
匿う味方が多かったからだといいますか、
ある分野の「匿う家」がたくさんあれば
その分野は潤うといいますか……
だからおそらく中途半端なヤツが、
どの分野でも
いちばん大事なんだと思うんです。 |
塩野 |
確かに、名人と入門者だけだと
いい職人は育たないとは言いますね。
親から子では年が離れすぎているから
中間に誰かいたほうがいい。
弟子でも
ヘタクソから上手まで並んでいると、
「がんばるとあの人ぐらいにはなれる」
という身近な目標が
狭い間隔でいればいるほど
リアリティがありますから。
それと名人の話は
もちろんおもしろいんですけど、
弟子の話もこれまたいいんです。
言っちゃ悪いけど、
まだ半端なときの心持ち。
それを素直に話してくれたときは、
こっそり拍手です。
中途半端も未熟者もいいんです。
ぼくはそれも好きなんだな。 |
糸井 |
そもそも、
「キミはほんとはやめたほうがいい」
というようなヤツが
「あの人はすごいなぁ」
と言ってくれるおかげで、
やっていけるんですからね。 |
塩野 |
ぼくはいくら
秘伝や口伝を教えてもらったところで、
実際には使い道がない。
だけどこれは面白いと他人には伝えられる。
名人はそんなこと決して言いませんから。
そうやってぼくらは、
勝手にまわりで騒いでいるだけですが、
ぼくの聞き書きを読んで
宮大工や屋根屋や炭焼きの
弟子に入った人たちがいるんです。
申し訳ない気もするんですが、
後継者ができることもあるんです。
そのためにやってるんじゃないけど、
何かが起きてくる。それはまたおもしろい。
それで、そう人たちが
今度はぼくの興味の対象になる。
寂れて、消えていきそうな仕事に
わずかですが光が当たったりすると、
そこが少し賑やかになる。
役に立ちたいとは思わないというか、
役になんか立ちたくないけど、
賑やかになるのは
忘れられるよりはいいかな。 |
糸井 |
無責任にワーワー言ってる野次馬が
たくさんいる分野はおもしろいと思います。 |
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(対談は、今回でおわりです。
ご愛読、ありがとうございました)
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