ライフ・イズ・マジック 種ありの人生と、種なしの人生と。 |
テレビに、Mが映っている。 タレントたちを前にして、 いつものように美しいカードさばきを見せている。 観客が無作為に選んだカードを当てる、 それはそれで不思議だ。 素晴らしいマジックに違いない。 だが、カードを手にし、 さりげなくシャッフル(きり混ぜること)し、 テーブルに帯のように広げるだけで、 もうそれがなにより美しいのだ。 もっと言えば、両手の中でカードを弾く独特の乾いた音、 それが聴こえてくるだけで マジックの醍醐味が伝わってくるかのように感じてしまう。 その後の不思議なカード・マジックは、 とびきりのメイン・ディッシュの後のデザートのようだ。 Mとは長い付き合いになる。 初めて会ったのは、もう20年以上も前に遡るだろうか。 私たちナポレオンズが、池袋サンシャイン劇場で 『天才宣言』などというリサイタルを行った。 その中の出し物に、20人を瞬間に消してしまう、 というのがあった。 かなりの大仕掛けな道具と、 それらを段取りよく動かしてくれる ステージ・ハンドという舞台アシスタントが必要になった。 彼らのほとんどが、以前から交流のあった 大学生のアマチュア・マジシャンたちだった。 マジックの舞台アシスタントは、 当然ながらマジックのことを理解していないと勤まらない。 そこで様々な大学のマジック同好会の面々に 声を掛けることが多かったのだ。 『天才宣言』と銘打った公演のアシスタントも、 そんな学生さんたちだった。 その中に、あのMもいたという。 正直に言うと、その時のMは私にとっては 多くのアシスタントの中のひとりに過ぎなかった。 茅場町にあるマジック・ランドという マジック・ショップでも、Mとは度々会っている。 その頃、 「え〜、ここにカードがあります」 などと言いながら、 私たちにカード・マジックを見せてくれたりしていた。 私はマジック界の先輩として、 「M君、ここにカードがあるのは見てたら分かるよ。 それより、まずは自分の名前を名乗った方が 良いんじゃないの。 いきなり知らない人に 『カードがあります』って言われても困るよね。 それに、トランプって言った方が 一般の人には馴染みやすいと思うよ」 などと、今となっては釈迦に説法のようなことを エラそうに述べていたのだった。 その頃から、Mのカード・マジックの巧さは抜群だった。 ただ、まだまるで磨かれていない原石のままだったのだが。 しばらくすると、再びMと仕事をする機会が訪れた。 Mは、なんと我々ナポレオンズのアシスタントとして 様々な仕事に同行することになったのだ。 都内のホテルでのイベント出演だったり、 東北の温泉宿での長期公演だったり、 なんだか訳の分からない 多様な仕事のアシスタントを務めてくれたのだった。 今日のMにとって、あの頃の日々が役に立った、 なんてことは微塵もない。 なんせMが経験したことと言えば、 仕事が終わったら急いで宿の中にある ボーリング場へ行って予約を取る、 なんてことだったのだから。 浴衣のままのMとボーリングに興じた。 浴衣の裾をはしょって、 どう見ても笑うしかない姿で球を転がしていたのだ。 宿の部屋に戻っても、 色んなマジシャンたちの形態を模写して、 「Mくん、一流マジシャンは みんなこういう風に腰をクネクネするんだよ。 その腰の動きで、観客の目をネタから逸らしてるんだよ。 これは僕だけの発見なんだけど、 特別に君に教えてるんだよ」 などと、もうメチャクチャなことばかりやっていた。 きっと当時のMは、あははと笑いながら、 「オレの将来はいったいどうなるんだろう? こんなしょうもないことをやってていいのだろうか?」 などと苦悶していたに違いない。 Mは突如サンフランシスコに渡った。 なんの勉強にもならない ナポレオンズのアシスタント暮らしを辞めて、 単身アメリカ・マジック修行の旅に出たのだ。 サンフランシスコからロサンゼルスへと、 Mのマジック修行の旅は続いた。 ある日、Mはひょっこりと帰ってきた。 アメリカ修行の成果をたっぷりと携えて帰国したMは、 「ご無沙汰しています。小石さん」 そう言うとにっこりと笑った。 少年っぽかったMが、 青年のMになって帰って来た瞬間だった。 (続く) |
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2004-06-03-THU
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