MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『蕎麦』


私の故郷である岐阜県関市に、
助六という蕎麦屋さんがある。
数年前の夏に帰郷した際、
姉に連れられて行ったのが最初だった。

美味い蕎麦だ。
別に美食家でもない私は、
その蕎麦の美味しさを表現など出来はしない。
けれど、始めにすすったひと口から、
なんともいえない蕎麦の滋味のようなものは
確かに感じられた。
最後の一本を食べ終えた後、
こんな美味しい蕎麦が故郷にあることに、
とても嬉しくなってしまった。

翌日もその翌日も、助六さんの蕎麦を食べた。
ある日、メニューに『釜あげ蕎麦』とあるのを見つけ、
注文してみた。大きな器から湯気がたちのぼっている。
うっすらと白濁した湯が見えた。
箸を入れて蕎麦を持ち上げ、汁につけて食べた。
表面を熱い湯に溶かされた、
とろりとした蕎麦の感触がした。
噛みしめると、しっかりとした蕎麦の歯ごたえが出てきた。
口の中に、とろりに続いて歯ごたえのある蕎麦がきて、
美味い汁と混ざり合った。

こんなに美味いのだから、ゆっくりと口の中で味わいたい。
なのに、舌は慌てたように喉の奥に蕎麦と汁を送り込む。
喉をするりと滑り降りて、
蕎麦は胃の中に落ちていってしまう。
そうなると、急いで箸を器に入れて、新たな蕎麦をたぐる。
大きな器の蕎麦は、たちまち消えてなくなった。

そばがきも、私のもうひとつの好物になった。
実際に作っているところを観察してみたのだが、
助六さんはただ器の中で
すりこぎのような棒を動かしているだけだ。
それだけで器の中でそばがきが出来てしまうのだった。
「簡単ですよ」などと言われて、私もやらせてもらった。
まるで出来やしない。
やはり、そばがきは作るより食べるに限るのだ。
かつ節やネギなどを入れた汁に、熱々のそばがきを入れる。
すぐさま口の中へ。
とろ〜り、じわじわ、ごくり。
これまた器の中のそばがきが消えてゆく。

「時々、あちこちに出掛けて、蕎麦打ち会をするんですよ」
そんな助六さんの言葉にすぐさま飛びついてしまい、
東京に来てもらうことになった。
大きな赤い木の器の中に粉がある。
その粉に少しだけ水が加えられる。
助六さんの両手が細かく動き続け、粉は小さな粒になる。
小さな粒はたちまち大きな固まりとなり、
やがて円錐形になった。
それを麺棒で延ばし、始めは丸く、
やがて菱形になり長方形になる。
薄く延ばされ、ぱたんぱたんと折られ、
まな板に乗せられる。
専用の大きな包丁でトントンと細く刻まれて、
次々と蕎麦になった。
もう一度、同じ行程をするのだが、
今度は私たちも途中から参加させてもらう。
麺棒で固まりを延ばすのだが、
助六さんのように丸くならない。
菱形も長方形も、実際にやってみると上手くいかない。
包丁で切る作業も体験してみる。
蕎麦は細くなったり太くなったり、
うどんのように太くなったり、
きしめんのような幅になったり。

作業が終わりテーブルに戻ると、
大皿に鰊、インゲンの蕎麦味噌和え、
山ぶどうの汁で漬けた大根が盛りつけられていた。
鰊は柔らかく煮えていて、
インゲンの蕎麦味噌和えはいくらでも食べられそう、
大根の漬け物はほんのりフルーツの香りがする、
初めての味わい。
大好物のそばがきは、
普通のなめこの三倍はありそうな
天然なめこの汁になって出てきた。
赤いお椀から、だし汁のいい香りがする。
始めに天然なめこを口に入れる。
噛むとさくりとして、きのこの香りが溢れ出てくる。
このところまるでお目にかかれない松茸よりも
しっかりとした香りのようで、思わず陶酔する。
その後、香りと汁がしみ込んだそばがきを食べる。
もう、このお椀だけで満足感がいっぱいだ。

皆でわぁわぁと食べた。
「うひゃぁ、これは美味いっすねぇ!」
人間は、美味しいものを食べると興奮するようで、
あちこちから大きな声があがる。
しまいカボチャという珍しいかぼちゃ、
山菜、舞茸が天ぷらになって出てきた。
カボチャは甘くサクッとしていて、山菜はほろりと苦い。
天然の舞茸はおおぶりで、歯触りと香りがあとを引く。
冷たい蕎麦がざるに盛られて出てきた。
助六さんの打ってくれた蕎麦は細く、
切り口がしっかりとしている。
味わうと、身体が真っ先に喜んでいるような気がする。

円空なた切り蕎麦が続いた。
助六さんのオリジナルで、
きしめんよりももっと幅広に切られた蕎麦だ。
塩をちょっとつけて食べると、
もう蕎麦そのものが口の中いっぱいになる。
最後に、皆で作った蕎麦が釜あげになって登場した。
「おいおい、こんな太く切ったのは誰だ」
「このきしめんみたいなの、
 私のだから、私がいただきます」
太くても細くても、
とろりとした舌触りと歯ごたえはたまらなく、
食べ終えた直後にまた食べたくなる。
とろ〜りとした蕎麦湯は、焼酎の蕎麦湯割りにする。
美味い、美味過ぎるくらいだ。

何杯もおかわりをしていい気分になった私は、
最近気に入っている『消えるコイン』というマジックを
披露した。
美味しいものを食べ尽くし、
蕎麦湯割りに陶酔した人たちは、
私のおまけマジックにも大いに満足してくれたようだ。

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2007-10-28-SUN
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