YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第14回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。
場所は、吉本さんの家。

長い長い話をしたものを、細切れに
ここに掲載しております。

こんなふうに言うと、まるでいままでがつまらなかった
みたいに聞こえるかもしれないけれど、
自分で掲載用にまとめていても、
このあたりの話はおもしろいわぁ!
若い読者から、「おもしろぞ」というメールを
もらうのも、けっこううれしいですね、この連載。

「週刊プレイボーイ」でも、
『吉本隆明・悪人正機頁』という
変則的な人生相談の企画やってます。
合わせてお読みください。
で、この第14回は、
<ロシア文学は退屈である>です。

糸井 太宰治の入り方が、
ブランドとして完全に残ったですね。
吉本 そうですね、そうなんですね。
糸井 太宰治を読む私っていう形での、
ライフスタイルブランドとして残ったけども、
文学としては、僕は完全に、やっぱり。
 
吉本 そうなんですね。
糸井 息絶えてる。
吉本 息絶えてんですよね。絶えちゃってる。
もう、これはちょっとどうすることもできない
気がしますね。
僕は、そういう気がしてならないんですよ。

それで、今、糸井さんが、
例えば、アメリカとか、
僕がイメージしているアメリカっていうイメージが
あるでしょう。
僕に一番、例えばロシアって、ソビエトですね、
ソビエトから今のロシアっていうのにかけて、
一番鮮やかなイメージを与えてくれたのは、
内村さんという人なんですよ。内村剛介って人なんです。

この人は、文学で言うと、
ロシア文学っていうのがあって、それはまあ、
ドストエフスキーとかトルストイとかって、
こう偉大なっていいますかね、
世界的な文学者という小説家がいて、
そうすると、この人たち、この小説というのは、
確かに、もう、すごいなっていうふうに思うけれどもね、
退屈だなって思うところもあるんですよね。
あの、こう、何ていったらいいんでしょう、
繰り返しでもないんですけどね、あの、
何かここまでこういうことを、
ごてごて言わんでもいいじゃないのっていう。
糸井 神様との関係とかですね。
吉本 そう、そう。
それで、小説だからね、
もうもっとすらすらと読みいいように、
流れがあったほうがいいじゃないかと思うでしょう。
それで、何でこんなに、
小説の中でお説教しちゃったり、
信仰問答しちゃったりね。、
何だあ、これはっていうふうに思いながら、まあ、
読んでくるわけですね。読んできたわけですよ。
そうすると、内村剛介は鮮やかに、
そのイメージを言ってくれたんですよ。

つまり、ロシア人っていうのは、
例えば地下鉄なら地下鉄に乗るとする。
そして、地下鉄に乗って、まあ、
日本で言うとさ、定期券でさ、
キセルやってやれと思ってさ、やってね、
それで見つかったときと、見つからないときがある。
僕は見つかったことありますけど。
見つかると、三カ月分金取られちゃうんですよ。
金取ってね。

それで、しかも、どういう金を取るかというと、
僕、学校行ってるとき、見つかったんですけど、
目蒲線というのがあってね、目蒲線の大岡山でしょう。
それで、それなのに、
何か田園調布のほう回って渋谷のほうに出た、
その料金で、三カ月分取るわけですよ。
それで、返してくれないのかって、
定期を見せたら、
いや、これは少し預かりますとか言われてね。
金は取られるしね、おれ、こっちから行ってんだから、
こっちの金じゃだめなのかって言ったら、
そうじゃないんだと。
規定だからね、遠回り、田園調布を回って、こう行くね、
中目黒も回って、渋谷へ行く、その料金だって。
こんなばかなのあるかと思って。
そういうことありましたけどね。

内村剛介が言うには、そういうキセルをやってね。
地下鉄でキセルをやってとか、
インチキして見つかっちゃった。
そういう場合に、日本と違うところは、
日本人と違うところは、
とにかく、へ理屈をこねるというんですよね。
へ理屈をこねて、そのへ理屈が通っちゃったら、
いいって、許してくれるんだっていうんですよ。
要するに、よろしいって言うんだって。
そのへ理屈が通っちゃうというところが、
ロシア人だっていうんですよね。

それで、おれは、トルストイの『戦争と平和』とかさ、
戦争論みたいな、こんなに長くやっているのに、
ばかじゃねえかと思うぐらい、
余計なことじゃねえかって思うんだけどさ、
やってるでしょう。

あれは、私は初めてわかりましたよね、そう言われて。
理屈が通っちゃったらね、理屈が通っちゃったら、全部、
もうインチキってわかってたっていいんだって。
わかってたって、理屈、へ理屈でね、とにかく、
あれしちゃってね、もう納得させちゃったら、
そしたら、いいです、いいんだって
いうふうに言ってくれるんだって。
それは、やっぱり、ロシア人だよって。
ロシア人っていうのは、そうなんだっていう。

それで、おれは初めてトルストイとか、
ドストエフスキーの、あのしち面倒なという、
言わんでもいいようなことをたくさん書いてあるんで、
それは初めて、ほおーっ、わかったなって思いましたね。
糸井 僕も今聞いて、さかのぼってわかりましたよ。
吉本 いや、そうなんですよ。
糸井 何でドストエフスキーが好きだったかも
わかりましたよ、実を言うと。
吉本 そうなんですよね。すごいそうなんだって。
ほんとにそうなんだって。
糸井 どう言ったらいいのかな、若いときに、
何でもわかる先輩がほしいわけですよね。
だから、ドストエフスキーは、僕にとって、
今、今の話聞いてわかったのは、百科事典だったんですよ。
吉本 そうなんだろうなあ。
糸井 全部入ってるから、
この人が一番だって思えるような。
吉本 そうなんでしょうね。とにかく、そうですよ。
宗教から。
糸井 全部入ってますよ。
吉本 全部入ってるんですよね。
いやあ、こりゃあね、いや、それはね。
糸井 栄養ありそうで。
吉本 (笑)栄養ありそうで。
そりゃあね、内村剛介が説明してくれたんですよ。
だから、彼は、ものすごくよく、それを心得てね。
あの、会社勤めのときは随分助かりましたよとか、
言ってましたけどね。
いやぁ、その心得てってすごいですね。
そうしたら、初めて僕はわかって、
ロシア人というのは、そうですよっていう。

それと、あの人から教わったのは、
ウオッカの飲み方というの。
これは、ロシア人って、酒みんな強くて、
ウオッカで一斉に乾杯してさ、
あんまり日本人がすぐつぶれちゃうのに
平気だというのがあるでしょう。
確かに、酒飲み、寒いから酒飲みだっていうのもね。
要するに、あれは、口を通さないんだって。
すぐに、いきなりのどに行く、
つまり、のど仏の下にいくような感じで飲むんだって。
そしたら大丈夫ですよって、これ、大丈夫なんだって。
ほんとのロシア人の飲み方は、そうなんだって。

もっとも、口の中に入れて、こう、
含んだみたいになったら、これは、
全部回っちゃうというくらい回っちゃうからね。
そんなことしないんだ。いきなり、もう口を、
ほんとなら、口をさわりもしないで、
いきなり食道行かせちゃうみたいな感じで飲むんだってね。
そりゃあもう、彼が教えてくれて、
それは一般的にいうと強い、強い酒っていうか
アルコールを飲むときは、そうする。
糸井 テキーラなんかも、そういう。
吉本 そう。それはいいんだっていうふうにね、
彼は盛んに言ってまして。
糸井 つまり、味覚と関係なく酒があるっていうような。
吉本 そう、そう。それも、おもしろかったですけどね。
糸井 なるほどなあ。
日本人は、もしかしたら、飲まなくっても、
口の中にあるだけでいいかもしんないですね。
吉本 そうなんですよね。
それで、もう酔っぱらっちゃうみたい。
それから、酒粕のこうにおいをかいただけで、
酔っぱらっちゃう人いるっていうものね、日本人で。
糸井 色気がある。(笑)
吉本 いますからね。それくらい、
そういう飲み方すれば、いいんですよって、
こういうふうに、もっと非合法なことも言ってましたけど、
それはそれとして。
糸井 どそれはどういう。
吉本 合法的なね、文学関係とかも、
そういうあれでいうと、そうなんだって。
それから、もう人間関係ってそうなんだって。
あのへ理屈の好きさっていうのは、ちょっとそれは、
また独特でね、あいつはちょっと心得ていると、
心得てないとでは、まるで違っちゃうんですよなんて。
糸井 今、二度、びっくりしたんですよ。
吉本さんが、
何でこんな回りくどい退屈なことを書くんだと思いながら、
トルストイを読んでいたってことを知って、
おれと同じじゃないかって。(笑)
吉本 そうなんですよ。そうなんです。
ほんとにそうだったんです。
糸井 まず、一度、それで浮かんだと思って。(笑)
吉本 そうなんですよね。
糸井 退屈ですよ。我慢ですよね。
吉本 ほんとに我慢しないと、読めない
読みおおせないというやつ。
それをさ、ロシア文学者っていうのは、
そういうことも一緒言ってくれればいいんですけど、
なかなか言ってくれなくて。
糸井 我慢だって、そう思って読んだけど。
吉本 名作だばっかりは言うんですけどね。
それは言わないんですね。それ、言ってくれりゃあ。
内村剛介が初めてですね。
糸井 助かりましたね。
吉本 言ってくれのたは初めてですね。
これは、日本の古典でもそうでね。
ほら、よく、国文学の古典のあれとかさ、
近ごろだと、瀬戸内寂聴がさ、
源氏物語の現代語訳したばっかりだから、
あの人は時々、テレビに出てきて、
源氏物語の話なんかするんですよね。
してさ、だけど、して、すばらしいことばっかり、
すばらしい点とすばらしいことばっかり言うんだけど、
ほんと言ったら、あんな退屈な。
糸井 ほとんど退屈ですよね。
吉本 退屈ですよ。
あれって、特にさ、たかが、
たかがって言ったら悪いけどさ、要するに、
男と女が、まあ、通って仲よくなってどうしたとか、
別れたとか、そういう話でしょう。
それを綿々とやるわけですからね。
それで、まあ、その時々、女の人が、
対象が変わるから、まあまあ、それは。
糸井 飽きないで。
吉本 飽きないでね。
バリエーションがあるけど、いずれにしても、しかし、
やることは同じだし、
描写も同じことを描写せなならんわけでさ、
退屈だっていうことを言わなければ、
あれは、だめだと思うんですね。
でも、言わないもんね、退屈だって。
糸井 気持ちいいな、そんな……。
吉本 (笑)退屈だ、退屈だって言わないですよ、
そういう人たちは。
名作の、すごい名作だ、名作だ、ばっかり。
糸井 でも、それって、
結局ブランドを守っているビジネスですよね。
吉本 そういうことですよね。それだけのことです。
糸井 エルメスだよって話ですよね。
吉本 そう、そう。それだけですよね。
糸井 それはねえ、ずるいなと思うんですよ。
吉本 そうですよね。
それはもう、いやぁ、僕はほんとにそう思いますね。
糸井さんの専門のほうのあれで言うとさ、僕、今、
目はあれだから、そんなに熱心じゃないけど、
まあ、今も見てるテレビの番組で、
おもしろいなっていうふうに、
まだ、依然としておもしろいなって
いうふうに言ったらいいのか、
あれは、一つは、さんまの何ていうんだろう。
糸井さんも、出たことあるよね。
糸井 「踊るさんま御殿」、おもしろいですよ。

1999-05-20-THU

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