糸井 |
太宰治の入り方が、
ブランドとして完全に残ったですね。 |
吉本 |
そうですね、そうなんですね。 |
糸井 |
太宰治を読む私っていう形での、
ライフスタイルブランドとして残ったけども、
文学としては、僕は完全に、やっぱり。 |
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吉本 |
そうなんですね。 |
糸井 |
息絶えてる。 |
吉本 |
息絶えてんですよね。絶えちゃってる。
もう、これはちょっとどうすることもできない
気がしますね。
僕は、そういう気がしてならないんですよ。
それで、今、糸井さんが、
例えば、アメリカとか、
僕がイメージしているアメリカっていうイメージが
あるでしょう。
僕に一番、例えばロシアって、ソビエトですね、
ソビエトから今のロシアっていうのにかけて、
一番鮮やかなイメージを与えてくれたのは、
内村さんという人なんですよ。内村剛介って人なんです。
この人は、文学で言うと、
ロシア文学っていうのがあって、それはまあ、
ドストエフスキーとかトルストイとかって、
こう偉大なっていいますかね、
世界的な文学者という小説家がいて、
そうすると、この人たち、この小説というのは、
確かに、もう、すごいなっていうふうに思うけれどもね、
退屈だなって思うところもあるんですよね。
あの、こう、何ていったらいいんでしょう、
繰り返しでもないんですけどね、あの、
何かここまでこういうことを、
ごてごて言わんでもいいじゃないのっていう。 |
糸井 |
神様との関係とかですね。 |
吉本 |
そう、そう。
それで、小説だからね、
もうもっとすらすらと読みいいように、
流れがあったほうがいいじゃないかと思うでしょう。
それで、何でこんなに、
小説の中でお説教しちゃったり、
信仰問答しちゃったりね。、
何だあ、これはっていうふうに思いながら、まあ、
読んでくるわけですね。読んできたわけですよ。
そうすると、内村剛介は鮮やかに、
そのイメージを言ってくれたんですよ。
つまり、ロシア人っていうのは、
例えば地下鉄なら地下鉄に乗るとする。
そして、地下鉄に乗って、まあ、
日本で言うとさ、定期券でさ、
キセルやってやれと思ってさ、やってね、
それで見つかったときと、見つからないときがある。
僕は見つかったことありますけど。
見つかると、三カ月分金取られちゃうんですよ。
金取ってね。
それで、しかも、どういう金を取るかというと、
僕、学校行ってるとき、見つかったんですけど、
目蒲線というのがあってね、目蒲線の大岡山でしょう。
それで、それなのに、
何か田園調布のほう回って渋谷のほうに出た、
その料金で、三カ月分取るわけですよ。
それで、返してくれないのかって、
定期を見せたら、
いや、これは少し預かりますとか言われてね。
金は取られるしね、おれ、こっちから行ってんだから、
こっちの金じゃだめなのかって言ったら、
そうじゃないんだと。
規定だからね、遠回り、田園調布を回って、こう行くね、
中目黒も回って、渋谷へ行く、その料金だって。
こんなばかなのあるかと思って。
そういうことありましたけどね。
内村剛介が言うには、そういうキセルをやってね。
地下鉄でキセルをやってとか、
インチキして見つかっちゃった。
そういう場合に、日本と違うところは、
日本人と違うところは、
とにかく、へ理屈をこねるというんですよね。
へ理屈をこねて、そのへ理屈が通っちゃったら、
いいって、許してくれるんだっていうんですよ。
要するに、よろしいって言うんだって。
そのへ理屈が通っちゃうというところが、
ロシア人だっていうんですよね。
それで、おれは、トルストイの『戦争と平和』とかさ、
戦争論みたいな、こんなに長くやっているのに、
ばかじゃねえかと思うぐらい、
余計なことじゃねえかって思うんだけどさ、
やってるでしょう。
あれは、私は初めてわかりましたよね、そう言われて。
理屈が通っちゃったらね、理屈が通っちゃったら、全部、
もうインチキってわかってたっていいんだって。
わかってたって、理屈、へ理屈でね、とにかく、
あれしちゃってね、もう納得させちゃったら、
そしたら、いいです、いいんだって
いうふうに言ってくれるんだって。
それは、やっぱり、ロシア人だよって。
ロシア人っていうのは、そうなんだっていう。
それで、おれは初めてトルストイとか、
ドストエフスキーの、あのしち面倒なという、
言わんでもいいようなことをたくさん書いてあるんで、
それは初めて、ほおーっ、わかったなって思いましたね。 |
糸井 |
僕も今聞いて、さかのぼってわかりましたよ。 |
吉本 |
いや、そうなんですよ。 |
糸井 |
何でドストエフスキーが好きだったかも
わかりましたよ、実を言うと。 |
吉本 |
そうなんですよね。すごいそうなんだって。
ほんとにそうなんだって。 |
糸井 |
どう言ったらいいのかな、若いときに、
何でもわかる先輩がほしいわけですよね。
だから、ドストエフスキーは、僕にとって、
今、今の話聞いてわかったのは、百科事典だったんですよ。 |
吉本 |
そうなんだろうなあ。 |
糸井 |
全部入ってるから、
この人が一番だって思えるような。 |
吉本 |
そうなんでしょうね。とにかく、そうですよ。
宗教から。 |
糸井 |
全部入ってますよ。 |
吉本 |
全部入ってるんですよね。
いやあ、こりゃあね、いや、それはね。 |
糸井 |
栄養ありそうで。 |
吉本 |
(笑)栄養ありそうで。
そりゃあね、内村剛介が説明してくれたんですよ。
だから、彼は、ものすごくよく、それを心得てね。
あの、会社勤めのときは随分助かりましたよとか、
言ってましたけどね。
いやぁ、その心得てってすごいですね。
そうしたら、初めて僕はわかって、
ロシア人というのは、そうですよっていう。
それと、あの人から教わったのは、
ウオッカの飲み方というの。
これは、ロシア人って、酒みんな強くて、
ウオッカで一斉に乾杯してさ、
あんまり日本人がすぐつぶれちゃうのに
平気だというのがあるでしょう。
確かに、酒飲み、寒いから酒飲みだっていうのもね。
要するに、あれは、口を通さないんだって。
すぐに、いきなりのどに行く、
つまり、のど仏の下にいくような感じで飲むんだって。
そしたら大丈夫ですよって、これ、大丈夫なんだって。
ほんとのロシア人の飲み方は、そうなんだって。
もっとも、口の中に入れて、こう、
含んだみたいになったら、これは、
全部回っちゃうというくらい回っちゃうからね。
そんなことしないんだ。いきなり、もう口を、
ほんとなら、口をさわりもしないで、
いきなり食道行かせちゃうみたいな感じで飲むんだってね。
そりゃあもう、彼が教えてくれて、
それは一般的にいうと強い、強い酒っていうか
アルコールを飲むときは、そうする。 |
糸井 |
テキーラなんかも、そういう。 |
吉本 |
そう。それはいいんだっていうふうにね、
彼は盛んに言ってまして。 |
糸井 |
つまり、味覚と関係なく酒があるっていうような。 |
吉本 |
そう、そう。それも、おもしろかったですけどね。 |
糸井 |
なるほどなあ。
日本人は、もしかしたら、飲まなくっても、
口の中にあるだけでいいかもしんないですね。 |
吉本 |
そうなんですよね。
それで、もう酔っぱらっちゃうみたい。
それから、酒粕のこうにおいをかいただけで、
酔っぱらっちゃう人いるっていうものね、日本人で。 |
糸井 |
色気がある。(笑) |
吉本 |
いますからね。それくらい、
そういう飲み方すれば、いいんですよって、
こういうふうに、もっと非合法なことも言ってましたけど、
それはそれとして。 |
糸井 |
どそれはどういう。 |
吉本 |
合法的なね、文学関係とかも、
そういうあれでいうと、そうなんだって。
それから、もう人間関係ってそうなんだって。
あのへ理屈の好きさっていうのは、ちょっとそれは、
また独特でね、あいつはちょっと心得ていると、
心得てないとでは、まるで違っちゃうんですよなんて。 |
糸井 |
今、二度、びっくりしたんですよ。
吉本さんが、
何でこんな回りくどい退屈なことを書くんだと思いながら、
トルストイを読んでいたってことを知って、
おれと同じじゃないかって。(笑) |
吉本 |
そうなんですよ。そうなんです。
ほんとにそうだったんです。 |
糸井 |
まず、一度、それで浮かんだと思って。(笑) |
吉本 |
そうなんですよね。 |
糸井 |
退屈ですよ。我慢ですよね。 |
吉本 |
ほんとに我慢しないと、読めない
読みおおせないというやつ。
それをさ、ロシア文学者っていうのは、
そういうことも一緒言ってくれればいいんですけど、
なかなか言ってくれなくて。 |
糸井 |
我慢だって、そう思って読んだけど。 |
吉本 |
名作だばっかりは言うんですけどね。
それは言わないんですね。それ、言ってくれりゃあ。
内村剛介が初めてですね。 |
糸井 |
助かりましたね。 |
吉本 |
言ってくれのたは初めてですね。
これは、日本の古典でもそうでね。
ほら、よく、国文学の古典のあれとかさ、
近ごろだと、瀬戸内寂聴がさ、
源氏物語の現代語訳したばっかりだから、
あの人は時々、テレビに出てきて、
源氏物語の話なんかするんですよね。
してさ、だけど、して、すばらしいことばっかり、
すばらしい点とすばらしいことばっかり言うんだけど、
ほんと言ったら、あんな退屈な。 |
糸井 |
ほとんど退屈ですよね。 |
吉本 |
退屈ですよ。
あれって、特にさ、たかが、
たかがって言ったら悪いけどさ、要するに、
男と女が、まあ、通って仲よくなってどうしたとか、
別れたとか、そういう話でしょう。
それを綿々とやるわけですからね。
それで、まあ、その時々、女の人が、
対象が変わるから、まあまあ、それは。 |
糸井 |
飽きないで。 |
吉本 |
飽きないでね。
バリエーションがあるけど、いずれにしても、しかし、
やることは同じだし、
描写も同じことを描写せなならんわけでさ、
退屈だっていうことを言わなければ、
あれは、だめだと思うんですね。
でも、言わないもんね、退屈だって。 |
糸井 |
気持ちいいな、そんな……。 |
吉本 |
(笑)退屈だ、退屈だって言わないですよ、
そういう人たちは。
名作の、すごい名作だ、名作だ、ばっかり。 |
糸井 |
でも、それって、
結局ブランドを守っているビジネスですよね。 |
吉本 |
そういうことですよね。それだけのことです。 |
糸井 |
エルメスだよって話ですよね。 |
吉本 |
そう、そう。それだけですよね。 |
糸井 |
それはねえ、ずるいなと思うんですよ。 |
吉本 |
そうですよね。
それはもう、いやぁ、僕はほんとにそう思いますね。
糸井さんの専門のほうのあれで言うとさ、僕、今、
目はあれだから、そんなに熱心じゃないけど、
まあ、今も見てるテレビの番組で、
おもしろいなっていうふうに、
まだ、依然としておもしろいなって
いうふうに言ったらいいのか、
あれは、一つは、さんまの何ていうんだろう。
糸井さんも、出たことあるよね。 |
糸井 |
「踊るさんま御殿」、おもしろいですよ。 |