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糸井 |
オリジナル・ラブの田島貴男さんは
「かつて、昔の歌謡曲をバカにしてた」
と言うんです。
こういうのじゃなくて俺はこっちだと。
みんなそうですよ。バンドマンはみんなそう。
「ところがいま、
ジュリーとか歌うと、いいんですよね」
と言うわけ。
カラオケの店でその話をしてたんだけど、
「いいだろ?」という曲が次々に出てくるんです。
「歌謡曲を陳腐な歌とバカにしてきた人たちが、
そういう歌に復讐されるんだよね」って。
そんな田島くんはアルバム(『白熱』)で
『なごり雪』を歌った。
『なごり雪』はやっぱり
ほんとによくできてる歌なんです。
あの歌の中にはものすごく
たくさんの要素が入ってて、
「お前それ作れる?」って言われたときには、
「『なごり雪』恐れ入りました!」
「『なごり雪』、ごめんなさい」ってなる。
やっと、田島くんの世代がそこに
自由に行けるようになった、
と思って、この先おもしろいな、って。
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宮沢 |
まさにぼくもそうです。
ぼくは、もう受け入れちゃいましたよ。
ぼくのルーツはパンクでもニューウェーブでも
ロックでもなかったなと。
その前に聴いてた、父親と母親が歌ってた
『有楽町で逢いましょう』や、
『コモエスタ赤坂』のようなムード歌謡だし。
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糸井 |
いいんだよね。それがいいんだよ。
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宮沢 |
ぼくはそれがルーツですって言ってしまおう、と。
そっちのほうが、居心地いいし。
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糸井 |
そうすると、だからどこの場所にも
サッとこう逃げられるっていうか、
スポーツマンのような動きができますよね。
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宮沢 |
できますね。色々準備しなくてもいいし。
ジミ・ヘンドリックス、
レッド・ツェッペリンを
カッコイイと思ったんですよね。
でも、ぼくとはやっぱり違うから。
そこでロックが好きっていうのと、
ロックの居心地の悪さみたいなことが
ずーっとこの20年あって。
で、震災の2年ぐらい前からかな、
「居心地よくのびのびとできるのは‥‥」
そうカミングアウトしたほうが
素敵だな、と思って。
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糸井 |
面白いなあ!
それはもう自由ってことですよ。
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宮沢 |
で、いまちょっと違和感があるんですよ。
同世代のイベントなんかにも行っても、
ぼく一人がちょっと違うということに。
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糸井 |
若い子がやってることも、
一所懸命探ってるから
大変なんだろうなと思うんだけど、
やっぱりそれはぼくは
「他人(ひと)の服着てないか?」って思う。
震災以後、ぼくと会いたいっていう
若いミュージシャンが増えたんですよ。
向こうも、「オレとおんなじか」って
思ったのかもしれない。
ぼくも「面白いな」と思うし、
「いいぞ」って思うんだけど、
まだこの先にものすごく
自由になるチャンスがある、
いまは十分不自由なとこでやってるんだから、
もっとずっと良くなるから、って
言ってあげたい感じがしますね。
矢野顕子は三橋美智也の“達者でナ”を
デビュー時代から歌ってましたからね。
あれはもうマセてたと言えるけど。
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宮沢 |
あははは(笑)。
矢野さんからは、
「スタイルっていう言葉を音楽で使うな」
ってずーっと言われてました。
「スタイルじゃないんだから」と。
で、ぼくがちょっとスタイル寄りになっていくと
すごく怒られました。
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糸井 |
なるほどね! よく分かります。
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宮沢 |
“ジャンル”みたいなことを言い出すと、
「音楽家・宮沢でいろ」と。
ま、直接そう言われたわけじゃないですけども、
「スタイルはとにかくやめなさい」って。
その代わり色んなスタイルを勉強しろ、
そしてそこから自由になれってこと。
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糸井 |
スタイルっていう言葉の使い方なんだけど、
“あなたが好き”っていう
たったの5文字もカッコよくも歌えるし、
胸を打つようにも歌えるし、
「下手くそー」って悪口言いながら
また聴きたくなるような歌い方もできる。
けれども“あなたが好き”という
たった5文字の歌そのものを
スタイルって言っていいんじゃないかなって
ぼくは、思い始めたんです。
つまり文章でいうと文体。
「あなたが好き」っていくら言われても
ちっとも響かないときは、
それは文体ができていないんだ。
でも、ある文体で歌われちゃうと、
「俺も好きだよ」って言いたくなることもある(笑)。
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宮沢 |
(笑)。
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糸井 |
歌謡曲っていうのもある意味では文体ですよね。
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宮沢 |
そうですよね、そうなりましたね。
でも結果的にいま歌謡曲が無くなってます。
歌謡曲っていう言葉を使うシーンが無いですよ。
もともとは調べてくと、日本古来のもの、
土と向き合ってるときに生まれた歌と、
あこがれの外国のものがミックスされたときに
生まれたミュータントっていうか、
それを歌謡曲って呼んでたようなんですけど、
時代とともに都合のいい使われ方をして。
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糸井 |
混血の仕方が変わるからね。
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宮沢 |
ええ。結局ラップとかとのまじわりになってくると
ちょっと肌触りの違う言葉だってはじかれて、
演歌とニューミュージックの間みたいな、
微妙なとこにいる感じもありますし。
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糸井 |
ぼくは玉置浩二くんっていう人のことを
最後の歌謡曲だと思っているんです。
ボロボロになってまた復活してコンサートやって、
もうダメだろ思っても、すっごく歌い上げる。
歌ってる内容について何かをメッセージ
してるわけでもなければ、とにかくなんだろう‥‥
「これはなに?」っていう、
フェロモンなんだか何だかがあるんです。
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宮沢 |
歌の中にこれを伝えたいんだとか、
メッセージとかは、無いじゃないですか。
小田和正さんの歌にも共通する部分を感じて。
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糸井 |
あ、小田さんも無いね。
美空ひばりも無いですよ。
美空ひばりの、他人の歌を歌ってるのは、
その“無さ”がものすごくいいですよ。
他の歌手がカバーするときは、やっぱり少し
「私はこう考えます」みたいになるんだけど。
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宮沢 |
たぶんそれは歌の邪魔なんだと思うんですよ。
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糸井 |
そうか、邪魔なんだね‥‥。
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宮沢 |
さっきおっしゃった、
詩に頼りすぎず、
もっとフィーリングでっていうこと、
ここまでお話しさせていただいて、
すごく自分の中に響くんです。
意味に頼っちゃうと楽なところを、
その先にもっと素敵な世界があると、
小田さんとか玉置さんは
気付いてたりしてるのかもしれない。 |
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(つづきます) |