第99号 最近のデリバリー版のネタより。
※2日に1度、無料配信している
メールマガジン「ほぼ日デリバリー版」の
最近の特集のなかから、もりあがったメールの数々を
ご紹介いたします。ぜひ、登録をしてくださいねー!
・友だちのダンナはアメリカ人なんですが、
以前、日本に住んでいたことがあって
けっこう日本語の読み書きができます。
でもいつも、ちょっとずつ違っています。
クリスマスに日本に来たときは、
おみやげがいっぱい入った大事な段ボールに
こわれものと書こうとして、
「かわりもの」と書きまつがえていました。
空港で不審に思われ、中を開けられたんですが
入っているのはサンタクロースの衣装とかばかりで、
「なんだこりゃ」と笑われたそうです。
あと、腕に日本語のタトゥーがあるんだけど、
「今日は死ぬのに良い日だ」のはずが、「日」が抜けて
「今日は死ぬのに良いだ」となっています。
米国人彫り師の彫りまつがいだそうです‥‥。
わりと、かわいい感じでいいと思うんだけど、
日本では隠してましたよ。
(スノウ)
・お孫さんに頼まれて柱に「ぴか忠」の文字を刻む
おじいちゃんのお話が載っていましたが、
3年前に亡くなってしまった
私のおじいちゃんを思い出しました。
我が家ではキティという猫を飼っておりましたが、
私の弟が生まれることになり、
「猫の毛は赤ちゃんによくないのではないか?」
と周囲からの意見もあり、
キティはおじいちゃんの家に預けられることになりました。
その後、おじいちゃん家に遊びに行くと、
キティは「きちべぇ」と
勝手に名前を変えられていました・・・。
当時私はファンシーなものが大好きな小学生だったもんで、
「きちべぇなんて可愛くない!!キティちゃんだよぅ〜!!」
と激しく抗議しましたが、結局、
いつもおじいちゃんは「きちべぇ」と呼んでいました。
その後、キティはおじいちゃんの家を脱走し、
我が家に戻って来ることは無かったのですが、
3年前におじいちゃんが亡くなって、
久々におじいちゃんの家に行き
まわりをうろちょろしていたら、納戸の木戸の所に
「吉兵衛の為に戸をスコシ開けておくこと」と
おじいちゃんがチョークで書いた字を発見しました。
「キティには漢字の名前がちゃんとあったんだ!?」
とびっくりでした。今となってはもう
「おじいちゃん、「吉兵衛」って渋い名前だね!」
と話す事も出来ないし、残念でなりません。
もっともっと、たくさん話したかったよ。
(k)
・小学校時代、産休交代として
数か月間赴任されていた先生は、
ご自身も妊娠、女の子を出産され、
産まれた赤ちゃんを連れて
学校に尋ねて来られた時がありました。
赴任期間が短かったせいか、
私には大した感慨も無かったのですが、
先生はわざわざ私の所まで来られ、おっしゃいました。
「アナタのように育って欲しいから、
あなたの名前をもらったのよ。ありがとう」
当時、名前に「子」がついて読み方は
3文字というのが大多数で、
「子」が無くて二文字の自分の名前が大嫌いでした。
片田舎の小さな小さな小学校で、
先生の答えられない質問をすることに
生き甲斐を感じていた小生意気な小学生は、
あの時はじめて、自分の名前が嬉しかったのです。
(美穂)
・家族でテレビを見ていたとき、母が突然
「あ、ゴーン様や。カルロス・ゴーン様!」と叫びました。
画面に映っていたのは、オリバー・カーン様でした。
(くまねこ)
・うちの母がカーン様のタイヤのCMをみて、
「あら!ベッカム!」
私がカーン様のセーブシーンの
録画ばかり見ていたのと、
テレビから連日聞こえた「ベッカム」ブームが
きれいに混じったみたいです。
でも、
「‥‥カーン様に失礼だ!」
と叫んだ自分も自分かと反省しています。
(ほみ)
・祖母はイヌ年生まれで「ヌイ」です。
ちなみに僕の父は
「もうこれ以上子供はいらない!」
という祖父・祖母願いを込めて
「止(とどむ)」と名づけられ、
父の弟であるおじさんは
「止まるでもだめなら・・・」
と「進(すすむ)」と名づけられました。
・・・幸いなことに進おじさんは末っ子です。
うちの実家の近くに
趣味でドーム型の観測設備を立ててしまった
天体観測マニアの方が住んでます。
そのお宅の長女の名前は、アンドロメダ。
しかし、この名前は市役所でも問題になったらしく
長男の名前はせめて漢字にということで
「星子(せいじ)」と名づけられました。
僕は今、実家を離れてしまっているので、
大きくなったアンドロメダちゃんは見てませんが、
小学生だった彼女の名札に「アンドロメダ」と
小さな文字がぎっしりと書かれていたのを記憶してます。
彼女の風貌は、名前の華やかさとは裏腹に地味でした。
(m)
・会社ではたまにテレビが流れていて
ある昼のニュース番組を見ていて
ある後輩がこう言いました。
「このニュースのネーミング勢いあって
わかりやすくて最高っすよね。
あの、レインボいっぱつ!ってやつ」
‥‥おいおい、それはフジテレビの
ニュース「レインボー発(はつ)」だよ!
たしかに一発屋のニュース番組ならわかるけど、
フジテレビさんも「いっぱつ」なんてつけないでしょ。
数字じゃなくて、横ボー。
その同じ後輩がスポーツ新聞の
サッカー欄の見出しを見て言いました。
「このヴェルディー丸(まる)って
っなんかかっこいいっすよね。
なんかヴェルディーも
これから船出って感じでいいじゃないっすか!」
‥‥おまえ、それ、ヴェルディいちがん(一丸)って
見出しだよ。横ボーじゃなくってイチだって!
あくまで横ボーの読み方に弱い後輩なのでした。
(イデー)
・以前のデリバリー版で紹介された
「父の初恋の名前を付けられた者」です。
たびたび同じネタで申し訳ないのですが、
440号の「えりか母」さんの
「名前に大して思い入れはない」というメールを見て
「そうなんです!」と思わずメールしてしまいました。
父曰く、その初恋の女性は、
綺麗で頭が良くて優しくてクラスの人気者だったとか。
しかーし!今となっては、
相手の顔はおろか、名字さえも忘れている様子。
・・・・そんなもんです。。。
でも、そんな父にも、心強い味方が。
自分自身も、男なのに「かずみ」という、
怪しい名をつけられた弟です。
弟は、父の気持ちが分かると言います。
自分が同じことをしでかしたら、
家族には一生黙ってて
墓場まで持っていくと言っています。
・・・・それもどうよ?
恐るべしDNA。そんなとこまで遺伝しちゃうんですね。
(ゆ)
・私の名前は「久美子」と言います。
久美子と由美子の2つ候補があり、
由美子は父の昔の恋人の名だとかなんだとかで、
母が猛反対してこうなった、と聞いたことがあります。
(n)
・私の父方の祖母にはたくさんの名前がありました。
曾祖父が、5人姉弟の長女の祖母に付けた名が「そと」。
今のようなワープロもなく毛筆で、
曾祖父がささーっと書いた字を読み間違えたのか、
書き違えたのか・・・戸籍謄本を見るとなんと「ろと」に。
さらに、普段は、「おそとちゃん」だったのを、
いつか祖母が自分の意志で「雅子」にしちゃったそうです。
私が気付いた時には、「雅子」でしたが、
92歳で亡くなるまで本籍は「ろと」でした。
(うろん)
・今日、買いもの途中に
目に飛びこんできた文字のことを
誰かに言いたくてメールしました。
軽トラに横書きで「のもけつお」。
一瞬驚かされましたが、「おつけもの」だとすぐに気付き、
おかしくなってきました。
‥‥「のもけつお」さんって誰?(笑)
つまんないかもしれませんが、そういう話です。
(Marin)
・私の名前は「晶子」と書いて「しょうこ」と読みます。
ちょっと変わった読み方なので、
よく人に由来ついて聞かれ、子どもなりに
少し得意げに親に教えられたとおりに答えていました。
でも時々、大人の人に笑われたりして
不思議に思っていました。
その由来とは‥‥
「お父さんとお母さんの愛の結晶だから晶子」
中学生くらいからは人に言えなくなりました。
(たらを)
・環境調査の仕事をしていて、
報告書作っている時に
「同定の為の参考文献」と入力して変換したら
「童貞の為の参考文献」と出てしまい、
思わず、「ぷっ」とふきだしてしまいました。
「童貞の為の参考文献」
って結構いろいろありそうですね‥‥。
(Tom)
・母は最近携帯メールを覚え、
楽しくてしょうがないらしく、
同じ家に住んでいるにもかかわらず、
通勤時などにメール交換をしています。
「こうゆうのんがメルユウって言うん?」
・・・それはメルトモです。それ以前に親子だよ。
(メ)
・中学3年生の時のことです。
1年生の時には同じクラスだったけれど、
クラスが別になってから好きになった男の子と
同じ委員になりました。
委員会が終わり、薄暗くなった下駄箱で、
その男の子と一緒になり、
「よっ」って感じで声を掛けてくれました。
変に意識しちゃいけないいけないと思いながら、
「ばいばい」ってさりげなく言おうと考えていました。
別れ際、彼は気持ちよく「じゃーねー」といってくれました。
そして私の口から出たのは、「ばーねー」…。
彼は気づいていたのかわからなかったけれど、
私はしばらくの間思い出すたびに、
身をよじるような後悔の念に襲われたものでした。
(ま)
・ある日、家のキッチンに
小学校の赤白帽子が落ちていたので、
拾ってみたけれど、
名前になんと書いてあるか分からない。
「これ、お友だちのかなあ? 誰のか分かる?」
と小学五年生の息子に訊いたところ、
「これ、ぼくの。暗号で書いてみたんだ!」
と答えた。
‥‥暗号で記名したら、
落し物として拾われた時に何の意味もないじゃない。
(リナコ)
・うちのお母さんは、
運転しながら周りの人の事を話すのが癖で、
空気を入れ替える為に窓を開けているのを忘れて、
前を横切った女の人に「おい!オバサン」と言い、
なかなか割り込ませてくれないトラックの運転手さんに
「あ!この人性格悪そうな顔してる」と言いました。
運転手さん、窓開けてたのに‥‥。
(yo)
・信号待ちしていたら、
目の前に「しなちく」と書いたバス。
濃いなぁ、と思ったら、奈良にある
「くちなし幼稚園」のバスでした‥‥。
また、職場の近くでは
「田中衛生株式会社」とう清掃車がよく走っていて、
どうしても「くにえ」と判読してしまいます。
乗っている方もなんとなく素朴な感じが‥‥。
(よしぼお)
・うちの母は75歳ですが、
新潟の実家に帰ると親族・ご近所の皆様には
「マチャ」または「マチャ子」などと呼ばれています。
しかし、母の本当の名は「アキ」。
通名を使ったこともありません。
春美叔母さんが
「ぽん子」と呼ばれていることより不思議です‥‥。
(k)
・入れ墨で思い出したのですが、
友人がアメリカに行った時、
税関でごついアメリカ人に
「オレは昔日本にいたんだよ」
と声をかけられ、日本で入れ墨を入れたんだけど
「なんて書いてあるのかわからないから教えてくれ」
と頼まれたそうです。
太くてごつい二の腕には、
漢字で「親切」と彫られていたそうです。
(な)
・私の祖父は録郎と言います。
これは町の戸籍係の人がつけた名前なんです。
本当は八十八(やそはち)で届けたのに
「生まれたばかりの赤ん坊に八十八はないだろう。
戸籍はずっと記録に残るんだから…記録…録…男
だけど録男じゃ読み方が変だし…録郎にするか」
で、決まったそうです。
だから、田舎に帰ると今でも近所の人たちは
祖父を「やそちゃん」と呼びます。
(孫康)
・沖縄には変わった苗字の方が沢山いらっしゃいます。
私の友人が結婚した相手は、「根路銘(ねろめ)」さん。
県外の人に名乗る時、必ず
「え?『ニャロメ』さん?」と聞き返されるそうです。
(shiro)
・私は中学の卒業文集に
とんでもない言葉を載せてしまいました
寄せ書きのところになぜか自分の名前の前に
キャッチフレーズのように
「〇〇な生娘」と書いてしまいました
確かにその時(15歳)は「生娘」だったので
言いまつがいではないのですが、
当時耳年増だった私は言葉は知っていても
意味を勝手に「小生意気だけど粋な娘」と解釈しまつがい…。
以来、同窓会に誰も卒業文集を
持って来ませんようにと祈ってます。
みんなが大切にとっておくであろう物に
わざわざそんな言葉を載せてしまって…
本当の意味を知ってから同窓生全員の文集を回収して
墨で塗りつぶしたいと思い続けてもう20年です
(あ)
・デザイナーズブランド、全盛の頃。
お金のない中学生だった僕らにとって、
「ビッグワン」は憧れのブランドでした。
ある時、友達がその「ビッグワン」の
トレーナーを着ていて、みんなで
「やっぱりビッグワンは、かっこいいなあ、
僕も欲しいなあ」とその子を取り囲んで
うらやましがったのを今でもよく憶えています。
そう、ど田舎の中学生たちは「BIGI」のことを
「ビッグワン」と思っていたのです。
(大将)
・いい間違いじゃないかもしれませんが
わたしは、かなり長い間
シーチキンのことを
かもめの肉の缶詰だと思っていました。
シーチキン→海の鶏肉→かもめ肉
と変換されたようです。
(God V)
・最近、父母の会話も、
夫婦漫才のようになってて、おもろいです。
母「爪きりなさいよ!」
父「夜、爪切ったら、親の死に目に会えんけん‥‥」
母「もうあんたの親、死んどるじゃん」
(けい)
・彼氏の実家近くにあった豆腐屋さんの子どもは、
名前がみんなカタカナだったそうです。
登山の好きなお父さんが、
世界の名山にちなんでつけた4人兄弟の名前は
娘がモンテローザ、息子がマッキンリーなどなど。
他の2人は何て言うのか気になります。
(ChiChi)
・僕の名前は賢二(ケンジ)です。
普通名前に漢数字の『二』が入っていると
『次男なのね』とか思われるでしょうが、三男なのです。
何故?と疑問を抱かないわけがありません。
由来を母に聞くと
『最初は賢三にしようとおもったんだけどね、
お父さんの仲間に賢三さんって人がいてねその人が
飲んだくれでどうしょうもない人だったから
横棒一本とっとくか?ってそれで決まったんだよ』
とあっけらかんと言われました。
(フ)
・今は小学5年生になった甥が、まだ幼稚園児だった頃。
「おばちゃん、"風邪の治し方"のビデオ観ようよ」
というので、卵酒の作り方でも入っているのかと思ったら、
"風の谷のナウシカ"でした‥‥。
(な)
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