「まだまだ成長できるんじゃないかな
 という思いが衰えなかった。」
「野球の人」、田口壮さんの、
引退&再出発の会見をお届けいたします。

ほぼ日刊イトイ新聞に三度登場いただき、
野球ファンならずとも
たのしませてくださった田口壮さんが
新たなステージへと進まれました。

先日、行われた、田口壮さんの
節目の会見についてお知らせします。

かつてオリックスでイチロー選手と
外野手として鉄壁のコンビを組み、
アメリカに渡ったあと、
メジャーリーガーとして、
二度のワールドチャンピオンに輝き、
日本球界に復帰した、田口壮選手。

昨年オフ、オリックスを自由契約になったあと、
傷めていた左肩を手術し、
今季のトレード期限である
「7月31日」をみずから期限と決めて、
ひとり、黙々とリハビリをこなしてきました。

そして、やってきた、7月31日。
ほぼ肩が完治した田口さんに、
オファーはありませんでした。

その日、彼の野球以外の大きな魅力でもあり、
多くのファンが更新を待ち望む田口さんのブログには、
つぎのようなことばがつづられました。

「取り急ぎの、お知らせです。
 本日、2012年7月31日は、残念ながら
 野球人生の区切りの日となってしまいました。」

そして、1ヵ月以上が過ぎたある日、
ほぼ日刊イトイ新聞に知らせが届きました。

それは、田口壮さんの、引退、
そして、野球解説者としての
新しい出発を報告する会見のお知らせでした。

正直にいえば、明るい記者会見の場所で
田口さんの登場を待っていたとき、
私たちはもっとカラッとした、
いつもの元気な田口さんの挨拶が
聞けるのかなと思っていました。

けれど、会場に入ってきた田口さんは、
ほんとうに寂しそうでした。
(徐々に明るくなるんですけど)

その会見は、まぎれもなく、
田口壮さんの引退会見でした。

寂しいけれども、
しっかりとした決断が感じられる、
田口壮さんの会見の様子を、
質疑応答を含め、できるだけ、
そのときの田口さんのことばを
忠実に拾いながら、お届けします。

まずは、思いがあふれて、
ときどき長い沈黙をはさむ、
最初の田口さんの挨拶から、どうぞ。

「みなさん、こんにちは。
 本日は、暑いなか、お集まりいただきまして、
 ほんとうにありがとうございます。

 まず、最初に、
 みなさんにお伝えすることは‥‥
 ‥‥引退します。

 20年と1年の半分、浪人したような形ですけど‥‥
 ‥‥‥‥(約30秒の沈黙)‥‥‥‥
 自分のなかで‥‥
 このへんが潮時かな、と‥‥思いました。

 ええ、まぁ、いろいろ、あの、
 たくさん思い出はありますけども、
 それを語るときりがないと思います。

 ‥‥まあ、ただ、ぼくが伝えたいことは‥‥
 いっしょに野球をやってきて、
 いろいろぼくを支えていただいた、
 裏方さんでありますとか、
 チームの関係者の方々‥‥‥‥
 それから、いいときも、悪いときも、
 ぼくの記事を書いてくださった、
 マスコミのみなさん‥‥
 それから、敵味方関係なく、
 ぼくをつねにたのしませてくれた応援団のみなさん、
 そして、いつでも熱い声援を送ってくれた、
 ファンのみなさん‥‥‥‥‥‥
 ‥‥あと、つねに‥‥ぼくのそばにいてくれた、
 代理人もそうですし‥‥
 ええ‥‥‥‥ぼくの両親、そして家族に、
 感謝の気持ちを述べたいと思います。
 ほんとうにありがとうございました。

 ええ、そしてこれから、
 現役というものを退いて、
 第二の人生をスタートするわけですけども、
 ぼくの自分のひとりの力ではなにもできないですし、
 より広く野球に携わっていけるように
 お力添えをいただけるということで、
 ホリプロさんのほうにお世話になることになりました。

 いままでずっと野球界という特殊な世界で
 ぼくは守られてきたと思ってます。
 そして、これからまた、
 新しい一歩を社会人としての一歩を
 踏み出すと思っています。

 いままでとはまったく違う世界ですし、
 守られることもなくなると思います。
 そのなかで、また、謙虚な姿勢で、
 いちから勉強してまいりたいと思います。
 そのためには、
 みなさんのご指導が必要だと思っております。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 簡単ではございますが、これをもって
 引退の挨拶とつぎへのステップの
 報告をさせていただきました。
 ありがとうございました。」

質問
──引退を決めた「潮時かな」という気持ちについて。

「去年のオフの時点で手術をしたとき、
 7月31日までに完全に治す、
 という意思のもとで
 リハビリをスタートさせました。

 それからリハビリを続けていくなかで、
 自分が思ってるほど
 回復力がなくなってるなあというのを感じたんですね。
 若いころだったらとっくの昔に治ってるのかなと
 思ったりもしたんですけど。
 手術自体は大成功だったんですけど、
 自分の治癒力の問題ですよね。
 
 そういうのもありましたし、
 あと、この先どっかでやるのかということを
 考えはじめてしまったというか。
 おそらく、肩が治れば、昨年とか一昨年よりは
 肩は強くなってるはずなんです。ぼくの感覚では。
 痛みがなく投げられるわけですから。
 
 体力には、大丈夫です。
 精神的にも、大丈夫です。

 ただ、あの、ふと、こう、自分のなかで、
 つぎのステップに進むときがきたなと
 思ってしまったんですよね。

 いままで‥‥38歳くらいですかね、
 セントルイス・カージナルスから
 リリースされたときくらいから、いろんな人から
 『引退ですか?』『引退ですか?』『引退ですか?』
 と言われ続けました。
 もう、5年くらい、ずっと言われました。
 
 でも、ぼくは一回も、そういう気持ち(引退)を
 持ったことがなかったんです。
 ところが、ここへきて‥‥
 いえ、あの、まったくあきらめてはなかったです。
 最後の最後、7月31日が終わるまで、
 あきらめてはなかったですし‥‥‥‥
 やる気は満々だったんです。

 ただ、時間が、こう、
 考える時間がすごくたくさんあって、
 そのなかで、自分がつぎ、なにをやりたいんだとか、
 最終的な目標をどこに設定するんだとか、
 そういうことを考えるうちに、あのー、
 『ああ、こういうことを考え出したら
  そろそろ潮時だな』と思ったのが
 いちばん大きな原因ですね」

質問
──田口さんにとって、野球とは?

「ぼくにとって野球とはなんなのかといわれると、
 人生のすべてだと思いますし、
 おそらく、これからずっと先も
 野球と関わっていくと思います。

 ぼくにとって、野球とは、
 ひとつのフィルターみたいなもので、
 野球を通して、ぜんぶこう、なんていうんでしょう、
 いいことも悪いことも、学んでいけるし、
 野球があるからこそ、自分が大きくなっていける。
 そんな存在だと思います」

質問
──今後は執筆業も考えてらっしゃるんでしょうか?
  また、ファンの多い、ブログの更新は?

「えー(笑)、執筆活動に関してはわからないです。
 依頼をいただければ、前向きに考えると思います。
 ブログに関しては、引退を表明というか、
 区切りをつけないといけないですねということで
 7月31日に書いて、それ以降に更新してないのは、
 えー、のんきなブログは書けないなと(笑)、
 そういうことで、ストップしておりました。
 えー、おそらく、これからも、不定期だと思います。
 不定期だと思いますけども、
 更新はしていくとは思います。
 期待されているのであれば、そうしたいです」

質問
──思い出の場面を、あえて挙げるとすると?

「いちばんの思い出といわれると
 挙げるのが難しいんですけど‥‥。
 どうしても、やっぱりぼくのなかでは
 95年、96年の阪神淡路大震災のあとっていうのは、
 いまだに鮮明に残ってます。
 野球のこともそうですし、
 街が壊れてしまったのも
 いまだに鮮明に憶えていて、
 そういうなかで野球をしたっていうのは
 すごく特別なことですね。

 もうひとつはやっぱり、
 2006年に世界一になったこと。
 はじめて世界一になって、リングをもらった。
 そのことに関しては、純粋に、
 いまでも、勝った瞬間というのは、
 頭の中に、映画のワンシーンのように
 きれいに残ってます」

質問
──今後、指導者になるとしたら、
  いつごろどういうかたちでなりたいか?

「こればっかりはタイミングだと思うんですね。
 ですから、ぼくのなかで、
 いつ、どうだと、いうのではないと思うんです。
 野球に携わっていくなかで、
 そういう道もひとつの選択としてあると思いますが、
 それがいつなのかといわれると、
 ぼくもちょっとわからないですし、
 タイミングだと思います。
 今後にかんしては、なにができるかということを、
 ぼくにもまだいまいち見えてない部分がありますので、
 いろんなものを探っていって、
 いろんなレベルの野球に
 携わっていけたらいいなと思ってます」

質問
──最終的に引退を決めたとき、家族に相談しましたか?

「家族には、正直、あのー、
 ちゃんとは伝えてなかったです。
 7月31日をもって、どこの球団にも所属してなければ
 引退するっていうふうに
 家族には宣言してませんでした。
 それは、たぶん、ぼくのなかでも
 決め切れてなかったからだと思います。
 で、7月31日だったか、
 8月1日になってからだったか、
 自分のヨメには、さらっと、
 『やめるわ』って言ったと思うんです。
 でも、あまりにもさらっと言い過ぎたので
 ちょっと申し訳なかったかなと(笑)。
 心の準備もなにもできてないような状態で
 そういうことを言ってしまったので
 申し訳なかったかなと思ってます」

質問
──田口さんには年配のファンが多くて、
  妙齢の女性ファンが少ないらしいですが、
  新たな一歩を踏み出すにあたって、
  妙齢のファンを増やすプランは?

「えーーー、
 妙齢の女性に関してですけど‥‥ムリです(笑)!
 ぼくは、大阪のおばちゃんでいいです。
 関西のおばちゃんがついていてくれれば、
 それがいちばん強い味方だと思います」

質問
──さきほどの思い出のなかに、
  95年、96年のオリックス時代の話がありましたが、
  今朝、ヤンキースのイチロー選手が試合後に
  田口選手との思い出として、
  「もっとも守りやすいセンターで、
   最高のセンターだった」と。
  イチロー選手との思い出について教えてください。

「いっぱいありますね(笑)。
 もともと、ぼくらは同期入団なんです。
 ぼくが大卒で、彼が高卒で入ってきて、
 まあ、いちばんの思い出というのは、
 ぼくが車を持ってたもんですから、
 ふたりでよく、休みの日なんかに、
 餃子とかカツ丼を食べてに行って、
 食べながら野球の話をしたりとか、
 そういうことをしてたのを、すごく覚えてますね。

 あと、まあ、彼とぼくは一時期、
 一番と二番を打ってたんですが、
 どっちも早打ちなんですよね。
 もう、1球目からがんがん行くタイプで。
 だから、一番イチロー、二番田口、とかになると、
 2球でツーアウトとか、そんなこともあって(笑)、
 『お前ら、野球、知ってんのか!』って
 先輩によく怒られました。
 でも、ぼくらふたりは、
 『三番バッターがなんとかしてください』
 と言ったりもしてました(笑)。

 プレイヤーとしての彼は、もう、申し分ないですし、
 ぼくから言うことはなんにもないです。
 ぼくにとっての彼は、すごく、
 いっしょに野球をやりやすい選手でした。
 こう、外野でふたりで、守ったりしても、
 言葉もなく、目が合えば、
 だいたいなにを考えてたかわかる、
 そういう選手でしたね。
 思い出は、いっぱいあります」

質問
──田口さんが、ここまで野球を続けてこられた
  モチベーションってなんでしょう?

「基本的には、ぼくが野球が好きだったということと、
 それから、負けたくないという気持ちが強かった。
 それと、まあ、まだまだ成長できるんじゃないかな
 という思いが衰えなかった。
 やっぱり成長できなくなったら
 止まると思うと思うんですけど、
 ぼくのなかでこの年になるまで、のびしろというか、
 いろんな角度から野球が見られるようになって、
 そういうなかで、まだ学ぶものがあるんじゃないか、
 もっと違うことがあるんじゃないか、
 という興味がつきなかったですよね。
 ですから、そういう意味で、
 二十年間、ずっとやってこれたし、
 最後、1年浪人しても、
 このなかからなんか見つかるんじゃないかな、
 という思いがあったんで。
 そういう意味では、7月31日の期限までは
 あきらめることなく動けたと思います」

質問
──ファンの人たちに、あらためてメッセージを。

「ほんとにあの、ファンの方には、
 ぼく、支えられたと思ってます。
 球場もそうですし、ブログを通してでもそうですし、
 すごい数のメールをいただいて、
 それをいちおうぜんぶチェックして、
 読みながら、いつも感動してました。
 球場でもやっぱり、声をかけていただくと、
 がんばらないといけないなあと思うし、
 そういった意味では、なんていうんでしょう、
 リハビリしている期間も、ブログを通して
 いろいろとお伝えしないと
 いけなかったんでしょうけど、
 なかなか、その、苦しい状況で、そういうなかで、
 ブログで報告もできず、
 すごく、ファンのみなさんには
 申し訳なかったなと思ってます。
 でも、ほんとに、いままで、
 20年間と、1年近くの浪人のあいだを、
 支えてくれたのは、ファンの方々だと思ってます。
 感謝の気持ちでいっぱいですし、これからも、
 どういう形になるかわからないですけども、
 応援していただいて、
 ファンの方たちにもご指導いただいて、
 人間として、ひと皮もふた皮も
 むけていけたらいいなと思ってますんで、
 これからもよろしくお願いします。
 そして、ありがとうございます」

最後は、田口さんらしく、明るい笑顔で。
そして、席で会見を聞いていた私たちは、
背後にずっと「泣いている人の気配」を感じていました。
あとからたしかめたところ、
やはりその人は「ヨメ」こと、恵美子さんでした。

20年間と半年の間、
お疲れさまでした、田口さん。
また、「ほぼ日」にも遊びに来てくださいね!

野球を知らなくてもおもしろい。
これまでの田口壮さんのコンテンツは
こちらからどうぞ!

◆野球のカミサマ、
 初球だけ狙わせてください。
 〜メジャーリーガー田口壮のメソッド〜

◆25番目のピース
 〜メジャーリーガー田口壮のメソッド2〜

◆野球の人。
 〜田口壮、21年目の選択〜

 

2012-09-14 FRI