2012-12-11-TUE |
糸井 | ぼく自身は、支援ということからは まったく遠いところで仕事をしてきた人間です。 ただ、そんなぼくでさえ 震災以後、気仙沼に通っているのは、 「いま、それをしないとダメでしょう」 という思いがあるからなんです。 それをしないと、 「バランスが壊れたままにしておくのは やっぱりダメでしょう」 という感覚があって。 |
西水 | はい、はい。 |
糸井 | あと、その「ダメでしょう」という感覚と同時に‥‥。 ‥‥すこし話がとぶようですけど、 ぼくは毎日、いろんな読者の方から メールをいただくんですね。 |
西水 | ええ。 |
糸井 | それは動物愛護をされている 女性からのメールでした。 「わたしが辛い状況になったとき、 自分が助けている立場であるはずの犬が、 逆に自分を助けてくれるんです。 老犬とか病気の犬が、私を助けてくれるんです」 というようなことが書かれていて‥‥。 夜中にそのメールを読みながら、 じーんと響くものがあって。 |
西水 | ええ、わかります。 |
糸井 | ‥‥つまり、何を言いたいかというと、 大変な立場のはずの被災地の人々に、 ぼく自身が助けられていることが 実際にものすごくあるんですよ。 |
西水 | はい、はい。 |
糸井 | 西水さんのお話をうかがいながらぼくは、 「助けているつもりの存在に じつは助けられている」 ということをずっと思っていました。 |
西水 | ええ、ええ。 |
糸井 | あとはそう、あの震災に関しては、 「自分が被災者だったかもしれない」 ということをぼくは思い続けています。 |
西水 | はい。 |
糸井 | 大変な状況にいる相手を救うというのは、 「もしかしたらそうだったかもしれない自分」を 救うことでもあるんですよね。 |
西水 | はい。 その姿勢はとても大切なことだと思います。 他人の上に、 わが身を真摯に重ねて、 ほんとうにその人の目線になることができないと、 大変な状況の人の役に立つことは 難しいと思います。 |
糸井 | そしてそれは‥‥いいことをしている感覚では、 まったくないじゃないですか。 ぼくが気仙沼に通いながら感じているのは、 「いいことしてるな」ではなくて 「あ、学ばされてるな」なんですね。 |
西水 | 「いいことしてる」感覚は、私もないですね。 |
糸井 | 「学ばされてる」感覚は、はっきりとあります。 「いっしょによろこばせてもらってる」 というのもある。 辛いことを経験された人たちとは、 「その辛さ、なんとかできるといいね」 と寄り添うような時間を 「いっしょに過ごさせてもらっている」 という感覚もあります。 |
西水 | ええ。 |
糸井 | そういう感覚「だけ」だと思うんですよね。 |
西水 | そうですね。 |
糸井 | その感覚にいるときの自分って、 すごくありがたいものを 受け取っているなと思うんですけど、 そのときに受け取っているものって 何なんでしょうねぇ‥‥。 たとえば、被災地にわたせる「ツール」が ひとつ見つかったときの、 「あ、一歩すすんだ!」というよろこび。 人々にお会いしていて、 相手がものすごく辛い部分から すこしだけ出られたときの 「ああ、よかった」という感情。 心が動いている感覚はあるんだけど‥‥。 |
西水 | 「お祝いする」気持ち‥‥じゃないですか? |
糸井 | ああ、「お祝いする」! |
西水 | うん、「ちいさな自分で自分を祝う」というか。 相手の役に立てたと思うとき、 心の中で自分に「あなた、それいい!」 と言う感じじゃないですかねえ、 支援することで私たちが受け取る気持ちって。 |
糸井 | ああー、そうですね。 いいなぁ、お祝い。 |
西水 | ね。 |
糸井 | ぼくは「支援」を職業にしてきた 人間ではないので、 自分が被災地に対してできることって、 相手に「よかったら使ってね」と言える ツールを必死で考えることじゃないかなって、 いつも思っているんです。 |
西水 | ええ。 |
糸井 | だから夢に見そうなくらいこわいのは、 「糸井さん最近ダメだよね」って 被災地の人に言われることなんですよ。 |
西水 | そんな(笑)。 |
糸井 | いや、ほんとうに。 被災地に通いながらぼくは、 人々に渡せるだけの「ツール」を持っているのか、 実は持っていないのか、 不安になりながら、 大丈夫なはずだ、 駄目かもしれない、 という行ったり来たりを繰り返しているんです。 自分の被災地への向き合い方って、 なんだかそんな‥‥なんていうんだろうなぁ? ダンスじゃないですけど‥‥。 |
西水 | ‥‥いや、糸井さん。 それは、ダンスですわ。 |
糸井 | えっ?! そうですか? 「ダンスですわ」ですか? |
西水 | それはダンスです。 |
糸井 | ダンス。 そうか‥‥。 いま口からぽんっと出たんですけど、 ‥‥ああ、ダンスですねぇ。 |
西水 | ほんまに、そうですわ。 だって、おんなじことを私、 ブータンの国王陛下に教えていただいたんですよ。 陛下はこうおっしゃったんです。 「善い民主制はダンスという芸術に似る。 指導者と民のダンスだ」 |
糸井 | そうだ。 それ、ぼくも読みました。 |
西水 | 素晴らしいダンスというのは、 「ビジョンや価値観の共有」によって 生まれるものですよね。 「同じ価値観やビジョン」って、 つまり、同じ音楽のこと。 リードする人も、される人も、 同じ音楽をいっしょに聴いて、心を合わせて、 そのよろこびが「ダンスになる」わけですから。 |
糸井 | ときにリードする人とされる人が、 逆転することもあって‥‥ そうか、ほんとだ、ダンスだ。 |
西水 | でしょう? |
糸井 | おもしろいなぁ。 |
西水 | おもしろいわぁ(笑)。 |
糸井 | いま見つけたこの感覚は、 なかなか伝わりにくい気もするけど、 ほんとにそうですね。 支援する側とされる側の関係って、 ‥‥ダンスですよね。 |
西水 | ね。 向こうから「この人ダメだ」と思われたり、 こっちが向こうを「ダメだ」と思うときもあるし。 いっしょにね、 ふたりで学んでいくわけですから。 |
糸井 | はい、はい。 |
西水 | お互いの関係でいろいろあっても、 作りあげようとする芸術作品は いつでも「ひとつ」なんですよね。 |
糸井 | 「ひとつ」の作品をいっしょに作るんだから、 そのときに大切なのは、 「お互いが同じ音楽を聞いていること」 ですね。 |
西水 | ええ、ええ、そうです! |
(つづきます) | |
2012-12-11-THU |