スポーツする身体。
大川達也のトレーニング教室。

第1回 「野茂英雄選手について」


みなさん、あらためてはじめまして。
トレーナーの大川達也です。

今まで「ダイエットゲリラ」を読んでいたみなさんは、
私がアブラミ・ブラザーズから、大川総監督と呼ばれて
恐れられていたことをご存じですね。

このたび晴れて「ダイエットゲリラ」からの独立を
許されましたので、これからここで
私が今トレーニングをしているスポーツや、
選手たちの話を紹介していきたいと思っています。

今回は、なぜ、今シーズン、野茂英雄選手がここまで
活躍しているのかについての、私の見解をお話しします。

ダイエットゲリラの番外編として、今年の野茂さんについて
「復活ではなく、当然の実力です」とお話したことが
きっかけです。

読みたい人はここをクリックしてください。
(大川総監督が語るメジャーリーグ事情その1
 「私はなぜシアトルにいたのか」)


(大川総監督が語るメジャーリーグ事情その2
  「マック鈴木選手の移籍」)


そもそも『野茂限界説』とは誰が言い出したのでしょうか?
自分の発言について責任を持てるひとの、根拠のある
意見ではないんですね。なのに、こぞってマスコミは
そのことをおもしろおかしく書き立てました。

確かに、去年1シーズンの成績は、
はっきり言って良くなかった。
ただ、プロのスポーツ選手というのは
その悪い原因に対して、
どういったアプローチをするかが大事なのです。
野茂さんほどの一流選手が、悪かった原因に対して何も
策を打たないままで、次のシーズンを迎えると思いますか?
問題点や原因を正しく認識して、きちんと対処して、
その問題を解決できれば、また、元の力が発揮できます。
野茂選手は、ただ、その当たり前のことをしただけです。

でも、残念ながら、日本のマスコミは
野茂選手が去年抱えていた問題点とその克服に、
彼がどう取り組んでいったかについては取材をしようとも
せずに、三振の数、打たれたヒット数、試合の結果だけを
見て、すぐにダメとかクビとか限界などと書くのです。

野茂選手のコンディショニングコーチである私の元に
どこかから一度でも取材があったでしょうか。
私の口から直に「野茂選手の体力レベルが落ちている」とか
「コンディショニングが悪い」といったコメントが
取れたのなら、その記事には根拠がありますけどね。

実際に「体力が落ちてる」などと書かれた時は、
「頼むから俺に聞いてから書いてくれ」って思いました。
ほんとに落ちてるなら、「落ちてる」って言うから。
何の根拠も無しに、勝手に限界とかなんとか、
頼むから決めつけないでくれよ、って。


ふだん冷静な私も、思わず熱くなってしまいました。

じゃ、ここからはもっと突っ込んだ話をしましょう。

これはほとんど例外なく言えることですが、実際に、
手術を受けた翌年の選手は成績が悪いものだそうです。
特に、野球のピッチャーは。
なぜでしょうか?
これはよく考えると、実はとても簡単なことなのです。

皆さんも一緒に考えてみてください。
プロスポーツの世界で活躍している選手、
とりわけ「メジャー(リーグ)」という場に身を置く
彼のように、運動能力、身体能力ともに本当に優れた、
超一流のレベルにある、ごくわずかな選手だけが持っている
「投球技術」は、我々の想像の域をはるかに越えています。
「神業」の域、といっても過言ではないでしょう。
ピッチャーが投げる球のスピードやコントロール、
バッターが打球をホームランにする技術、
いづれも、常人では考えられないほど微妙なタイミングや
技によって生まれているのです。

ではそれを言葉で説明してごらん、どうやって打ってるの?
どこでどうひねって、このフォークボールを投げてるの?
そんなことをいくら質問したって、
彼らから明確な答えは返ってこないでしょう。
本人だけに分かる感触、感覚のなかでそれは行われ、
それをうまく言葉で説明することができないくらい
超微妙なタッチやタイミングが、
「超一流」のプレイを生んでいるからなのですね。

そこに「メス」を入れたんです。野茂さんは。

「メスを入れる」とよく言いますが、端的に言うと
そこを「傷つける」わけですよね、
選手にとっての利き腕、利き足を。
野茂さんは、右腕の肘に内視鏡を入れました。
利き腕のいちばん大事な部分を傷つけて、その部分の
繊細な神経を傷つけて、一度傷をつけてしまったものが、
縫合したからといって、それが手術の前と全く同じ状態に
すぐ戻る、ということはあり得ませんよね。
手術後じきに筋肉は回復しますから、筋力もトレーニングで
元に戻すことが出来ますが、一度傷つけられた神経や、
それによって一時的に失った感覚は、なかなか元には
戻りません。
断っておきますが、野茂さんの手術が決して「失敗」した
わけではありません。手術した前と後とで、全く同じ状態に
すんなりと戻ることなんかあり得ない、ということです。
そのくらい、彼らの持っている感覚や、彼らの投球技術と
いうものは、ほんとうに微妙なものなのです。
彼らはそのちょっとした微妙さ、紙一重の感覚を持って、
0.0何秒という時間をコントロールし、何cm何mmを
コントロールしているわけです。
私たちはもっともっと、そのことにまず、
敬意を払わなくてはいけません。
彼のいる場所とは、彼らの住む世界とは、そういう領域だ、
ということを、もっと理解しなくてはなりません。

野茂さんのフォークはいわゆる「伝家の宝刀」ですが、
実際、彼にはボールが指を離れる瞬間の、
中指の先がボールの縫い目をすっと離れていく、
その縫い目の最後のひとつにひっかかる力をコントロール
することが出来ます。
はっきりいって、とんでもない次元の話です。
そこに彼の、メジャーで活躍するだけの根拠もあるのです。

日本のプロ野球選手としてアメリカのメジャーリーグに
単身で渡って、堂々と大活躍しました。
その姿は我々に大きな夢と希望を与えてくれましたよね。
彼は「日本の宝」ですよ。そう思いませんか?
もっと大事にしてほしい。
彼の持つ、本当に高い投球技術や、
野球に対する能力というものは、
3、4年のメジャー生活くらいで「もうダメだ」、
「あいつも終わった」といわれるようなものでは
決してないということを、
もう一回、確認してほしいと思います。


野茂さんは、一昨年の秋に手術をしました。
29歳でした。
もちろんリスクもある。
でも、悪い部分を除去することで長く投げられるように、
という選択を、彼はしたのですね。
当然、去年は手術前のような感覚が戻りませんでした。
見た目は前の年と何も変わらないように見えていても、
彼の中での違和感や葛藤は、彼にしかわからないものだと
思います。
勝ち星をあげられずにいた彼を、ドジャースは解雇、
彼はメッツに移籍して、そのシーズンを終えました。

シーズンが終わって、まず野茂さんと私が取り組んだことは
「腰を治すこと」でした。
野茂選手は昨シーズン、制球の乱れをカバーしようとして
フォームをくずしてしまい、そのことが原因で、さらに
腰まで痛めてしまっていたんです。
まずはその腰を治すことに専念してもらいました。
せっかくのオフですから、遊びたい気持ちもあったことと
思いますが、彼は見事に節制に努めていました。

腰が良くなったところで、次に取り組んだのは、
「フォームを元に戻すこと」でした。
制球の乱れから彼のフォームは微妙に(我々にはわからない
くらいのレベルで)崩れていき、そのリカバリーから
腰を痛めた、という悪循環を、ひとつひとつ、
さかのぼってじっくりと治していったわけです。
良かった時のフォームを繰り返し見て、今の状態と比べて、
どこがどう乱れているのか、徹底的にチェックしました。
その後は、忘れかけていた昔の良いフォームを
身体にもう一回たたき込んだのです。それだけです。
言ってみればとてもシンプルなことなんですけど、
こういう簡単なことが、意外と出来ないものなんです。
彼の場合は「シャドーピッチング」だけでした。
毎日毎日、朝も昼も夜も、彼はシャドーピッチングを
繰り返しました。
場所を問わず、鏡のあるところではいつでもどこででも、
彼は何百回、何千回と、鏡に向かって繰り返し繰り返し、
シャドーピッチングを行ったんです。

10月のオフから2月半ばのキャンプインまでの5ヶ月間、
毎日です。私も週に3日は一緒にトレーニングをしました。
野茂さんのもうひとつ素晴らしいところは、
こういう地道なトレーニングでも決して手抜きをしない、
というところです。彼のひたむきさ、真面目さには、
本当に頭が下がります。
そうやってフォームのチェックをして、
理想のフォームを身体にもう一度覚え込ませると同時に、
そのフォームに戻すのに必要な筋トレをして筋肉を鍛え、
キャッチボールを繰り返しやりました。

ところで、野茂選手のコンディショニングを
管理しているのは私ひとりではありません。
PNF(Proprioceptive Neuromuscular Facilitation=
神経筋促通手技)の日本第一人者である、
市川繁之(いちかわしげゆき)さんがいます。
このPNF療法については、また別の機会に書きますが、
市川さんと私がチームを組むことで、野茂さんの身体を
トータルにコンディショニングしているんですね。
野茂さんの他に、マック鈴木投手も日本にいる間は
我々の元でトレーニングをしていますし、リングスの
成瀬昌由選手も定期的に通っています。
このPNFには巨人の松井秀喜選手も通っていて、
自分のトレーニングに取り入れています。

こうして、一流のプロスポーツ選手は、試合以外のところで
日々きちんと自分の身体を管理し、調整して、いつも
最良の状態で試合に臨むことを怠りません。
こういう地道なトレーニングなしに、彼らの今の
ポジションをキープすることなどあり得ないですし、
正しい管理をすることが選手生命を長く保つことを
彼ら自身がいちばんよく知っているからです。

さて、話を野茂さんに戻しましょう。
今年開幕直前のメッツからカブス(AAA)への移籍、
そして今のブリューワーズへと移ってから、
8月8日現在9勝4敗というのが、野茂さんの成績です。
ここまで読んできた方には、もう分かってもらえますよね。
野茂さんの9勝を生んだのは、決してミラクルな何かが
作用して、というわけではありません。
手術をするということの、身体への、目に見えない
微妙なダメージと、その回復の途中での違和感から
フォームが崩れ、崩れた体勢から投球を続けて腰を痛め、
という悪循環を一回断ち切り、まず腰を治し、次に
フォームを治して、オフのあいだに地道なトレーニングを
続けるなかで、彼は次第に、手術前の良かったときの感覚を
取り戻していった、というわけです。
そのことを指して、私は「当たり前」と言ったのです。

今、日本のプロ野球界では、横浜ベイスターズの
佐々木主浩投手の肘の状態が話題になっていますけれども、
これを読んだみなさんが、マスコミ報道に踊らされずに、
正しい認識に基づいて選手達を見守っていてくれることを、
私は望んでいます。


では、また。

1999-08-14-SAT

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