永久初版作家
糸井 大沢さんの「デビュー作」というのも
あるわけですよね。
大沢 ええ、ありますよ。
糸井 はじめから『新宿鮫』だったわけじゃ
ないですもんね。
大沢 これはもう、あちこちでしゃべったりして
ほとんど「芸談」に近いんだけど、
ずっと売れない時代があったんです。
糸井 ほう。
大沢 デビューから28冊、初版で終わっちゃう本を
書き続けてたんですよ、ぼくは。
糸井 はー‥‥28冊ですか。
大沢 もう、まったく、ぜんっぜん売れなかった。

本が一向に「重版」しないんで、
「永久初版作家」なんて言われてたんです。
糸井 ははー‥‥永久初版作家。
大沢 うん。
糸井 28冊「出た」のも、すごいですけどね。
大沢 当時は、今よりもまだ
出版業界に、ちからがありましたから。
糸井 そういうことですよね。
大沢 で、29冊目が『新宿鮫』なんです。
糸井 あ、そこで「ようやく」なんだ。
大沢 ちょうど、28冊目の小説を書いているとき、
いっしょにやってきた仲間たち、
つまり、
北方謙三さん、船戸与一さん、志水辰夫さんなんかが
売れはじめて、メジャーになっていったんです。

で、ぼくだけいつまでたっても‥‥。
糸井 永久初版作家。
大沢 ‥‥をやり続けていて。
糸井 でも、みなさん、大沢さんより年上でしょう?
大沢 うん、みんなぼくより年上なんですけど、
デビューしたのは
ぼくのほうが、すこし早かったんですよ。
糸井 あ、そうなんですか。
大沢 年は若いけど、キャリアは同じくらいだったから
お互いに意識しあいつつ、
飲んだり、遊んだりしてたんですね、当時。
糸井 ええ、ええ。
大沢 だから、他のみんなが次々と売れて行くなか、
自分だけが
いつまでたっても陽の目を見ない‥‥という
焦りがあったんです。
糸井 そうでしょうねぇ。
大沢 彼らは彼らで、
「がんばれ、グズグズするなよ」みたいなことを
言ってくれてたので、
「よーし、勝負してやろう!」と一念発起して。
糸井 ほう。
大沢 1年半の間、ほかの仕事をぜんぶ断って、
1本の小説を書きあげたんです。
糸井 それが‥‥。
大沢 『新宿鮫』のひとつまえ。28冊目の作品です。
糸井 じゃあ‥‥。
大沢 そう、結局、それもダメだったんですね。
売れず、話題にもならず、文学賞の候補にもならず。

さすがにそのときは、けっこうヘコみました。
「ああ、オレ、ダメかもな」と。
糸井 1年半ですもんね‥‥。
大沢 とはいえ、生活していかなきゃいけないし、
「永久初版作家」とはいえ
作家ですから、何かを書かなきゃならない。

ちょうど、光文社から書き下ろしの仕事を
もらったんで、じゃあ‥‥と。
糸井 ええ、ええ。
大沢 もう「いい作品を書こう」なんて色気は捨てて、
自分自身がおもしろがれる、
「燃えるぜ!」みたいな小説にしようと思った。

‥‥そうやってできたのが『新宿鮫』なんです。
糸井 へぇー‥‥おもしろいですねぇ!
大沢 小説ができあがったとき、
「タイトルどうします?」って聞かれたんです。

こっちはもう、半分グレてますから
「新宿署の刑事で鮫島だから
 『新宿鮫』でいいんじゃない?」とか言って。
糸井 なげやり(笑)。
大沢 担当者も「はぁ?」みたいな感じでしたね、
そのときは。
糸井 ちなみに、その『新宿鮫』前の「28作目の小説」って?
大沢 『氷の森』と言うんですが‥‥。
糸井 え、それ、有名じゃないですか?
大沢 うん、じつは『新宿鮫』シリーズ以外でいうと
ぼくの小説のなかで、いちばん売れてるんです。
糸井 そうなんだ。
大沢 不思議なんですよ。
糸井 出だしは、ダメだったのに。
大沢 まったくダメでした。
糸井 はー‥‥おもしろいなぁ。
大沢 初版のときはハードカバーで6000部刷って、
それっきり。
糸井 いまは‥‥。
大沢 もう、文庫で60万部ぐらい行ってるかな?
糸井 えっと‥‥60万部?
大沢 それくらい行ってますかね。
糸井 つまり100倍?
大沢 かな。
糸井 1年半、仕事を断って書いた甲斐がありましたね。
大沢 いまごろね。
糸井 ‥‥28冊でやめなくてよかったですねぇ。
大沢 そうですね。
<つづきます>


真実その7
大沢さんはCMナレーターをやっており、
一時期、オファーが殺到していた。


「たまたま、ラジオでナレーションをしたことが
 あったんだけど、
 それを聞いた広告代理店の人が、
 あのナレーターを使いたいんだけどって
 問い合わせてきたみたいで。
 で、『Killing me softly』という曲が流れていた
 ネスカフェのCMと
 『On the Beach』という曲が流れていた
 マツダのエチュードという車のCMの
 ナレーターをやりました。
 そしたら、
 ナレーターとしてのオファーがどんどん来てね。
 そのときはまだ『新宿鮫』の前で
 永久初版作家のころだったから
 『オレ、小説家じゃなくて
  ナレーターとしていけてるのか!?』とか
 思ってましたよ。
 CMってのは、20秒・40秒・60秒と
 いろんなバージョンに合わせてしゃべるから
 けっこう難しいらしいんだけど、
 オレ、そのへん、一発でできちゃったんだ。
 なんか才能あったみたいなんだよね。
 あはははは!」

以上、当コラム用に「こんなネタもあるぞ」と
大沢さん直々にお電話で教えてくださいました。
ちなみに周囲の音の感じから、
そのお電話は「夜のお店から」だったようで‥‥。

なお、大沢さんがナレーターをつとめる
マツダ・エチュードのCMは
以下の「Youtube」上で、見ることができます。

1987 MAZDA Etude AD その1
1987 MAZDA Etude AD その2

真実のコラムは、明日へと続く‥‥。

2010-02-16-TUE