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糸井 |
目黒へさんまを送る費用は、
具体的にどうやって用意しているんですか?
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菅原市長 |
まず、気仙沼市からの補助があります。
そして目黒区からいただく補助。
あとは援助金を集めたり、
さんまを焼くスタッフが
自分で参加費を支払ったりして
さんま代を用意をしています。
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糸井 |
目黒区からも補助金が出ているんですね。
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菅原市長 |
はい。
「目黒区民まつり」の
予算の中からいただいてます。
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糸井 |
なるほど。
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菅原市長 |
目黒区のみなさんには、
感謝の気持ちでいっぱいなんです。
震災の4日後には、寒さをしのぐ毛布やストーブ、
水などの物資を送ってくださいました。
その後も物資はもとより義援金などで、
心のこもったお世話をいただいています。
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糸井 |
そういうご縁がうまれたのは、
やはり「目黒のさんま祭」がきっかけで。
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菅原市長 |
ええ、そうです。
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糸井 |
「目黒でさんまを焼こう」と、
最初に言いだしたのは?
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菅原市長 |
発起人は松井敏郎さんというかたで、
現在も「目黒のさんま祭気仙沼実行委員会」の
会長をされています。
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糸井 |
そのかたのアイデアで、はじまった。
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菅原市長 |
そうです。
「気仙沼のさんまを広く知ってもらうために、
落語『目黒のさんま』にちなんで
東京・目黒でさんまを焼いて食べてもらおう」
と松井さんが思い立ったことがはじまりです。
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糸井 |
そのかたは、とうぜん落語がお好きですよね。
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菅原市長 |
それはもう。
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糸井 |
ずっと考えていたことなんですが‥‥
今回の「気仙沼さんま寄席実行委員会」にも、
会長さんがほしいなと。
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菅原市長 |
ああー。
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糸井 |
どういう人が適任だろうと思ってたんですが、
これはもう‥‥。
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菅原市長 |
そうですね‥‥そこは、松井さんでしょうね。 |
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こうして急きょ、翌日の2月6日、
気仙沼市内で広告宣伝・看板・企画デザインの
お仕事をされている松井敏郎さんに
お会いすることになりました。
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糸井 |
そういうわけでして、松井さん、
菅原市長のご推薦でまいりました。
お願いしにくいことですけれど、
それでもやはりお願いしようと思います。
「気仙沼さんま寄席実行委員会」の
会長をやってくださいませんでしょうか。
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松井 |
その役割を、わたしができますかどうか‥‥。
具体的には何をすればいいのでしょう。
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糸井 |
いちばんお願いしたいのは、精神的な部分です。
今回の主役は気仙沼の市民のみなさんで、
ぼくら「ほぼ日」はお手伝いにすぎません。
慰問ではなく、
気仙沼の人が主催するイベントです。
そのマインドの部分をきちんと伝えることが、
たいせつだと考えています。
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松井 |
なるほど。
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糸井 |
遠くからやってくる方々を町が迎え入れて、
「来てよかったよ!」って言ってもらうための
気持ちのつながりをしっかりとつくる。
そのぜんぶを見通したときの
目印になるような人が必要なんです。
それに適しているのは松井さんしかいない、と。
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松井 |
いや、かいかぶりすぎです(笑)。
そんなたいした者じゃないです。
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糸井 |
でもみんなが、
松井さんしかいないとおっしゃってました。
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松井 |
わたしはただ落語が好きだから、
こういうことをはじめたというだけで‥‥。
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糸井 |
そのお話もうかがいたかったんです。
最初は、何年前のことなんでしょう?
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松井 |
「目黒のさんま祭」はことしで17回目ですね。
平成8年にはじめました。
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糸井 |
落語が好きで、
さんまも好きだから。
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松井 |
さんまは‥‥実はですね、
子どものころは嫌いだったんですよ。
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糸井 |
ほぉ。
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松井 |
さんまの季節になると、気仙沼では、
毎日さんまばっかり食べさせられるんです、
朝から晩まで。
焼いたのから煮たのから、手をかえ品をかえ。
ですからもう子どものころは、
見るのもいやだった。
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糸井 |
へえー(笑)。
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松井 |
近所のお肉屋さんで、
ハムのきれっぱしを
10円分買って食べてたんですけど、
これのほうがよっぽどうまい。
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糸井 |
ハムのほうがうまかった(笑)。
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松井 |
それで、わたし、
東京生活を7年ほど経験しまして‥‥
そしたらですね、
さんまが食べたくなるんです。
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糸井 |
ああー、さんまと距離をおいてみたら‥‥
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松井 |
こんなにうまいもんはない、と。
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糸井 |
なるほどねぇー。
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松井 |
その、うまいさんまの
日本一の水揚げ港が気仙沼だと。
だったらこれを東京に持っていったらどうだろう
って考えました。
「目黒のさんま」という落語があるから、
実際に目黒にさんまを持っていって、
どこかの広場で七輪を20個ぐらい並べて、
それを焼いてみたらどうだろう、と。
勝手にイメージしていたそれをやるのに
いくらかかるのかザッと計算してみたら、
どうやら160万くらいはかかる。
‥‥無いわけですよ。
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糸井 |
はい。
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松井 |
周囲の人に相談してみたら、
県の方に申請してみたらどうだと。
で、ダメ元で申請したら意外にも‥‥。
そこからですね、
いろいろなめぐり合わせのはじまりは。
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糸井 |
ダメ元から。
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松井 |
ええ。
紆余曲折がありまして、
ある日、目黒の町内会の方が、
「ぜひやっていただきたい。
わたしたちが町内会の受け皿になります」
とおっしゃってくださったんです。
それから場所を探して、
三田公園というところを見つけて、
ちょっとせまいけどここでやってみましょう、と。
最初は2000尾、焼きました。
あとの3000はビニールに入れて生で差し上げて。
PRもしてないので、
お客さんは近所のお年寄りが多かったです。
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糸井 |
最初は町内会の催しだったんですね。
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松井 |
そうです。
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糸井 |
その、さんまを焼く人は、
何人くらい気仙沼から行くんですか?
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松井 |
最初は何人だったか‥‥。
ちなみに今はですね、
バス3台、140人くらいの
さんま焼き隊が行ってます。
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糸井 |
バス3台‥‥日帰りですか。
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松井 |
0泊3日。
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糸井 |
え。
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松井 |
前の晩10時に出て、
朝、目黒に着いて、
さんまを焼き続けて、
その日の夕刻に目黒を出て、
気仙沼に帰ってくるのが次の日の時刻です。
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糸井 |
0泊3日‥‥。
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松井 |
しかも、さんま焼き隊の
ボランティアに参加する人は、
ひとり3000円の会費を納めているんです。
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糸井 |
‥‥すごいですね、それは。
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松井 |
その「目黒のさんま祭」が、17回目です。
出会いとご縁の積み重ねで、
ここまでになりました。
目黒区からは、
いろんな意味での支援をいただきました。
お見舞い金も2億円近いのではないでしょうか。
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糸井 |
そうですか。
‥‥すべては、さんまですね。
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松井 |
そうですね。
ですから去年は、水揚げしたさんまを
目黒の人に最初に食べてもらいたかったんです。
船もすくなかったし港も被災してるので、
5000から7000のさんまを
用意できるかどうかがいちばんの問題でした。
それをなんとか確保して、
積んで、持っていって、焼いて‥‥。
わたしたち、
去年のさんまは目黒ではじめて食べたんです。
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糸井 |
‥‥目黒ではじめて‥‥。
それは、おいしかったでしょう。
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松井 |
ええ、うまかったです。
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糸井 |
すばらしいですね、「目黒のさんま祭」。
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松井 |
わたしが会長で、
菅原市長が実行委員長ですから。
こんなに心強いことはないんですよ。
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糸井 |
あ、そうです。
今度の志の輔さんのイベントも、
その感じで、ぜひお願いします。
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松井 |
そうか、そのお話でしたね(笑)。
わたしにそんな力はないんですが‥‥
わかりました。
ふつつかものですが、よろしくお願いいたします。
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糸井 |
ありがとうございます。
こちらこそ、
いたりませんが、よろしくお願いいたします。 |
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松井さん、ありがとうございました。
「気仙沼さんま寄席」の、
精神的なシンボルとして、何卒よろしくお願いいたします!
さて、松井さんに会長を引き受けていただいてから
10日後のこと、
目黒区のご担当者にお会いすることができました。
「目黒区民まつり実行委員会」事務局長、
小泉一(こいずみはじめ)さんのお話を、最後にどうぞ。 |
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「最初の年は、
5000尾のさんまがあまっちゃったらどうしよう
と心配もしていました。
ところが徐々に人気が出て、
たしか3回目のときにNHKで紹介されて、
そこから急激に賑やかになりました。
目黒駅まで行列ができてしまって、
会場が手狭になりました。
それで、5回目のときから、
区民まつりの一環に組み入れることになり、
いまでは集客の目玉になっています。
気仙沼のみなさんは、みなさんすてきな方です。
意気込み、バイタリティ、
そして、おもてなしの心。
私たちが訪れたときも、
ほんとにあたたかく迎えてくださいました。
2010年は、目黒のさんま祭の15回記念でした。
その年に、さんま祭の実行委員長が、
気仙沼市長に当選したんです。
そうです、菅原茂市長。
これによって目黒と気仙沼の仲の良さが、
気運が高まったんですね、お互いに。
それで、友好都市の締結までになったんです。
民間交流が起点です。
つまり、すべてはさんまから、ですよ。
友好都市になってからわずか半年後に震災です。
人ごとではありません。
3月12日の朝、
土曜日なので行政はお休みでした。
そんな中、菅原市長は、
目黒の実行委員に
衛星電話をかけてくださったんです。
第一声が、寒い。
毛布を、ストーブを送ろう。
そういった物資を送ることができたのも、
そもそもは、さんまなんです。
松井さんのアイデアのおかげなんです。
震災の年、当初は、
気仙沼のさんまを目黒で焼くのは
さすがに無理ではないかと思いました。
気仙沼の人たちも、
北海道のさんまでやろうかと、
真剣に考えたそうです。
それが、間に合った。
うれしかったですねぇ、
気仙沼のさんまが届いたことは。
よくぞ、間に合ったと思います。
すごいことです。
そして、立川志の輔さんの落語会。
さんまつながりの交流を続けてきたことの、
集大成のような催しだと思いました。
秋には、
その催しでもたらされたさんまたちが、
目黒にやってきます。
炭火で、旬のさんまを。
脂のしたたるあつあつを、
ぜひみなさん、食べにいらしてください」 |