糸井 |
グーグルの巨大化や、
マス広告が効かなくなるなんて話が
続きましたけど、
一方で、うちのおふくろなんかは、
そんなことについて、
なんの心配もしてないんですよ、たぶん。 |
滑川 |
まあ、僕もそれほど
心配してるわけじゃないんですけどね。 |
糸井 |
ということは、
「心配してるふり」をして、
仕事にしている人たちがいるということですね。 |
山中 |
いっぱい、いらっしゃるでしょう。 |
滑川 |
ひとつの「不安産業」なのかもしれませんね。
まぁでも、
たとえば「明治維新」というのも
まったくの「不安産業」だったわけです。
たいした危機もなかったのに
勝手に危機感をあおって‥‥
いつのまにか
「革命」になっちゃったというような。 |
山中 |
それじゃあ今回の場合も、
「革命」が起こるんでしょうか?
「大変だ、大変だ」と言ってる人って、
いま、いっぱいいますから。 |
滑川 |
うーん‥‥どうでしょう。
メディアの話に限っていうなら、
多かれ少なかれ、
日本の知の構造というのは、
結局「最後は新聞」だと思うんです。
新聞の宅配制度が
なくなるなんてことになったら、
相当な激変が
起こるような気もしますけれど。
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山中 |
そういった意味では
グーグルの存在ありといえども、
新聞も、地上波も
まだ、大きくは変わってはいませんね。 |
糸井 |
でたらめで言うんですけど、
すべてを変えるのは「文体」だと、
僕は思っているんです。 |
滑川 |
ん‥‥文体ですか。 |
糸井 |
つまり、口語文化というものが、
本当に広まっちゃったら、
これまでのヒエラルキーって
事実上、壊れてしまうと思うんです。
たとえば、公的な書類なんかでも
「甲は、乙は」とか
「‥‥とする」なんて表現されていると
あんまり自分には関係ないなぁなんて
思っちゃうじゃないですか。
でも、ベンチャー企業を設立することから
社会保険庁に保険料を支払うことから、
あるいはグーグルの先行きから‥‥
ぜんぶ話し言葉で説明してもらったら
「わからない人」が出てこないですよね。 |
山中 |
その典型が、「ほぼ日」ですね。 |
糸井 |
そうやって
「みんなに分かる」ようになったときに、
本当の「フラット」が実現するんじゃないか。 |
山中 |
口語体のおかげで、
インターネットは
完全に相互メディアになりました。
養老孟司さんの
『バカの壁』なんかも、そう。
これは出版の分野ですけれど。 |
糸井 |
一般に「とても難しい」と思われてる
小林秀雄にしたって、
講演集の話し言葉でなら、わかるし。 |
山中 |
雑誌の編集部からウェブへうつったとき、
同じようなことを感じたんですよ。
ウェブに雑誌文体のまま書いちゃうと、
おそろしく冷たくなっちゃって、
わかってもらえた感じが
ぜんぜん、しないんですね。 |
糸井 |
そうでしょうね。 |
山中 |
そんなに難しいことを
書いているつもりはないのに。
で、 糸井さんにインタビューしたとき、
「ほぼ日」みたいに口語のままやったら、
すごくわかりやすくなったんです。
でも、雑誌の場合には
定められたページ数のなかに
最大限、情報として有益なところだけ取り出して、
ギューッと煮詰めて、載せなきゃいけない。
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糸井 |
つまり「紙幅の都合」で。 |
山中 |
いまはだから、
経済メディアとして許されるギリギリの線、
柔らかくしてみようってことを
私個人としては、やってるつもりなんです。 |
糸井 |
いまだったら、さらに「マンガ」を
掛け算にしたら、強いでしょうね。
つまり「マンガ×口語体」で
これまでのヒエラルキー構造が侵食されて
いくんじゃないか。 |
滑川 |
そういう意味でいうと、
アメリカの新聞も、
だんだん「ブログの集合体」になりつつあります。 |
山中 |
じつは、日経ビジネスオンラインを
始めたときに、
私は、これからのメディアは
そういう方向に向かうんじゃないかな、と思いました。 |
滑川 |
そうなると、この人の記事は読もう、
この人の記事はいいや、
という選択のしかたになっていきますよね。
これまでだったら、たとえば「朝日新聞」を
「取るか、取らないか」という
まるごとの選択肢しか
なかったわけじゃないですか。
だから、ある意味では
メディアが「個人商店の集まり」みたいに
なってしまう可能性もあると思います。 |
糸井 |
だから今後は、
メディアも「商品である」という軸で
語られていくんじゃないですかね。
‥‥日経なら日経、
ニューヨーク・タイムズなら
ニューヨーク・タイムズを
どういうふうに改良したら
みんなによろばれるかという計画を
立ててこなかったんですよ、メディアは。 |
山中 |
たしかに、そうかもしれません。 |
糸井 |
で、メディアがそうなっていく時代に、
なにかを変えてしまうような大きな原因って、
やはり「言語」なんじゃないかと。
で、言語で起こったことこそが、
大勢をつかむんじゃないか。 |
滑川 |
なるほど‥‥。
明治維新のときにも
いちばん大きかったのは、
「政体の変化」よりも、
「文体の変化」だったわけですからね。
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<続きます> |