糸井 | 広告の世界の人が 一般の人に話をきいてもらうときは 「どんな仕事をしてきたのか」を見せて、 解説をするとか自慢をするとかいうのが、 よくあるプレゼンのやりかた、ですよね。 |
佐藤 | (笑)「自慢をする」……そうですね。 今日は、そんな感じではなく、 やりたいと思います。 なにから、話しましょうかね……。 |
糸井 | どこから、しゃべるかなぁ。 |
佐藤 | ええ。 |
糸井 | ……あ、この間隔は、 もう、 可士和くんが 「ぼくに、話をふった」 ということですか? |
佐藤 | (笑)そうです。 |
糸井 | そうだなぁ…… このあいだ、お会いしたときも、 ずいぶん話しましたよね。 まだ、可士和くんとは、 4回目ぐらいだと思うんだけど、 会うたびに、 これがまぁ、おたがい、よくしゃべる。 |
佐藤 | (笑) |
糸井 | ただ、よく考えてみると、 「あたらしい人に会ってしゃべる」 ということは、ふつうの日常の中には、 意外とないことですよね。 すこしだけ、仕事の話をしただとか、 すれちがって話をしたぐらいのことなら あるでしょうけど、 30分以上しゃべる関係が あたらしくできることって、 そんなにたくさんはないと思うんです。 ぼくも、もしも仕事じゃないと、 こんなにたくさん、あたらしく 人と話さなかったんじゃないかと思います。 だから、あたらしい人と長く話すというのは、 もうぼくには、引っ越しとかに 近いくらいの、おおきな事件で…… 前に、可士和くんと話したときもそうでした。 |
佐藤 | はい。 ぼくもはじめて 糸井さんと長く話したのですが、 あれが、ものすごく おもしろかったんです。 |
糸井 | ぼくもそうでした。 でも、そもそもは、 「おまえ、誰だよ?」と警戒しあうのが、 人間としての本性ですもんね。 いいやつだな、と思ったとしても、 「……ところで、きみは何を考えてるの」 とは、言いにくいじゃないですか。 長い話には、なかなかなりにくい。 だけど、仕事にした途端に 「今、何を考えているの?」 と、言えるじゃないですか。 恋人どうしでもないのに、 それを平気で言いあえるのが不思議で。 |
佐藤 | (笑) |
糸井 | 今日も、ふたりで楽屋にいるときには 敢えて、しゃべらないようにしてたんですけど、 公開の場所に出てきて「仕事」にしたとたんに、 おたがい、何をきいてもいいというのが スゴイですよね。 そういう機会をたくさん持てて、しあわせです。 会ったことのない人たちから、 あたらしい情報をまとめていただけるし、 こちらも、なにかをプレゼントできるし、 そういう関係をくりかえしていることが すばらしいなと思っているんです。 放っておくと家から出ないし、 あたらしい人に会おうともしないし…… でも、なにか話すテーマがあったら 本来、しゃべるのが苦手なぼくでも、 よろこんで、しゃべりだすわけでして。 しゃべるということが 自分を作ってきたんだなぁと思うんです。 だって、本を読んでも、基本的には、 「わかんない人用」 の言葉は、ないじゃないですか。 テレビを見ても、素通りしたらそのまま。 だけど、対話は、もうすこしききたい部分を すぐに、きけるでしょう? 対話の構造が、人を進化させたのかもしれない。 そんなことを、痛切に感じるようになりました。 |