ほぼ日刊イトイ新聞 フィンランドのおじさんになる方法。

第39回 二つのたましいの、寄り添う場所。 武井義明

ハッリさんがサマーハウスを建てた土地は、
川と湖がすぐそばであるという好条件ながら、
手入れをしていない鬱蒼と茂る森にかこまれ、
岩と石がごろごろしていた荒れ地で、
誰もそこに家を建てようなど考えもしない場所でした。
しかしハッリさんは、1994年にここを入手してから、
ほとんど毎週末、ヘルシンキから車で通い、
岩をどかし土地をならし土をかぶせ
木を植え替え芝生を育てたあと、
およそ10年をかけ、ほとんどひとりで、
「フィンランドのおじさんの理想」とも言える
このサマーハウスを完成させました。

テラスのある母屋は、
1階が大きなリビングダイニングキッチンと寝室。
そこにはソーラーパネルでつくった電気が引かれていて、
キッチンにはボンベのガスが、
蛇口からは水が出るようになっています。
電気もガスも水道もないのが「あたりまえ」の
フィンランドのサマーハウスにおいて、
ここは、別格のつくりです。
吹き抜けの2階部分には大きな明かりとりの窓があり、
大きなベッドが2つ並ぶゲストルームになっています。

母屋の裏手に、工具や薪を収納するための大きな倉庫。
その屋根裏も、不要な家具の置き場として
使われていますが、
宿泊しようと思えば出来るくらい快適です。

母屋のまわりには、ちいさないくつかの建物。
くみとり式ですが清潔なトイレ小屋、
堆肥をつくるコンポスト、
薪で調理ができるとんがり屋根のキッチン小屋、
そしてもうひとつ、
薪ストーブの天板で調理ができるオープンキッチン。
ここはダイニングテーブルもあって、
まるでカフェのようなつくりになっています。

そして川に面したところには、
ふだんはボートをしまっておき、
そこから船出することができる船小屋が。

さらに、湖のすぐそばには「スモークサウナ」。
ここで汗を流して、はだかで湖にドボン!
ということが、自宅の庭でできます。
その湖には、ウッドデッキと、
湖面におりるための木のはしごがかけられています。

ここにあるすべて、
ハッリさんが自力で建てたものです。
「日曜大工が趣味」というには、
あまりにもプロフェッショナル!
と思っていたら、じつはハッリさん、
以前は、腕のいい大工さんだったのだそうです。

その、大工さんが、テレサさんと出会い、
レストランをはじめるまでのお話、
お聞きしてきました。

ハッリさんが生まれたのは、このサマーハウスから
川をさかのぼって12キロほどのところです。
いわば、このあたりは、地元。
いまもお母さんが健在で、
ピエクサマキの駅ちかくの住宅地に暮らしています。
この土地で、友達と一緒に、わんぱくに、
やんちゃに育ったハッリさんは、
大工の仕事に就き、10代で結婚をします。
19歳のときに生まれた長女をはじめ、
3人の子どもをもうけたハッリさん。
ずっと、一所懸命に働いてきました。
腕がいい、どころか、よすぎるくらいだったので、
あらゆるところからあらゆる大工仕事を頼まれ続け、
「もう、このまちには、
 ぼくが建てる建物がなくなってしまったんだ」
というくらいになります。
そこでハッリさんは首都ヘルシンキに
出稼ぎに行くことを考えました。
ヘルシンキでは、仕事がいくらでもあったからです。
平日をヘルシンキで働いて、週末は妻子のもとへ帰る。
家を守る妻。すくすく育つ子供たち。
そんな暮らしがつづきました。

そんななか、ある事件が起こります。
それは、ハッリさんにとって
あまりに悲しい出来事でした。
いまとなっては「すべて、終わった」ことなので、
ここには書きませんが、
とても単純に言えばハッリさん夫妻は
その出来事の結果、「離婚」をすることになります。
ハッリさんは、ひとりで家を出ました。
37歳のときのことでした。

ハッリさんは故郷を離れ、
ヘルシンキに出る道を選びました。
いままで通りに、大工として働きました。
無一文からの再スタートでしたが、
大工としての腕が助けてくれました。
子どもたちの養育費を払いながら、
ぜいたくをしなければ
じゅうぶんに暮らしていけるくらいの仕事は、
きちんとあったのでした。

いま、ハッリさんと暮らしているテレサさんは、
ポーランドからの移民です。
職業は、料理人。
以前は、エジプト大使公邸の料理長をつとめ、
在フィンランド大使公邸の料理コンテストで
何度も優勝したことがあるほどの腕前です。
「いつかレストランを持ちたい」という夢をもちながら、
幸せな結婚をし、仕事を続けてきたテレサさんを、
突然の不幸が襲います。
最愛の夫が、癌で亡くなってしまったのでした。
ひとり娘が、まだ、2歳のときのことでした。

それでも、働きつづけなければなりません。
テレサさんは、娘のために、自分の夢のために、
一所懸命、働きました。
そうして、ようやく、すこし傷が癒えたころに、
同郷の友人が、わけあって独り身でいる
大工のハッリさんを、紹介してくれたのでした。

やがて、独りで生きていたふたつの魂が、
いっしょに人生を歩んでゆく決意をします。
「いつか、レストランを持ちたい」という
テレサさんの夢にむかって、
いっしょにがんばろうと。

じつはテレサさんには、手を付けずにいた、
夫の遺産がありました。
それを元手にレストランを始めようという提案は、
ハッリさんが却下しました。
そのお金で、事業を興すなんて、
ハッリさんは考えられないことだったのです。
そのお金は、きみの娘にすべてあげて、
ぼくたちは、ゼロから出発しようと。

ハッリさんは、
陽気な人の多いサボ地方の出身ですが、
そのなかでは、愛想のいいタイプではありません。
むやみやたらと笑いませんし、
しょっちゅう冗談を言うタイプでもありません。
けれども、心の奥に、
とても強い光を持っているタイプです。
その光が、彼と、彼のまわりを照らすので、
ハッリさんのまわりにいると、
とても気分が明るくなります。
そしてなにより、一所懸命に仕事をします。
ふたりのレストランは、
テレサさんが厨房に入り、すべての料理をつくって、
ハッリさんがサービス係をする、という
ふたりだけのチームで始まりました。
人を雇う余裕はありません。
でも、オーダーを受けて調理をし、
配膳をするとなると、
サービス係はひとりでは足りません。
そこで考えたのが、バッフェスタイル。
食べ放題でいくらですよ、というスタイルです。
これなら、サービス係がハッリさんひとりでも、
なんとか、まわすことができます。
ちいさな店からスタートしたふたりのレストランは、
だんだん規模をひろげ、
現在の店は、4回目の移転で手に入れたものです。

店のインテリアは、前のオーナーのつくったものを生かし
ハッリさんが手を加えました。
フィンランド北西部からロシアにまたがる土地で、
フィンランド人がとても大切にしている叙事詩
「カレワラ」が生まれた
「カレリア地方」のデザインです。
カレリア地方は、
そのほとんどがロシアに割譲されたため、
フィンランド人にとっては
「うしなわれた故郷」でもあります。
その伝統的な装飾をほどこした店内で、
だれもが懐かしいと感じるフィンランドの家庭料理を、
最高の腕で提供するレストラン。
それが、ふたりのレストランです。
(くわしい場所などは、
 あらためて、きちんと紹介しますね。)

ヘルシンキでのふたりは、
働いて働いて働きつづけ、
休みの日は疲れ果てているような暮らし。
それは夏をすごす
このサマーハウスがあり、
支えあうパートナーがいるから、
できることなのでしょう。

「定年になったら、仕事をやめて、
 春の終りから、秋の終りまで
 ずっとこのサマーハウスで過ごしたいよ。
 ここには、すべてがある。
 釣りをすれば魚がとれるし
 ベリーもきのこもたっぷりだ。
 調味料とコーヒー豆さえ買ってくれば
 あとはすべて自給自足できるからね。
 なにより、ここにはスモークサウナがある。
 どんなにいやなことがあっても、
 すべてを忘れられるのはサウナだからね」

ところで。
ハッリさんとテレサさんのことを
ぼくはずっと「夫婦」だと思っていました。
けれども、ふたりは籍を入れていません。
「アヴォリーット」と呼ばれる
パートナーシップ制度への登録をしているのみで、
おたがいは「夫」「妻」の関係ではないのです。

なぜですか? と訊きました。
いっしょに仕事をしているし、
夫婦になったほうがなにかと都合はいいでしょうに、と。

すると、ハッリさんは、たんたんと、
こう答えてくれました。

「彼女が、妻になったら、
 『妻としてこうあるべきだ』と
 きっと、考えてしまうだろう?
 考えるだけではなくて、
 なにかにつけて、
 そう、言ってしまうだろう。
 おそらく、以前のぼくは、
 そうだったんだ。
 でもぼくは、そういうことを、
 もう、したくないんだよ」

「そうね、わたしも同じ。
 あなた、夫なんだから、
 このくらい、して頂戴!
 って、怒っちゃったりするでしょう?
 言わないまでも、苛々したりね。
 わたしも、それは、したくないの。
 それだけのことなのよ」

2009-06-11-THU
takei

とじる

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