フィンランド中央部の西側、
ボスニア湾に面するコッコラまでは鉄道で、
そこから車で北上すること1時間。
人口1万人に満たないちいさな町、
カラヨキに到着しました。
林業と農業の町として知られるカラヨキ。
この町は本当に産業のバランスがいいんです。
工場があり、鉄鋼なんかもあり、観光業も盛ん。
まんべんなくいろんな産業が成立している町です。
フィンランドでいちばん長い砂浜があり、
夏にはきらめく太陽があふれるこの町も、
わたしたちが訪れたときは、まだまだ寒い季節。
暦の上では春でしたけれど、
ぴゅうぴゅう吹く風はとても冷たくて、
海岸に出てみても、
ボスニア湾はどこまでも凍っているように見えましたし、
まっすぐ歩き出したら、
対岸のスウェーデンまで行けそうなほどでした。
(もちろん、それは無理ですけれど!)

こんな冬でも、海には、交易のための船が行き交います。
このあたりは、コッコラと、
ラップランド地方のトルニオをむすぶ
重要な航路でもあり、
ちいさな港からは、
ストックホルムやサンクトペテルブルクへの船が
出入りしています。
冬でも船がスムースに入出港できるよう、
砕氷船を使って氷を割り、
航路を確保することが、
ミッコ・ラハヤさんのだいじな仕事です。

まんまるい顔に、おおきな身体。
顔はいつもにこにことやさしくて、
まさしく「気は優しくて力持ち」のミッコさん。
この日、ミッコさんは、ぼくらを、
彼の所有する砕氷船に乗せてくれました。
仕事のようすを見せてくださるというのです。
じつは、いつもの砕氷船の仕事は、
夜中の2時、3時から明け方にかけて。
早朝に入港する船のために、
暗いうちに作業をするのですが、
この日は、あかるいうちに入ってくる船が
あるということで、
とくべつなはからいでした。

いやはや、砕氷船というのはすごいものでした。
大型観光砕氷船の映像は見たことがありますけれど、
こんなに小型なのにパワフルで
(つまりけっこう揺れも激しくて)、
こまかく、けれども力強く、海の氷を割っていく。
ミッコさんはコンパスとGPSを使い、
岩につけて目印の信号ランプや反射板をたよりに、
海上の、道なき道にしるべをつけていきます。
その操縦は、まさしく男の仕事。
ミッコさんの表情は、陸でみたやさしい印象から、
けわしく、真剣なものに変化していきました。

船を降りたあと、お話を聞いてみると、
じつはミッコさんの家は、お父さんもお母さんも、
さらにさかのぼる御先祖さまも、
みんな海に関係する仕事をしてきたのだそうです。
「父は水上バスの運転をしていてね。
ぼくも、1歳から、そのバスに乗っていたんだよ」
ちいさなころから手伝いをしてきた経験をいかし、
お父さんが引退後は、お兄さんとともに
その仕事を引き継ぎました。
自分で砕氷船を買ったのは30歳頃。
それから、夏は水上バス、冬は砕氷船の仕事をしながら、
さらに、農場経営もしています。
というよりも、じつは農業のほうが、経験としては先。
「畑を買ったのは20歳のときだったんだ。
叔父と叔母が農家だったんだけれど、
後継者がいなくてね。
小さい頃から、父とは海へ、
叔父とは畑へ行っていたから、
そうするのが、しぜんな成り行きだったんだよ」
そのために農業技術の職業学校を卒業、
農業にたずさわるかたわら、
海の仕事を勉強すべく、
冬がくるたびに、
船の技術を習得するためのコースに参加、
数年かけて免許を取得したのだそうです。
20ヘクタールの畑は、
最初、麦を作っていたそうなのですが、
途中から、じゃがいもの種芋に転向しました。
そのほうが効率がいいんだよ、と言いますが、
いえいえじゃがいもも、育てるのは簡単ではないはず。
1月から3月は、収穫して貯蔵してある種芋を
仕分ける作業。
4月から5月は、そのじゃがいもを送り出しながら、
オランダから次の種芋を仕入れます。
その後の2か月間、みじかい夏が
じゃがいも種芋栽培の勝負です。

「2か月というみじかいなかで育てるためには、
土にいれずに発芽させたり、
病気にさせない努力をしたり、
いろんな苦労があるよ。
水やりも、夏至祭の時期に
ほどよい雨が降るといいんだが、
雨にめぐまれなければ
朝昼晩、それから夜中と水やりも必要だ。
9月になったら5センチくらいの種芋を収穫する。
10月は土をきれいにする。
11、12月は、じゃがいもは休んで、
港のことを中心にしているかな?
休み? そうだな、夏に3日取れれば、
いいほうかもしれないね」
もちろん、タパニさんのときに紹介した
ロミッタヤという制度を使って、
代理の人に任せ、
ミッコさんは休むこともできるのですが、
ミッコさんは、なるべくそうはしたくないと言います。
「それは、ケガをしたときだけ、かな。
ほかの人に任せたくないという気持ちがあるんだ」
いまは、同業の農家20軒と協業で
株式会社を立ち上げて運営にあたっています。
「アグリビジネスのことは、
もっと知りたいと思っているんだ。
だからこれから成人教育の学校に行く予定なんだよ」
つまり、夏はじゃがいもと水上バス、
冬は砕氷船、さらに学校に通っている。
しかも、カラヨキ市の委員会にも
参加しているといいますから、
ミッコさん、そうとう、忙しい!

なにがミッコさんを
そこまでかりたてるのかというと、
それは、家族です。
ミッコさんのいちばんのたのしみは、
こどもたちの成長。
ラハヤ家には女の子4人、男の子(赤ちゃん)1人、
5人のこどもがいます。

教育方針のひとつとして、
「好きなことをやってよし」と考えているミッコさん。
娘たちがやりたいと言ったことは
ぜったいに断りません。
「たとえば、上の子たちは、それぞれ、
バレエ、バイオリン、乗馬を習っている。
どれも、自分からやってみたいと言ったことなんだ。
バレエ教室は近くにないから
コッコラまで通っているんだけれど、
もちろんその送り迎えもしているよ」
のびのび育っているこどもたちは、
しっかり自立心をもち、物怖じせず、
ほんとうにたのしそうにしています。

こどもたちも、お父さん、お母さんに似て
とても働き者のようです。
ミッコさんのお宅におじゃまして、
いっしょにゴハンをごちそうになったのですけれど、
それが、ぼくらにはとても新鮮な体験でした。
まず、大人とこどもの垣根がありません。
お皿を並べたり、オーブンから料理を運んだり、
お水を注いだり、ナイフやフォークを出したり、
そんな準備を、誰に言われるともなく、はじめる。

ミッコさんやピルッコさんが
「ああして、こうして」なんていう声は、
まず聞こえてきませんし、
こどもたちといっしょにミッコさんもどんどん動く。
もちろんこどもたちも動く。ピルッコさんも動く。
末っ子のラウルくんがグズれば、あやす。
そして、大人もこどもも、お客さんであるぼくらも、
おなじようにテーブルをかこみ、
おなじようにおしゃべりをし、
おなじようにゴハンを食べました。
その感じは、とても自然で、
居心地がよいものでした。
ピルッコさんの手づくりパンも、
カレー風味のパスタも、
とってもおいしかった!

ミッコさんの夢はなんですかと訊ねてみました。
「夢? 健康でありたいということかな。
この年になると、それを強く思う。
そして、こどもたちが巣立ったあとの、
ピルッコと2人の生活が楽しみだ。
旅行をしたり、夏はコテージで過ごしたり。
そうだ、船がほしいな。
ふふふ、そんなこと、言い出したらキリがないよね」


18歳と21歳のとき、
教会の集まりで出会ったふたりは、
5年つきあったのち、結婚。
知り合って20年以上、そのあいだには、
「もちろんうまくいかないこともあった」そうです。
「けれど、そんなものは乗り越えてきている。
悔やんでも仕方がない。
雨が足りなければ水をやればいい。
そう考えているんだ。
ぼくらは自然の中で生きているから、
そういうものなんだ。
世の中は、ずいぶん細かいことで
ぐちゃぐちゃしているよね。
フィンランドは、
素敵な暮らしをしているという誇りがある。
その誇りが国を変えてゆく。
そういうものだと思うんだよ」 |