タモリ先生の午後2006。
去年と今年と、昭和と平成。
第8回 明るい「大地の子」なんです
江戸時代は、
表の通りに、大小便の
くみとり口が開いているんですね。

旅人はみんな、
そこで用を足したんですよ。

だから、昭和のはじめのころは、
江戸から変わってなかったんですよね。
知らないうちに、
「バイキンひとつない」
みたいな世の中になっていますもんね。

バイキンだらけの
町に生きていた自分たちが、
「バイキンのことなんて知らないよ」
みたいな顔で生きているわけだけど。

でも、
バイキンだらけの場所も
バイキンがぜんぜんいない場所も、
どちらも持っているのはすごい経験ですよね。
それが自分たちだもんなぁ。
そもそも、親が
戦争から帰ってきたわけですもんね。

ふだんは語られないことだけど、
夜に、ひさしぶりに会った
戦友どうしが酒を飲んだときには、
親の世代の人たちの会話に、たまに
「人を殺した話」が
出たりしたとも考えられるわけで……

聞いたことはないんだけど、
ぼくの5歳の頃に、その話をしていたなら、
親の世代の人たちは
「8年前の殺人」を語っていたことになる。

たとえば
今から8年前って、1998年でしょう?
つい最近。

戦争の記憶は、親たちには、
ものすごくナマナマしかったはずですよね。
そんな経験をしたやつが、
いくらでも、いたんですからね。
毎日、鉄砲の手入れしては、
殴られたり、鉄砲撃ったり、
病気になったり、人を殺したりしてたやつらが、
日本に帰ってきたんですからね。
そりゃ、とんでもないですよ。
うちの場合は、戦前は、
ひいじいさんの代から、
全員、満州にいましたからね。

ただ、これが、
想像つかない世界なんですよ。

家に正月に親戚が集まったら、
満州のことしかしゃべらないんですから。

日本がいかにつまらないか、ばかりを、
えんえん、みんなが話しているんです。

そもそも、話に出てくる地名が、
とにかくぜんぜんわからない。

「熊岳城(ゆうかくじょう)」とか。
あとで高校時代に
中国の地図を見たらわかるんですけど。
うちのじいさんは、
熊岳城の駅長をやっていました。

果物と温泉の町で、
グラジオラスか何かの球根を
ロシアから買ってきて植えたら、
それが咲く駅として
有名になったらしいんです。

おふくろも、
「熊岳城はよかったよねぇ、フルーツの町で!
 いちばんおいしかったのはラ・フランスね?」
って言うんです。

ラ・フランス?
今でこそ流通しているけど、
当時は、「なんだよ、それは」と。

うちのばあさんは、しきりに
「あたし、
 シャリアピンが大好きで、
 あそこからの帰りに
 シャリアピンステーキを
 食べるのがうれしかった」
とか言うんだけど、
そもそも「シャリアピン」ってなんだ?と……。
(笑)わからない!
地名も、食べ物も、
ぜんぜんわからない会話で。
親戚中の会話が、
まるで、わからないんですよ。
外国なんだ……。
タモリさんの
四か国語マージャンのもとは、
そこにあったんだなぁ。
うちのおふくろは、
「自分のふるさとは中国だ」
と思っていて、
2年にいっぺんとか、
かならず帰って
むこうの友達に会ってますよ。
「大地の子」ですねぇ……。
うちは、
明るい「大地の子」です。
物語にならない。エピソードがない。
(笑)
明日に、続きます

2006-01-24-TUE