糸井 |
自分にとって「これが先生かな」と
思ったものって、
他にどんなものがありますか。
「これはすごいな」と、
岡本太郎以外で思ったものは? |
大西 |
「以外」で? |
糸井 |
うん。
たとえばピカソですよね? |
大西 |
ピカソは、そうですね。
あ、ほんで、
アントニオ・ガウディに出会ったときも
そう思いました。 |
糸井 |
僕は実際にみたことはないけど、
現場に行くと圧倒されるだろうなあ。 |
大西 |
ピカソを追いかけるために、
ピカソの生地スペインに
行こうと決めたんですよ。
ガウディなんて最初は
ぜんぜん意識してなかった。 |
糸井 |
はい。 |
大西 |
たまたまそのスペインで
ガウディに出会ったんです。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、
オルガンをモデルにしてるみたい
っていう話を聞いてて、
外観をパッと遠くから見たら、
「あー、なるほど、
そういやオルガンにも見えるかな」
と思った。
次に、サグラダ・ファミリアの近くへ寄って
ジーッとみたら
「こんな細かく彫刻がされているんだなあ」
って気づく。
遠くからはそれなりにみえて、
近づくと、サグラダ・ファミリアの奥の深さが
すごい勢いで展開されている。
そのすごさがね‥‥。 |
糸井 |
それでまた、ガウディっていう人は、
自分の手を動かして
ぜんぶつくってるわけではない。
「イメージ」をつくってる。 |
大西 |
そうなんですよね。 |
糸井 |
そう考えると、
なんていうのかな、
「イメージをつくる大きさ」、
そういう力がすごいよね。 |
大西 |
はい。
|
糸井 |
ガウディも、ぜんぶ、
「はみ出して」ますよね。
大西さんは、そういうものに惹かれるんだね。 |
大西 |
やっぱりそうなんですよ。 |
糸井 |
スペインって、闘牛もあるし、
「はみ出して」いる国だよね。
また行きたいですか? |
大西 |
スペインは、おもしろい国やなぁと思います。
何にも考えないでおるんやったら
世界でいちばんスペインがいいかなぁ、
なんて思たりもします。
でも、いろんなこと
勉強したり習ったりするんやったら、
ニューヨークに行きたいな。 |
糸井 |
日本はどうですか? |
大西 |
日本はやっぱり、ずーっと住んどきたい国です。
絶対に離れたくない国。 |
糸井 |
日本のこと、つまんなく感じない?
|
大西 |
海外行くと、よけい日本が、
つまんなく「なくなって」しまうんですよ。 |
糸井 |
海外から帰ってくると
スペインにあるエネルギーがないとか、
ニューヨークみたいな最先端がないとか、
日本の悪口を言う人が多いでしょう。
でも、逆ですか。 |
大西 |
はい。僕はもう、
それは、反対しますね。
日本のええとこもあるし、悪いとこもある。
日本にないところが
世界にあったりするんですけど、
日本が悪いなんて、
僕は絶対に思わないですね。
たとえば、絵を描く「紙」は、
日本がいっちばんすばらしいと思う。
和紙ひとつとっても、
日本って、ものすごい。
装飾のこまかい技術や工夫なんか、
日本より優れてるものはないなと思いますもん。 |
糸井 |
好きなんだね、日本。 |
大西 |
好きですね。
海外の人のつくったものは、
大ざっぱさがデザインになってたり、
偶然がデザインになってたりするんです。
それが海外の「味」であるんやけども、
でも、自然にできたもんは、
自然になくなっていくと思うんですよ。 |
糸井 |
日本のほうに人工的なものを感じるんだ。
|
大西 |
自然にできてないものやから、
みんなに受け継いでいけるんじゃないかなと。 |
糸井 |
職人の世界みたいなもんだね。 |
大西 |
額ひとつでも、海外のは、
自然に色を塗るから、
そういう「味」があるんです。
日本でこの額ができますか?言うたら、
「いや、これは海外やないとできない」
と言われる。
自然に塗ったんが「味」になってもおてるから。
日本は、やっぱりキチッとやってしまう。
でもそれが、日本のよさなんです。 |
糸井 |
それ、おんなじことを、
養老孟司先生がいってるんですよ。 |
大西 |
え、そうなんですか。 |
糸井 |
アメリカの自然公園のつくり方って、たとえば
「弁当のカスを捨てるな」「自然を触るな」だけ。
つまり、自分がその自然に影響を与えないように、
というようにできてる。
ところが、日本の自然の味わい方というのは、
「人間が手を入れて」よくするんだって。 |
大西 |
へえ! |
糸井 |
アメリカの自然のとらえ方って
「触るな」なんだけど、
ところが「触るな」でやったものって、
必ず滅んでるんだよ。
衰退してボロボロになるだけ。
でも、手を入れたものって、
手を入れ続けていくから、滅びないんですよね。 |
大西 |
なるほど! |
糸井 |
日本の自然は、
みるだけの自然じゃなくて、
環境に溶け込む自然なの。
いちばん感心するのは
奈良の春日山が、あんだけ街の中にあって、
自然が守られてることなんだって。 |
大西 |
手、加えてますもんね。 |
糸井 |
それは、世界的にも、
めずらしいらしい。
春日山の中にいる昆虫とかなんかって、
ものすごくめずらしいやつが
いっぱい棲んでるらしい。 |
大西 |
へぇー! |
糸井 |
養老先生は、
日本の自然観のほうが、おもしろいんじゃないか、
それが日本の文化だっていう言い方を
してるんだけど、
いまの話、ふたりはすごい違う人だけど、
そっくりだなと思ったんです。 |
大西 |
考えてみれば、日本のものって、
手入れがいることばかりですもんね。 |
糸井 |
そういう意味じゃ、
岡本太郎って人も、
自分をすごく「手入れ」してきた人だね。 |
大西 |
ああ! そうですね。 |
糸井 |
生まれは、岡本一平とかの子の息子でさ、
とんでもない天才教育みたいなとこにいて、
パリに留学して帰ってきてから、
縄文だなんだって言い出して。
ぜんぶそのつど、自分に手を入れて
変えていってる。
自然そのものじゃなくて、
つくってった人物ですよ。
だから、残る。 |
大西 |
ああ。ほんなら、
岡本太郎先生は、
日本ですね。
自然そのものにみえているものでも、
懸命に手入れしたものなんですね。
春日山に近いですね。 |
糸井 |
もしかしてジミー大西だって、
そうじゃないかな。 |
大西 |
僕‥‥。 |
糸井 |
天然っていう言われ方してるけど、
「天然」でもつ時間って、
限られてるんですよね。 |
大西 |
腐りやすいって、
みんな言いますからね(笑)。 |
糸井 |
そうそう。
天然のままでいたら、
絵は描いてないですよ、いま。
(つづきます!)
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