「ひと目みて心を奪われる」といわれる、
色彩あふれる絵を描くジミー大西さんは、
数年前までは「お笑い」のタレントさんでした。
2002年12月より日本全国を巡回している展覧会に
足を運んだ人の数は
いまや、ゆうに30万人を超えるといいます。
ジミー大西さんが
タレントから画家に転向したきっかけには、
晩年のTAROがかかわっていたとか。
darlingがお話をうかがいましたよ。


第8回
自分自身に手入れをする人。


糸井 自分にとって「これが先生かな」と
思ったものって、
他にどんなものがありますか。
「これはすごいな」と、
岡本太郎以外で思ったものは?
大西 「以外」で?
糸井 うん。
たとえばピカソですよね?
大西 ピカソは、そうですね。
あ、ほんで、
アントニオ・ガウディに出会ったときも
そう思いました。
糸井 僕は実際にみたことはないけど、
現場に行くと圧倒されるだろうなあ。
大西 ピカソを追いかけるために、
ピカソの生地スペインに
行こうと決めたんですよ。
ガウディなんて最初は
ぜんぜん意識してなかった。
糸井 はい。
大西 たまたまそのスペインで
ガウディに出会ったんです。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、
オルガンをモデルにしてるみたい
っていう話を聞いてて、
外観をパッと遠くから見たら、
「あー、なるほど、
 そういやオルガンにも見えるかな」
と思った。
次に、サグラダ・ファミリアの近くへ寄って
ジーッとみたら
「こんな細かく彫刻がされているんだなあ」
って気づく。
遠くからはそれなりにみえて、
近づくと、サグラダ・ファミリアの奥の深さが
すごい勢いで展開されている。
そのすごさがね‥‥。
糸井 それでまた、ガウディっていう人は、
自分の手を動かして
ぜんぶつくってるわけではない。
「イメージ」をつくってる。
大西 そうなんですよね。
糸井 そう考えると、
なんていうのかな、
「イメージをつくる大きさ」、
そういう力がすごいよね。
大西 はい。

糸井 ガウディも、ぜんぶ、
「はみ出して」ますよね。
大西さんは、そういうものに惹かれるんだね。
大西 やっぱりそうなんですよ。
糸井 スペインって、闘牛もあるし、
「はみ出して」いる国だよね。
また行きたいですか?
大西 スペインは、おもしろい国やなぁと思います。
何にも考えないでおるんやったら
世界でいちばんスペインがいいかなぁ、
なんて思たりもします。
でも、いろんなこと
勉強したり習ったりするんやったら、
ニューヨークに行きたいな。
糸井 日本はどうですか?
大西 日本はやっぱり、ずーっと住んどきたい国です。
絶対に離れたくない国。
糸井 日本のこと、つまんなく感じない?
大西 海外行くと、よけい日本が、
つまんなく「なくなって」しまうんですよ。
糸井 海外から帰ってくると
スペインにあるエネルギーがないとか、
ニューヨークみたいな最先端がないとか、
日本の悪口を言う人が多いでしょう。
でも、逆ですか。
大西 はい。僕はもう、
それは、反対しますね。
日本のええとこもあるし、悪いとこもある。
日本にないところが
世界にあったりするんですけど、
日本が悪いなんて、
僕は絶対に思わないですね。
たとえば、絵を描く「紙」は、
日本がいっちばんすばらしいと思う。
和紙ひとつとっても、
日本って、ものすごい。
装飾のこまかい技術や工夫なんか、
日本より優れてるものはないなと思いますもん。
糸井 好きなんだね、日本。
大西 好きですね。
海外の人のつくったものは、
大ざっぱさがデザインになってたり、
偶然がデザインになってたりするんです。
それが海外の「味」であるんやけども、
でも、自然にできたもんは、
自然になくなっていく
と思うんですよ。
糸井 日本のほうに人工的なものを感じるんだ。
大西 自然にできてないものやから、
みんなに受け継いでいけるんじゃないかなと。
糸井 職人の世界みたいなもんだね。
大西 額ひとつでも、海外のは、
自然に色を塗るから、
そういう「味」があるんです。
日本でこの額ができますか?言うたら、
「いや、これは海外やないとできない」
と言われる。
自然に塗ったんが「味」になってもおてるから。
日本は、やっぱりキチッとやってしまう。
でもそれが、日本のよさなんです。
糸井 それ、おんなじことを、
養老孟司先生がいってるんですよ。
大西 え、そうなんですか。
糸井 アメリカの自然公園のつくり方って、たとえば
「弁当のカスを捨てるな」「自然を触るな」だけ。
つまり、自分がその自然に影響を与えないように、
というようにできてる。
ところが、日本の自然の味わい方というのは、
「人間が手を入れて」よくするんだって。
大西 へえ!
糸井 アメリカの自然のとらえ方って
「触るな」なんだけど、
ところが「触るな」でやったものって、
必ず滅んでるんだよ。
衰退してボロボロになるだけ。
でも、手を入れたものって、
手を入れ続けていくから、滅びないんですよね。
大西 なるほど!
糸井 日本の自然は、
みるだけの自然じゃなくて、
環境に溶け込む自然なの。
いちばん感心するのは
奈良の春日山が、あんだけ街の中にあって、
自然が守られてることなんだって。
大西 手、加えてますもんね。
糸井 それは、世界的にも、
めずらしいらしい。
春日山の中にいる昆虫とかなんかって、
ものすごくめずらしいやつが
いっぱい棲んでるらしい。
大西 へぇー!
糸井 養老先生は、
日本の自然観のほうが、おもしろいんじゃないか、
それが日本の文化だっていう言い方を
してるんだけど、
いまの話、ふたりはすごい違う人だけど、
そっくりだなと思ったんです。
大西 考えてみれば、日本のものって、
手入れがいることばかりですもんね。
糸井 そういう意味じゃ、
岡本太郎って人も、
自分をすごく「手入れ」してきた人だね。
大西 ああ! そうですね。
糸井 生まれは、岡本一平とかの子の息子でさ、
とんでもない天才教育みたいなとこにいて、
パリに留学して帰ってきてから、
縄文だなんだって言い出して。
ぜんぶそのつど、自分に手を入れて
変えていってる。
自然そのものじゃなくて、
つくってった人物ですよ。
だから、残る。
大西 ああ。ほんなら、
岡本太郎先生は、
日本ですね。

自然そのものにみえているものでも、
懸命に手入れしたものなんですね。
春日山に近いですね。
糸井 もしかしてジミー大西だって、
そうじゃないかな。
大西 僕‥‥。
糸井 天然っていう言われ方してるけど、
「天然」でもつ時間って、
限られてるんですよね。
大西 腐りやすいって、
みんな言いますからね(笑)。
糸井 そうそう。
天然のままでいたら、
絵は描いてないですよ、いま。

(つづきます!)

2004-02-27-FRI

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