── | ひとつおうかがいしたかったことがあって、 それは、助手時代の上田さんが 師匠の有田さんと、よく口論されていたと‥‥。 |
上田 | あはははは(笑)‥‥そうですねぇ。 まあ、よくしていたかどうかは ともかくとしても 当時、有田さんの撮っていた写真に対して 不満があったことは、確かです。 |
── | どんなところに、ですか? |
上田 | 写真としては、素晴らしいんだと思います。 でも、僕には 「First Born」の衝撃があったものだから、 当時の有田さんの写真、 たとえそれが どんなに大きな広告写真だったとしても どこか「普通」に感じてしまって。 |
── | どこかで読みましたが、 アーヴィング・ペンか、アヴェドンか、 有田泰而か‥‥というくらいに 憧れてらっしゃったわけですものね。 |
上田 | そう、だから、本当に生意気なんですけど、 「感じないんだ」ということを 有田さんに、言ったりしたことはあります。 はっきりと「僕は、感じません」と。 |
── | それに対して、有田さんは? |
上田 | 「いや、お前はそう言うけど、 いまの俺には、ああいうのがおもしろいんだ」 という言いかたをしてました。 |
── | ちなみに、そのとき 有田さんは何歳くらいだったんですか? |
上田 | ‥‥それがね、ちょっと勘違いをしていて。 |
── | ええ。 |
上田 | 去年、70歳で亡くなられたということは 僕がお世話になっていた当時って、 有田さん‥‥まだ30代だったんですよ。 |
── | 計算してみたら。 |
上田 | 最近、そのことにハタと気づいたんですけど、 もう‥‥「あり得ない!」と思って。 なにしろ「45」くらいだと思っていたから。 僕がついていたころは。 |
── | ‥‥そうだったんですか。 |
上田 | でも、実際は38歳くらいだったとうことを あらためて知って、 本当に、ショックを受けたんです。 |
── | つまり、「若すぎるだろう」と? |
上田 | だって、僕だって20代だったとはいえ、 あれだけ大尊敬していた人が 30代の、まだ「若者」だったんですから。 |
── | ええ。 |
上田 | 失礼ですが、今、おいくつですか? |
── | 36歳です。 |
上田 | こう言ったら悪いですけど、 でも、それくらいの年齢の若者に対して 当時の僕は、 アーヴィング・ペンやアヴェドンに 接するような気持ちで、 師事していたものですから‥‥うん。 |
── | いや、そうですよね。 でも、当時の有田さんは それだけ「大人に見えた」ということですか。 |
上田 | もう、「おじいさん」に見えましたね。 |
── | あの‥‥上田さんが 最後に有田さんにお会いしたのって いつごろなんですか? |
上田 | 1990年、僕の展覧会のときです。 |
── | では、有田さんがアメリカに旅立つ直前。 |
上田 | そのとき僕は、 どうしても有田さんに見てほしくて 案内状を手渡そうと 直接ご事務所へ、うかがったんです。 |
── | ええ。 |
上田 | そこで、久々にお会いして、 「First Born」は本にしないんですかなんて 話した記憶もあるんですが‥‥ 展覧会には、蝶ネクタイで来てくれました。 それが、本当に、うれしかったなあ。 |
── | そのときが、最後。 |
上田 | はい。 仕事では何度もアメリカに渡っているから、 機会があれば 森の中のご自宅を訪ねてみたいなあと 思っていたんです。 |
── | ええ、ええ。 |
上田 | 僕自身、ネイティブ・アメリカンの森を 撮ったりしてますし、 有田さんが暮らしていた場所は 1号線のあたりだと思うから 近くを通ったことも、あるはずなんです。 |
── | そうでしたか。 |
上田 | でも、結局、果たせずじまいでした。 |
── | では、助手をなさっていた「1年間」と 最後、1990年に 展覧会でお会いするまでの間は‥‥。 |
上田 | 会ってないです。 |
── | え、まったく、ですか!? |
上田 | なにしろ「クビ」なものですから(笑)。 |
── | いや、とはいえ‥‥。 |
上田 | まあ、助手を辞めたあとすぐに 偶然レストランで会ったことはあります。 |
── | つまり「会おうとして」ではなく、 「たまたま、出会った」ことは、ある。 |
上田 | それくらいですかね‥‥ああ、違うか。 |
── | 何か、他に? |
上田 | 実は‥‥有田さんにモデルをお願いして 広告写真を撮ったことがあったなあ。 |
── | え、そんなことが。 |
上田 | 奥様の雅子さんがスタイリストで、 某社のお酒の広告で‥‥ 結局、 お蔵入りになっちゃったんですけどね。 |
── | へぇー‥‥。 |
上田 | 残念ながら、世に出ることはなかったから ビールでへべれけになった 有田さんの酔っぱらい損でしたね(笑)。 |
── | 有田さんって、お顔の造形も とっても魅力的だったみたいですものね。 |
上田 | うん、すごく「いい顔」でした。 |
── | でも、お話を総合しますと、 上田さんと有田さんの「接点」というのは 助手時代の1年間と、 その後、数回会っただけ‥‥なんですね。 |
上田 | そうです。 |
── | そのことが、すごいなあと思います。 おふたりの歩まれた道からすれば 時間的には ほとんど「点」みたいな交わりなのに、 今回の「First Born」について 上田さん、 「誰かとけんかになったとしても 僕がやりたい」という、 それだけの強さで思ったわけですから。 |
上田 | ええ。 |
── | 「師匠と弟子」って、 そういうもの‥‥なんでしょうか? |
上田 | いや、そうまでしなければならないほど 奇蹟的な作品だったということでしょう。 有田泰而の「First Born」が。 |
── | プリントし直しただけでなくて 掲載する作品も、 新たに上田さんが選び直したんですよね? |
上田 | 基本的には同じなんですけど ファッション写真のような作品は外しました。 |
── | ‥‥ファッションというのは 時代性に限界がある‥‥というような? |
上田 | そうですね。 より「普遍的なもの」が写っているなあと 思える作品を、優先させました。 逆に、時間が止まってしまっている感じを 受ける写真は、 有田さんご自身が選んでいたとしても、 「申しわけありません」と。 |
── | なるほど。 |
上田 | これなどは、僕もはじめて見たんですけど 有田さんだけでなく、 たぶん、僕たちにとっても大切な 「世紀の写真」といってもいいと思います。 |
|
── | 窓の外から息子のコーエンくんを見守る、 奥様のジェシカさん。 |
上田 | あるいは、有田さんは選んでないんだけど、 いいなと思った ジェシカさんのポートレイトは、入れたり。 |
── | でも、こうやってお話をうかがっていると やっぱり 有田さんと上田さんの 長い時間を隔てたコラボレーションなんだなあと 感じます。 |
上田 | そうなっていたら、いいですけれど。 |
── | 有田さんは、どう思われるでしょうね? |
上田 | うーん‥‥そうだなあ。 「上田、バカ野郎」って言いながらも 「まあ、お前が真剣に選んだんなら いいんじゃないの?」って 最後には 認めてもらえるように、やったつもりです。 |
── | 有田さんの「First Born」とは あらためて、どういう作品でしょうか。 |
上田 | やはり僕には「奇蹟的」だと思えます。 |
── | 今日、何度か「奇蹟」という言葉が。 |
上田 | ええ、本当に、そう思うんです。 先ほどの一枚みたいに 「世紀の写真」といっていいほどの作品が たった数年の間に撮られたことや、 その後、有田さんご自身が だんだん、写真から離れていったこと‥‥。 |
── | 上田さんがプリントし直すことになったのも 奇蹟的な巡りあわせですよね。 写真集になることを知った清野恵里子さんが たまたま、お知らせしなかったら 上田さんのアプローチも、なかったわけだし。 |
上田 | そうですね。 |
── | 上田さんは、師弟関係だった1年の間に 有田さんから 「何を学んだ」と、思っていますか? |
上田 | ‥‥「写真だけじゃないぞ」ということかな。 |
── | ああ‥‥。 |
上田 | 師匠と弟子という関係じゃなくなったあとも 言われ続けている気がします。 「写真だけじゃ、おもしろくないぞ」って。 |
── | ぜんぜん、会っていなくても? |
上田 | そうですね。 僕は絵も描かないし、彫刻もやりませんから かたちとしては 写真だけになっていますけど、もっと深い部分で。 |
── | ええ。 |
上田 | 「お前、狭っ苦しい写真のなかだけで考えてても おもしろくないんじゃない?」 ということを、 ずっと、言われているような気がしますね。 |
── | それは、今でも? |
上田 | ええ。‥‥師匠、ですから。 |
|
<終わります> |
2012-11-26-MON |