『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>

今回もちょっと趣が異なるかもしれません。
子供たちのお話しです。



エリートの卵たち

彼らにとってそれまでの人生で
最も高揚した瞬間かもしれない。
12歳の春、中学入試の合格発表だ。
それもちょっとやそっとの中学ではない。
超難関と言われている学校だ。

私はこの4年間、合格発表の瞬間を見に行った。
麻布中学、桜蔭中学、
筑波大学付属駒場中学、慶応中等部。
いずれも学力という物差しで測れば
最上級にランクされる学校ばかりだ。

担当者が大きな紙を掲示板に貼る。
待ち受けた大勢の親子連れが息を呑む。
次の瞬間、あちこちで歓声があがる。
自分の番号を見つけた子供が
「やったあ」と拳をあげ駆け回る。
キャーと声をあげて泣き崩れる女子生徒もいる。

一緒に来た親たちもこのときばかりは
思い切り喜びを表現する。
子供と手をとり合って跳ねる母親。
「お父さん、泣いてるよ」と笑う息子を抱きしめる父親。
いたるところで携帯電話で
声を詰まらせて報告する光景が見られる。

「これまでで一番うれしい」
「生きていてよかった」「もう最高」
まだあどけなさの残る小学校6年生たちが
満面の笑みを浮かべて言う。
「なぜこの学校を選んだの?」と私が訊ねる。
答えは様々だ。
「校風が自由だから」(男子・麻布中)
「ちゃんとしつけてくれるから。
 成人式で暴れた人たち居たじゃない。
 あんな大人になりたくないから、
 ここを選んだのよ」(女子・桜蔭中)
「日本で一番難しい学校だから。
 今年の合格者は135人。
 その中に入る才能があると先生に言われたから」
 (男子・筑波大学付属駒場中)
「だって大学までエスカレーターで行けるから。
 将来が約束されたようなもの」
 (男子・慶応中等部)

「尊敬する人は?」古典的な質問をしてみる。
両親、野口英世、徳川家康といった、
これまた古典的な答えから、
イチロー、中田英寿といった今の名前も飛び出す。
しかし圧倒的に多い答えは『塾の先生』。
これが驚くほど多いのだ。

「なぜ塾の先生なの?」
「だって本気で教えてくれるから」
「一生懸命なんだもん」「おもしろいから」
学校の先生ではないのだろうか。
「学校にはいないよ」
「やたら威張ってる先生が多い」
「もちろん学校にもいい先生もいるよ。
 好きな先生もね。でもやっぱり塾の先生。全然違う」
塾の先生の「熱意」と「親しみやすさ」。
大人が本気で自分と接してくれていると
感じる喜びと同時に、
合格というシンプルな目的を
共有する連帯感も一因に違いない。
多種多様な生徒をあずかる学校の先生は
なかなかそうはいかないだろう。

さらに彼らは学校で、
ある種の疎外感を感じているようだった。
自分は学校の先生に嫌われていると、
多くの子供たちが口にした。
よく遊びよく学びという感じの生徒は好かれるが、
中学受験するほど勉強するような子供は好まれないという。 
塾は受験生にとって居心地のいい場所でもあるのだ。

子供は大人たちの鏡でもある。。
「森総理についてどう思う?」
答えは街で大人に聞いた場合と大差ないが、
こんな指摘をする子供もいる。
「あんなに一方的に森さんばかり
 攻撃するのはよくないと思う」
「悪いところばかりじゃない。
 人はいいところも見てあげなくてはダメだと思う」

いまの日本について聞いてみると
大人顔負けの答えが戻ってくる。
「とにかく景気回復が先決」
「ITだ」
「地球を守るため環境にもっと取り組むべき」
「少子高齢化で大変な時代がくる。
 政府はビジョンを示すべきだ」
早くも自分の老後を心配している12歳の男子生徒もいた。
さらに何人もの子供が、
信じるものがない日本人の心の不安定さを説いた。

子供たちの言葉の多くは、
テレビや新聞、そして両親から
いつの間に「刷り込まれた」ものだろう。
今の時代、子供たちにも
日々たくさんの情報が降っているのだ。

「将来の夢は?」4年間きまって聞いた質問だ。
10年前とさほど変わらないかもしれない。
職業で言えば、医者、弁護士、国際的な仕事
というのが私が聞いた答えのベスト3だが、
他にも教師、作家、官僚、政治家、
カウンセラーなどがあった。

しかし最初に返ってきた答えで最も多かったのは
「人のために役に立ちたい」「社会のために生きたい」
というものだった。
4年間変わらず多くの子供たちが
こうした答えを返したことに驚いたほどだ。
「刷り込み」ばかりではないだろう。
彼らは後を絶たない汚職事件や不正を厳しく非難する。
大人たちは自分の欲望ばかり追求しすぎると思っている。
それと少なからぬ関係があるかもしれない。

しかし彼らはこうしたことも口にする。
公立中学について聞いたときだ。
「公立に行こうとは思わなかった?」
答えは私の想像を越えていた。
「絶対行きたくない。危ないから」
「だって公立は怖い。行ったことないけど怖い感じがする」
「公立は治安が悪いから」
さらにこんな声もあった。
「だって麻薬や暴力がすごいんでしょ」
それこそ「刷り込み」があるのだろう。
実際多くの問題を抱えている学校もあるに違いないが、
彼らのほとんどは公立中学に対して
偏った見方をしているようだった。

「でも」と私は訊ねた。
「公立にはいろいろな人がいて、
 勉強になるかもしれないとは思わない?」
利発そうな背の高い女子生徒が答える。
「私立に行く人が公立から抜けて、
 話が合わない人ばかり
 たくさん集まってる感じがする」
同質性を求めるのは、
人間のひとつの習性でもあるかもしれない。
しかし異質な人間たちが
集まって出来ているのが「社会」だ。
「社会のために生きる」ということは、
「自分とは異質な人間たちのために体を張る」
ということでもあるのだ。 
「社会のために生きたい」という思いは本当だろう。
しかし自分の中のかすかな矛盾に気づいてはいない。
将来社会に出たとき、
それこそ様々な人と出会うはずだ。
そのとき彼らは何を思うのだろう。

ドキッとさせることを時に子供たちは言う。
そればかりではない。
懸命に自分の言葉を探して紡ぐ場面もある。
幼児虐待について聞いた。
「ストレスを子供にぶつけるのはよくない」
「許せない」
「虐待するような人は親になっちゃいけない」
みな即座に幼児虐待を否定する。
女子生徒がひとりだけこう言った。
「子供は持ちたくない。
 仕事もすごくやりたいし、
 おそらく中途半端になっていらいらすると思う。
 子供を持ったら、もしかしたら
 自分は幼児虐待してしまうかもしれない」 
自分もしてしまうかも。彼女は淡々と言った。
もちろん幼児虐待はあってはならないことだ。
しかし、子供を育てる大変さと、
時に母親が感じるであろう孤立感にまで
彼女は想像が及んでいるのかもしれなかった。
周りの仲間たちは一瞬しんとなったが、
私は彼女の持つ豊かさの一端を垣間見た気がした。

印象に残った最近のニュースを聞くと、
何人もの子供たちが同じ答えを返した。
韓国人留学生が線路に落ちた人を
救おうとして死亡した事故だ。
「勇気に感激した」
「自分だったらと考えると、できなかったと思う」
「すごい。いまの日本人とは違う」
「自分もあんな風に行動できる人間になりたい」
子供たちは口々に称えた。

ひとりの男の子が言った。
「ぼくは、あまり褒め称えるのもよくないと思う。
 勇気があっても、
 状況判断できなくてはいけないと思う。
 あまり褒め称えすぎると、
 みな飛び降りなければならなくなってしまう」
彼は言葉を選びながらゆっくりと話した。
「もちろん、彼のとった行動は勇気あるものです。
 でもだからといって褒め称えすぎては
 いけないと思うんです」
12歳の少年の言葉だ。
留学生は落ちた人に気づいて
反射的に飛び降りたのだろう。
瞬間的にそうした行動をとれることは、
彼の人間としての質の高さを示しているように思う。
勇気ある行動だということを疑う人はいないだろう。
だが少年の言葉もひとつの大事な見方を示している。
賛美や断罪は往々にして異を受け入れない。
ひとつの方向に流れだすと
一色になっていく危険性を常にはらんでいる。
それは日本のジャーナリズムの
陥りやすいところでもあるのだ。
少年は確かに自分の言葉で話していた。

23年前。
やはり超難関中学を目ざし塾で勉強する
12歳に聞いたVTRがあった。
時はまさに学歴社会と言われていたころだ。
「どうして勉強するの?」インタビュアーが聞く。
「だって東大にいけば、いい人間になれるから」
短髪の少年が真面目な顔で答える。
他の少年はこう言う。
「いい学校に行けば、
 いい会社に入れるし、いい人生が送れるから」
「夢がないねえ」
インタビュアーがあきれた様子で挑発する。
少年は言い放つ。
「夢より・・現実だから」

東大に行きさえすれば。
そんな幻想はすでに崩壊している。
子供たちが主役になる21世紀はどんな時代なのか。
そんなこと誰にもわからない。
時代に無理してあわせる必要もない。
群れず、孤独な時間を恐れず、内なる声に耳を澄ます。
自分の頭で考え「刷り込み」ではない自分の言葉を探す。
12歳の春。
今後の人生を決めるのは誰でもない、彼ら自身なのだ。







『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-04-10-TUE

TANUKI
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