『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>

ほぼにちは。
暑い中お元気ですか。
私はなんとかやってます。

前々回のコラム
『ドリンキング・ライフ』で
最後に私が
「今私はこのコラムを
 どう終えようかと考えている」
というフレーズを書いたために、
ほぼ日の連載をやめると
思われた方もいらっしゃるようです。
「きょうのコラムをどう終えようと」
と書けばよかったですね。
まぎらわしくてごめんなさいです。
続けますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

さてきょうは
宇宙へのはかない夢を抱いたころを
描いてみました。


宇宙飛行士になれなかった日


あれは28歳の春のことだった。
当時私は社会部の記者。厚生省の担当で、
霞ヶ関の合同庁舎にある記者クラブに詰めていた。
たいしたネタもないのんびりした日だった。
電話が鳴った。
その一本の電話で私は飛び上がるほど驚くことになる。

「もしもしTBSですが」
「あ、松原くん」
誰からの電話だったかはっきり覚えていない。
TBSの20歳くらい上の先輩だったと思う。
それはまだ極秘のプロジェクトで、電話をかけてきた人も
通常の仕事をはずれて任務についていた。

「は、はい。何でしょう?」
「松原君さあ、宇宙に行ってみたいと思わない?」
この人何を言い出すのだろうかと思った。
世間話をするほど親しいわけでもない。
それどころかほとんど話したこともない人だった。
「はあ?」と私は言った。「なんですって?」
「宇宙に行きたいと思わない?」
その人は何でもないことのように繰り返した。
「はあ、それは・・行けるなら・・行きたいですけど」
なんのことだ? さっぱりわからなかった。
「そうか、じゃあ受けてみるか」
「はあ?」
まだ極秘だから、誰にも言わないようにと
念をおしてその人は説明を始めた。

こういうことだった。ロシアの宇宙船に
TBSが飛行士を送り込むプロジェクトが進んでいる。
といっても社内に専門の飛行士などいるはずもない。
そこで社員の中から2人選抜して1年間ソ連で訓練し、
にわか宇宙飛行士を作り上げるという計画だった。
最終的に宇宙に行けるのはひとり。2人のうち
どちらが宇宙に行くかは前日に決められる。
行けば日本人最初の宇宙飛行士だ。
ただ1年間の訓練はロシア語の習得から、
宇宙工学などの勉強、
強靭な肉体を作り上げるためのトレーニングまでと
過酷をきわめるため、その覚悟がある者ということだった。
にわかに信じがたい話だったが、
私はふたつ返事で「はい、受けます」と答えていた。
よくわからないが面白そうではないか。
なにより宇宙に行けるかもしれないのだ。

アポロ月面着陸には子供心に感動し、
立花隆の「宇宙からの帰還」や
トム・ウルフの「ザ・ライト・スタッフ」は
わくわくして読んだ。
宇宙から地球を見るチャンスがあるなら
のらない手はなかった。
もちろん私は最終的に選ばれなかったのだが、
私を含め選抜試験を受けた人間たちは
気付いてもいなかった自分の肉体的、
精神的欠陥を突きつけられることになった。

社内で200人ほどが応募していた。
まず10人に絞り込むための作業が行われ、
それから2人を選ぶという手順だった。
検査は2ヶ月ほどかけて行われた。ひとことで言うと、
肉体と心が健康であるか確かめるための検査だった。
通常の身体検査どころではない。言葉は悪いが、
体のあらゆるところをいじくりまわされたという感じだった。

例えばこんな検査もあった。
廊下で順番を待っていると、中でギャーという声がする。
なんだろう。不安がつのる。
じきにドアを開けて出てきた先輩は顔をしかめている。
「何されるんですか?」私は訊ねた。
「入ればわかるさ」その人はにやっと笑った。

入ると看護婦さんが「下を脱いで横になってください」と言う。
私はズボンを脱いで横たわった。
「パンツも脱いでください」
きれいな看護婦さんが強い口調で言う。
え、パンツも? しょうがない。
言われるがままに脱いでベットの上に上がった。
恥ずかしかったので
おそらくひどく不自然な座り方をしていたと思う。

「何をするんでしょうか」私はこわごわ訊ねた。
すると男性の医師がカーテンの向こうから出てきた。
右手には薄いビニールの手袋をしている。
「仰向けになってひざを両手で
 胸に抱え込むようにして開いてください」
ええ? と私は聞き返した。医師は同じ台詞を繰り返した。
仰向けで、ひざを両手で胸に抱えこむ?
そんな、なんて格好を。
きれいな看護婦さんも見ているではないか。

「はやく」医師が事務的な口調で促す。
しょうがない。これも宇宙への道だ。
私は言われるがままの格好をした。
「ちょっと痛いかもしれません」そう言って医師は
右手の人差し指をなんと私の肛門に入れたのだ。
痛い。私はかすかに声を上げた。
医師は指をゆっくりと動かす。
トホホ。これは直腸の検査ということだった。

こんな検査もあった。
やはり「下を脱いでください」と看護婦が言う。
「パンツもですよね」と訊ねると、
「そうです」という答が返ってきた。
まえほど綺麗な看護婦さんではなかったが、やさしそうだ。
今度はなにをされるのだろう。

椅子に座るとやはり男性の医師が出てくる。
「前立腺の検査をしましょう」
はあ、とあいまいな返事をすると、
医師は私を椅子に浅く座らせて
肛門とペニスの間をさかんに指で押す。
何ですかと訊ねると、
前立腺を刺激しているんですと医師は答えた。
そして今度は私のペニスを絞るようにしながら
先をプレパラートにつける。
前立腺液を採取するのだという。
医師が作業を終えると、一部始終を
そばで見ていた看護婦がプレパラートを受け取って
名前を確認して容器のなかに入れた。
恥ずかしさよりもほっとした気持ちが強かった。
反応しなくてよかったと。

検査と呼べるのかわからなかったが、
こんなこともあった。
確か5人ほどソ連の医師が来ていた時だった。
部屋に入ると、その5人が椅子に座っている。
通訳の女性がいて医師の指示を私に伝える。
「脱いでください」
またか。何度脱がせるんだ。しかも5人の前で?
通訳の女性もいるではないか。
「全部、脱いでください」
通訳の女性は確認のためもう一度繰り返した。
これも宇宙への道だと心の中で繰り返しながら
服を一枚づつとっていった。思い切ってパンツもおろした。

「テーブルの上にのぼってください」
え、とつぶやきながら言うとおりにした。
医師たちはこちらをじっと見ている。
「はいこんどは向こうを向いてください」
まるでストリップだ。さんざんあっち向いたり
こっち向いたりさせられたあと、
もう服を着てくださいという指示がでた。
皆さんは何の検査だと思われるだろうか。
なんと骨格をみるためということだった。
やれやれと私は思った。

胃カメラも飲んだ。さらに胃に管を入れて
30分ほど寝転がり胃液を吸い出したりもした。
目や鼻や口や歯もこれまでにないほど細かく検査された。
最悪だったのが、三半規管の機能を調べる検査だ。
専用の椅子に座るとぐるぐるとすごいスピードで回りだす。
2分ほど続くと今度は逆に回りだすのだ。
それを途中で休憩も入れながら何度か繰り返す。
目が回って気持ち悪くなり吐きそうになる。
立ち上がるとまだ回っている。だが、やせ我慢。
ふらふらになっているところを見せるわけにはいかない。
宇宙がかかっているのだ。
終わって立ち上がり大丈夫ですとにっこり笑った途端、
吐いた人も居たそうだ。 

体の次は精神テストだった。
まる一日かけて10種類の検査を受けた。
先日引出しの中を整理していたら、
その時の精神テストの結果が出てきた。
後日望む人には送られてきたのだ。
そこにはひとつひとつの検査結果と
そこから見えてくる性格が記されていた。

たとえば16PF人格検査の結果を見てみると、
私は情緒は安定し物怖じせず革新的だが、
どちらかというと軽率で、責任感はあまり強くなく、
信じ込みやすいとなっている。
おまけに空想的で
すぐ、くつろぎ(緊張感がないということか)
しかし、自分に自信は持っている。
相当に信頼できない奴ではあるまいか。
普段なら余計なお世話だと言いたいところだが、
これはプロの診断だ。

さらに対人関係のつくり方や、感情のコントロール、
困難が発生した時の対処の姿勢、集中力の持続、
仕事をこなす効率、欲求不満度などが、
様々な検査で示されていた。
最も面白かったのが、主題統覚という検査だった。
まず一枚の絵を見る。はっきりとは覚えていないが
風景も人間もいる絵だったように思う。
しばらく眺めてから
自分で物語をつくって話すという作業だ。
何枚もの絵を次々と見せられては物語を語っていく。
宇宙飛行士の検査の中で
私にとってはこれがもっとも楽しい時間だった。

これでもかというくらい体と心をさんざん覗かれ、
結局は落ちた。
その理由は、私の胃液は人より濃いというものだった。
宇宙に行って急激なストレス状態になって
胃液がたくさん分泌された場合、人より濃い分、
急性胃潰瘍になるリスクがあるということだった。
それまで私は自分の胃液が濃くて
胃潰瘍になりやすい体質であるなど知りもしなかった。
(実際3年後に胃潰瘍になった)
私だけでない。
たとえば網膜はく離になりやすい体質だと判明した後輩や、
心臓に問題があるとわかった先輩もいる。
後のために知っておいたほうがいいケースもあれば、
知らないほうがよかったものもあるだろう。
突きつけられてショックを受けた人もいる。

完璧な体をもった人はいない。
宇宙飛行士の試験を受けるとそれがよくわかる。
200人受けて結局ひとりがかろうじて通った。
そのひとりも扁桃腺を切ることなど
条件をつけられての通過だった。
(その後再募集してもうひとりを決めた)
テレビ局に勤める人間の多くは
不規則な生活をしていることを差し引いても、
誰でもどこかに
なんらかの問題を抱えていると言ってもいいだろう。
それは日常の生活にはなんの支障もないが、
潜在的なリスクを持っているということだ。

めったに受けられないほどの
至れり尽せりの人間ドックに入ったようなもの。
そう思うことにしているが、
あれほどしつこい検査はソ連だからなのか、
10年前の宇宙技術だからなのかはっきりしない。
それにしてもだ。テーブルの上で裸になる骨格検査。
あれってほんとうに必要だったのか、
私には未だに謎である。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-08-08-WED

TANUKI
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