<ほぼ日読者の皆様へ>
ほぼにちは。
きょうはひとつお知らせすることがあります。
私ごとなのですが、
『ニュースの森』のキャスターを9月一杯で辞めて
10月からは編集長という仕事をすることになりました。
雑誌の編集長と同じように
ニュースの中味や献立すべてに責任を持ち
取り仕切る仕事です。
突然、役者から演出家になる気分です。
でもずっと記者やディレクターをしてきたので
僕にとってはとても自然なことのように思えます。
キャスターという仕事は4年やりました。
その時間のなかで感じたこともそのうち
この場で書いてみようかと思っています。
夕方のニュースというのは仕事を持ってらっしゃる方は
ほとんど見ることのできない時間帯だろうと思います。
『ニュースの森』を見てくださっていた方は
どうもありがとうございました。
『ほぼ日』で新たに出会えた方は
どうぞこれからもよろしくお願いします。
キャスターであれ編集長であれ
僕は人を描く仕事はずっと続けたいと思っています。
変わらずこのコラムは書いていきますね。
気負わず、肩の力を抜いて。
こうした場を与えてくださっている
糸井さんを始め『ほぼ日』のスタッフの方には
改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
さあ、きょうのコラムを始めましょう。
人生のリセットボタンを押した
ある熟年夫婦の物語です。
キャンピングカー
家ってなんだろう。
一軒家であろうとアパートであろうと
地面があってその上に住まいがある。
ほとんどの人はそう思って生きている。
そして年齢を重ねるにつれて、借家ではなく
自分の住まいが欲しくなるのが普通だろう。
だがきょうの主役の50代の夫婦は、
逆に手放すことで人生をリセットした。
堤純三、富貴代の名刺の裏にはこう書かれている。
『住居 キャンピングカー』
その上には白いキャンピングカーの写真が刷られていた。
「人間がなぜ家に縛られなけれないんだろうと思いましてね。
いやあ、いまはとっても楽ですよ」
純三がくったくのない笑顔で言うと
富貴代も大きく頷いた。
純三は笑福亭笑瓶似の51歳。
話し方は穏やか、笑瓶のように舌は滑らかだ。
富貴代は阿川佐和子似の55歳。
小柄でおおらか、笑顔を絶やさない姉さん女房だ。
純三がキャンピングカーの話を持ち出したのは、
去年の10月の終わりのことだった。
「なあ、キャンピングカー見に行こう」
富貴代にとっては突然だった。
が、純三は密かにたくらみを膨らませていた。
ふたりは学習教材を販売する仕事を通して知り合った。
富貴代は売上げナンバーワン、
だが自分は売れない営業マンだったと純三は頭をかいた。
教育熱に助けられて景気がいい時期もあったが、
少子化などの波には勝てず売上は急速に落ちていった。
そこでふたりが出会ったのが健康食品だった。
車に乗って各地を回り健康食品を紹介する仕事だった。
すると東京・町田にあるマンションに帰るのは
月に10日ほどになった。
9年前に買ったマンションは暴落していた。
資産価値は下がっても
当然ローンは払い続けなければならない。
なんだか虚しかった。
そんな時だった。
仕事で移動の途中に寄った山陽自動車道のサービスエリア。
隣に一台のキャンピングカーが停まった。
家族が降りてきてケンタッキーフライドチキンを買って
車に戻った。快適そうだなあと純三は思った。
それが始まりだった。
純三はこっそりキャンピングカーの資料を集めた。
車が好きな純三は普段から自動車雑誌を読んでいたため、
富貴代は夫のたくらみに気づかなかった。
キャンピングカーを見にいこうと初めて口にした時には、
すでに純三の心は決まっていた。
キャンピングカー生活を
持ちかけられて富貴代はどう思ったのだろうか。
「それもいいかなって感じでした。
私はあまり執着しないほうで、
そのとき自分が食べたいもの飲みたいものがあれば
それでいいタイプなんです」
富貴代はあっさり言った。
「飲みたいときにビールが飲めればな」
純三がちゃちゃを入れる。
「こいつは普通の女性が持っているジェラシーとか
隣の芝生が青く見えるとか、
そういうところはまったくないんです」
マンションは売ることにした。
が、なかなか買い手がつかない。
7720万円で購入したものが結局売値は2980万円。
570万円で特注のキャンピングカーを買い、
ローンの一部を返した。今も借金は残っている。
でもすっきりしたと純三は言う。
「貸すとかじゃなく、
とにかく損しても売ってすっきりしたかった。
性格ですね」
キャンピングカーを見せてもらった。
入り口から一段上がって靴を脱ぐ。
右手には小さな冷蔵庫。
開けるともちろん冷えたビールがあった。
右の奥には1畳に満たない小さなスペースがある。
さしずめリビングルームといったところだろうか。
そして左手には2畳ほどの寝室。
天井が低いため体をかがめて入る。
カプセルホテルといった感じだ。
そこにふたり並んで寝る。
「人間は寝るときは1畳。起きているときは半畳あればいい」
純三はそう言って笑いながら付け加えた。
「ちょっと負け惜しみみたいだけど」
正面には大きな鏡。それが扉になっていて、
開けるとトイレ兼シャワールームだった。
他にも電子レンジやクーラー、
小さな洗面台が機能的に配置されていた。
狭い中、生きていくのに必要なものはほとんど揃っていた。
キャンピング生活はすでに半年。
他の場所で寝たのは3日だけだ。
「通勤時間ゼロ。時間と交通費は節約できますよ。
マンションがあったから
そこに帰ってたんだなあと思います」
富貴代はしみじみと言う。
「いまは家をつれて歩いてるようなもんだ」
純三が付け加えた。
面倒なのは、簡易トイレにたまった排泄物を
定期的にガソリンスタンドで流させてもらうこと、
時々電源をもらって充電しなければならないことくらいだ。
純三の担当は運転と力仕事。富貴代は健康食品の紹介だ。
富貴代が早めに寝て、
純三は目的地に向け夜遅くまで運転しつづけることもある。
「うまい具合に役割分担してるんですよ」
富貴代が明るく笑った。
もちろんいいことばかりでないだろう。
「そうですねえ」純三はしばらく考えて続けた。
「強いてあげるとすると
狭いから充分寝返りをうてないことかな」
「もし、各地を回る仕事じゃなければ?」
と私は訊ねた。
「キャンピングカー生活はしてなかったでしょうね」
純三は答えた。
「もしマンションの値段が下がってなかったら?」
「売ったかどうかわかりませんね」純三は言った。
「もちろんマンション生活がダメだと
言ってるわけではありません。
僕らの生活に合わなかっただけです。
ただ手放してみるといかに縛られていたかがわかるんです。
初めてのパーキングエリアにいけばワクワクするし、
地方、地方のおいしいものを買ってきて車の中で食べる。
安くて美味しいものが食べられるんですよ」
子供がいたら
こうはいかなかったかもしれないとふたりは言う。
富貴代は50歳を過ぎてかえって楽しんでいると微笑む。
サラリーマンを勤めあげて定年を迎える。
すると途端に元気がなくなって
下を向いて歩く人たちを何人も見てきた。
彼らが幸せとはとても思えなかった。
「それに比べて、私たちには自由と夢があるわ」
と彼女は言った。
だがいつまでも元気だとは限らない。
老いたときの不安はないのだろうか。
「不遜な言い方かもしれませんが、
まだ遠い先だと思っています。
仕事のストレスから41歳で吐血しました。
でも仕事を変えてからは健康そのものです。
だから運転できなくなったら
どうしようなんてまだ思いません」
純三はそう言って静かに首を振った。
夢は何なのだろか。
「我慢せずにやりたいことをやって生きることかな。
それといまの仕事で成功することね」富貴代は言った。
同じ質問を純三にしてみた。彼は即座に答えた。
「観光バスを改造してキャンピングカーを作ること。
ワンルームマンションと同じ機能を持たせるんだ。
バスタブも入れるし、1千リッターの水を積めるようにする。
それと、バスを停めて休憩する土地を
各地に何か所も持つことだね」
この話になると純三の声はイチオクターブ高くなった。
富貴代はまた始まったという顔をして小さく両手を広げた。
ふたりの年中車中の生活はまだまだ続く。
『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円
「言い残したことがあるような気がして
口を開こうとした瞬間、
エレベーターがゆっくりと閉まった」
「勝ち続けている時は、自分の隣を
神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」
余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)
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