『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

天才が天才になる日 2

アトランタオリンピックのVTRを丹念に見たことがある。
サッカー日本代表チームの
予選からの戦い振りを見直したのだが、
強く印象に残ったのは中田英寿よりも前園真聖だった。
監督の戦術やチームのバランスなど
様々な要素がからんでいるにしても、
チームの柱として前に突き進み得点を重ねる前園は
間違いなく才能あふれる選手に思えた。
実際、当時は人気、実力とも中田を凌ぐ勢いだった。
ところがアトランタ後の前園は輝きが失せ、
J2の湘南ベルマーレ、J1の東京ヴェルディと移る。
今シーズンは出場できない日々が続いた。

湘南ベルマーレ時代の前園の再起にかける思いを
取材したことがある。
最も知りたかったのは、
彼がなぜ突然輝きを失ってしまったのかということだった。

その日湘南ベルマーレはホームの平塚で
浦和レッズと対戦した。
浦和には当時やはり輝きを失っている小野伸二がいた。
J2に降格、キャプテンとして
チーム建て直しの重圧を担っていたが、
小野自身もケガの後遺症から立ち直れないでいた。
長いブランクのため、天才と呼ばれたかつてのきらめきを
取り戻せないでいたのだ。

真っ赤なユニフォームに身を包んだ
大勢のレッズサポーターが
スタンドの一角を埋め尽くし、
幾つもの巨大な赤い旗をはためかせていた。
まるでそこだけ火の手があがっているようだった。
僕はグランドの傍から試合を、
というよりもふたりを見つづけた。
小野伸二はキャプテンマークを腕に巻き
チームの先頭にたってグランドに向かった。
初めて間近で見る小野は強烈な存在感を放っていた。
おそらく遠くから見てもすぐわかったに違いない。
試合が始まってからも率先して大声を出して動きを指示し
幾つかの鮮やかなスルーパスを決めてみせた。
自らの不調を
強い意志で組み伏せようとしているような動きだった。
(彼はその後復活を遂げ、さらなる輝きを持つことになる)

一方の前園は、小さく見えた。
サッカー選手としては小柄なほうなのだが、
自信を失っている様子が
さらに存在を希薄にしているように思えた。
うつむき加減で入場し、
ひとつひとつのプレーも微妙に遅れがちで
前に前にというかつての前園の勢いは
まるで感じられなかった。
チームの状態が悪いせいもあっただろう。
だが前園の迷いはそれ以上に深いものに見えた。
この日の前園に見るべきところはなかった。
結果は2対1。浦和がアウェー戦で勝利をおさめた。
火が風に煽られて燃えあがるように
浦和レッズのチームカラーの赤が
スタンドで大きく揺れた。

祭りの後のスタジアムは静かだ。
潮が引くように観客が去り、
バスに乗って帰る選手たちを
一目見たいファンだけが残る。
そして記者たちは選手たちから一言もらおうと
グランドの隅で待っている。
シャワーを浴びて着替えた選手たちが
パラパラと顔を見せた。
サングラスをかけた前園もじきに姿を見せた。

試合の敗因を前園に訊ねた。
チームの連携が出来ていないことが
一番の原因だと彼は説明した。
「自分自身のプレーについてはどうですか」
と僕は訊ねた。
「まだまだだね」前園は続けた。
「パスを出してもなかなか合わないし・・」
そう言った後、前園はチームの連携が
一番の問題だと繰り返した。

前園はサングラスをかけたままバスに乗り込み
最後尾の席に座った。
ファンたちから黄色い声が飛ぶ。
前園は相変わらず人気者だった。

関係者によると、
前園は周りの選手に苛立つことがあるという。
無理もない。
J2だ。技術の点では前園はやはり突出しているのだ。
せっかくいいパスを出したのになぜ走り込まないんだ。
例えばそんな思いを持ってしまうのだ。
さらに若い選手たちには
オリンピックで大活躍した前園の記憶が鮮明にある。
「若手には、近づき難い偉大な前園には変わりはない。
 萎縮する選手もいるんですよ」
チーム関係者は言った。
確かに連携はまるで出来ていなかった。
チームはそれからも、ちぐはぐのままだった。

前園の輝きはなぜ突然失われてしまったのか。
番組のインタビューに答えた前園に訊ねた。
彼はしばらく考えて静かに答えた。
「オリンピックに出たことで
 満足したのかもしれない」
前園は表情を変えず呟くように続けた。
「そう、その程度だったのかもしれない」 
むろん前園のサッカー人生はまだ終わったわけではない。
輝きを再び取り戻せる日が来るかもしれない。
そしてたとえ取り戻せなかったとしても、
周りがとやかく言うことではないし、
さらに言えば輝くことだけが
選手としての喜びではないだろう。
だが前園が呟いた言葉には
一線を超えて天才と呼ばれるごく限られた人間と
普通の優秀な選手とを隔てるものが何であるか、
その答のヒントのひとつが横たわっているように思えるのだ。

若き日にいたずらに天才ともてはやされながら
消えていった選手たちは数知れない。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-12-04-TUE

TANUKI
戻る