『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>
こんにちは。
『カッティヴェリアに会いに行く』は
これで完結です。
この人こそ、
『日本のカッティヴェリアだ』という人がいたら
是非教えてくださいね。
日本のカッティヴェリアは誰だ?


カッティベリアに会いに行く(4)

釜本は黒のタートルネックに濃い緑のブレザー、
グレーのスラックスという出で立ちだった。
窓から差し込む明るい光が横顔を照らす。
威圧感のある風貌も、ことサッカーの話題になると
少年のような眼差しを見せた。

約束の1時間はとうに過ぎていた。
釜本は時間を気にする風でもなくしゃべり続けた。
話は釜本の練習方法に移っていた。
その中で釜本は
「じゃあどうすればいいか」という台詞を何度も使った。

「シュートを打つとき、蹴った瞬間より
 膝の位置が高くなればふかしてしまう。
 『じゃあどうすればいいか?』
 体を前にかがめればいい。
 そのためには『どうすればいいか?』強い腹筋が必要だ。
 それから腹筋を集中的に鍛えた」

「胸でトラッピングするとボールがはずんで落ちる。
 国内の試合では体から80センチ以内に落とせば
 敵にボールを取られない。だがヨーロッパは違う。
 50センチ以内でなければ取られてしまう。
 『じゃあどうすればいいか?』
 トラッピングの練習を積んで、国内の試合でも
 常に50センチ以内に落とすように意識し続けた。
 そうすればヨーロッパのチームと対戦したときにも
 同じレベルで戦えた」

「ペナルティーエリア内に走り込んたところに
 ボールが来てシュート。そんな理想的な展開はまれだ。
 とてもシュートを打てないような体勢で
 ボールをもらうことの方が圧倒的に多い。
 『じゃあどうすればいいか?』
 膝から下で得点を取る。つまり助走が全くなくても
 強いシュートが打てるような練習を繰り返した」

「僕は右足が利き足だった。
 でも左でもしっかりとシュートができれば幅が広がる。
 『じゃあどうすればいいか?』
 左利きの人は手も足も左利きだ。左手を使う訓練をすれば、
 左を使う脳が鍛えられるのではないか。
 練習を終えて下宿に帰ってから、左手に箸を持って
 ビー玉をつまんでは移す練習を毎日繰り返した」
左足には余談がある。記念のゴールは
なぜか左足なんだよなあと釜本は首を傾げた。
「日本リーグの200点目が左だし、
 100点も150点も確か左だったんだ。
 メキシコオリンピックで
 銅メダルを決定づけた6点目も左。
 右を警戒されているということもあるけど・・・、
 でも・・不思議なんだよなあ」

『じゃあどうすればいいか』から始まる釜本の練習方法は
ちょっと意外な感じがした。
天賦のゴールの嗅覚を授かった天才肌という
勝手なイメージを僕が抱いていたからだ。

そればかりではない。
この後、釜本が披露したひとつのシュートテクニックの話に
僕はのめり込んだ。カッティヴェリアというテーマで
話を聞きに来たことをすっかり忘れてしまったほどだ。
それは動くボールを蹴るときに
釜本が『意識して』鍛えたやり方だった。

ゴール前に走り込む。
どんな状況でボールがくるか予測は難しい。
しかもボールは真っ直ぐだったり回転がかかっていたり。
きっちりとタイミングを合わせて蹴られる方がまれだ。
たいていはわずかにタイミングが狂う。
するとミスキックとなって
ゴールの枠から外れて飛んでいく。

釜本が意識していたのは、
そのタイミングの『ズレを調整するセンサー』
とも言うべきものだった。
たとえばボールが来る。踏み込んで右足を振りかぶる。
しかしボールはまだ足下ではない。
自分のベストフォームの位置にまだボールはないのだ。

その時。
釜本は瞬間的に軸足である左足の膝をかすかに外側に開く。
ためをつくってボールを待つためだ。
そしてここぞというタイミングを待って
右足を振り切りシュートを撃つ。『左足の使い方』が
『ズレを修正する』センサーの役割を果たしていたのだ。

僕はこの話を聞きながら、
イチローのセンサーを思い出していた。
大リーグに行ったイチローの活躍と残した数字は
言うまでもないが、地元の記者たちが最も驚いたひとつは、
イチローの持つ『センサー』だった。
スイングの体制に入ったところ、
来たのはゆっくりとしたカーブ。
そのままバットを振ると空振りするか
ボテボテのゴロになるのがオチだ。
その瞬間、イチローはわずかに体を開き気味にして
ためをつくる。そしてカーブにタイミングを合わせなおして
右足を踏み込みバットを出したのだ。
結果は見事にヒット。
芸術的な体の反応はアメリカの野球記者たちをうならせた。

ただ、『ズレの修正』が
これほど目に見える形で示されることはほとんどないのだろう。
普段は見ている人も気づかないほど微妙なものなのだろう。
イチローは、個人的な感覚で言葉にするのは
ひどく難しいと話している。ただ、
「ボールを打つ瞬間に生じる狂いを調整する体の使い方。
 特に下半身の動きが重要で、具体的に言えば、
 『右足の使い方』と踏み込んでいく角度」
という表現をしている。ミリ単位の微妙なものだという。

イチローと釜本が意識していたものが
同じかどうかは僕にはわからない。
だがタイミングの『ズレを調整するセンサー』
という意味では共通する。
右足が軸足のイチローは右足が、
左足が軸足の釜本は左足がセンサーとなった。
このセンサーを身につけるには、
おそらく常に『考えながら練習する』だけでなく、
軸足の強い筋力が必要になるだろう。
実際釜本は『ズレを修正する』ため、
具体的には左足を開いても
体がぶれずに支えられるような筋力を
意識して作ってきたと話している。
さらに左足の開きに合わせて、
ボールを蹴る右足の甲の角度も変えて
ボールの方向が狂わないように調整する。
まさに『微妙な』調整で、
何度も繰り返しながら蹴る感覚で覚えていくものだという。

気がつくと2時間以上が過ぎていた。
釜本は4杯目のコーヒーは丁重に断った。
僕はお礼を言って喫茶店を後にした。
ホテルの玄関を出たところで、
歩道と道路との段差を見ながら釜本が言った。
「暗い場所で段差があると怖いんだよね。
 左足がぐっと入ってしまうんだよ」 
釜本は普通の人よりはるかに太い自分の太股を見つめた。
ほんのささいなきっかけで
体がシュートを撃つ体勢に入ってしまうのだろう。

小学校でサッカーを始め39歳で引退するまで、
一貫して釜本はセンターフォワードだった。
ゴールを狙い続けた30年。
57歳になる今も釜本の体は
ストライカーそのものなのかもしれない。
「じゃあ」と手を振り、
カッティヴェリアは一度も振り返ることなく歩いていった。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2002-02-26-TUE

TANUKI
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