『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

いかにして戦争のニュースはつくられるか(2)


「いかにして戦争のニュースはつくられるか」
という文章をおととし10月に書いた。
アメリカによるアフガニスタン攻撃の際、
毎日どのようにしてニュース番組を
つくっているかという話だった。

当時は、次の4つの映像をもとに
ニュースを放送していると書いている。
1)自社の記者が送ってくる映像とリポート
2)ロイターなど国際的な通信社が配信した映像
3)アメリカのネットワークが放送した映像
4)カタールのテレビ局『アルジャジーラ』が放送した映像
それでは今回のイラク戦争ではどうだろう。
その中身と映像の質は大きく変貌した。

アフガン戦争の際と最も異なるのは、
1)米英軍が史上最多の従軍記者を受け入れた

今回の戦争ではおよそ500人の記者が
米英軍とともに生活し記事を送った。
多くはクウェートから北上し
バグダッドを目指す部隊に従軍。
アメリカ軍の映像が連日世界中に流れた。
機材の発達によって、
戦闘の実況生中継という前代未聞の事態も起きた。
当然のことながら、
すべて米英軍側からカメラを向けた映像だ。

2)バグダッドから多くの記者たちが生中継

湾岸戦争の時は規制が厳しくメディアが排除されるなか、
西側のテレビ局ではCNNだけがバグダッドに残り、
ピーター・アーネット記者が空爆の様子を伝え続けた。
CNNの戦争とも言わしめたほどで、
世界中の指導者たちがCNNを見守った。
アフガニスタン攻撃の際は、
首都カブールの映像は陥落まではほとんど入らず、
米軍が入った後に大量の映像が流れた。

今回はどうだろう。我々の用語で
『天カメ』(お天気カメラ)と呼ぶ固定カメラ複数が、
バグダッドの中心部の様子を観測し続けた。
さらに中継の機材が設置されて、多くの記者たちが
目に見える範囲でのバグダッドを伝え続けた。
民放各局はフリーの記者のリポートを放送で使った。
自社の記者は危険な場所に送らずに、
そういう時だけフリーの記者に頼るのは
おかしいという批判を今回も多く受けた。

3)アルジャジーラに加え、
アブダビテレビも米側とは異なる立場の映像を提供


アフガン戦争で一躍注目されたアルジャジーラテレビは、
今回もアメリカとは異なる目線の映像を流し続けた。
アメリカ軍捕虜の映像や、
空爆で犠牲となった市民の姿などを放映した。
それに加えて、アブダビテレビと独占契約を結んだ局は、
その映像を積極的に流した。
米側に偏りがちな情報や映像に対して、
アブダビテレビはイラク市民の表情などを積極的に伝え、
大きな役割を果たした。アメリカ軍が、
アルジャジーラテレビとアブダビテレビの
バグダッド支局を砲撃した(驚くべきことだが)のも、
米側の強いいらだちのあらわれだろう
(アメリカはねらったわけではないと言っている)。

4)米側メディアの主役がCNNからフォックステレビに

アメリカ軍がバグダッド中心部に侵攻し
大統領宮殿に突入する際、
一緒に走りながら実況中継していたのが
フォックステレビだ。
まるでアメリカ軍のスポークスマンが
実況をしているのかと思うほどの勢いだった。
愛国的な報道姿勢が受けたのか、
イラク戦争報道の視聴率でCNNを抜いたという。
9・11同時多発テロ以降のアメリカのメディア、
ひいてはアメリカ人の意識の一端が
そこから透けて見えるかもしれない。

こうした変化の中で、
かつてないほど情報戦が繰り広げられた。
おそらく歴史上、これほど情報操作があからさまに
仕掛けられた戦争はなかったのではないか。

攻撃からしばらくたってフセイン大統領の側近たちが
死亡したという情報が流れ、
さらに大統領本人の死亡説も報じられた。
それらは意図的に流された可能性が強く、
死亡説を流すことで動揺を誘い、
彼らがどこにいるのか逆に探ろうとしたのかもしれない。

あるいはイラク兵が大量に投降したというデマも
伝えられた。情報戦というと聞こえはいいが、
事実をわざと誇張したり、
ウソを流したりするケースもあった。

映像を見ていても、不自然なものに気付く。
たとえばイラク兵が両手を頭の後ろにもっていって、
一列に並んで向かって投降してくる映像。
まるで映画のような構図だ。
等間隔で整然と歩いてくる姿を、
カメラはローアングルで斜め前から捉える。
そばで映画監督が「カット」と叫んでいるのでは、
と詮索したくなるほどだ。こうした映像が
イラク軍の士気の低下につながるという計算が
アメリカ側にあったとしても不思議ではない。

一方のイラク側も、
傷ついたアメリカ兵捕虜や遺体の映像を公開したり、
民間人の被害の映像を積極的に流した。
米国内の厭戦気分を盛り上げる意図や、
国際世論を少しでも味方につけたいという意図が
透けて見える。
フセイン大統領の映像を放送するタイミングや
その中身も計算の意図がみえた。

さらにバグダッド陥落の象徴ともなった、
フセイン像が引き倒される場面。
カメラが寄った映像ではまるでバグダッド中の市民が
集まってきたほど大勢に見えるが、
広い映像ではさほどではないことがわかる。
倒しているのも米軍の車両だが、まるで市民が
惹き倒したかのような印象を与えるものだった。

それに当日の映像は妙なモノだった。
米軍がバグダッドに入ると、
バグダッド市民が星条旗を持って出迎えていたりする。
映像を見ていたディレクターがつぶやく。
「なんだか同じイラク人がいろいろな場所で騒いでます」
さらにイラク北部の別の映像では、
『ロッキー』のシルベスター・スタローンが
刷り込まれた星条旗を、市民が持っていたりする。

こうした不自然な映像に対して、
ニュースを出す側はどう対処するのか。
まず、どのメディアがどこで撮影した映像か、
あるいはアメリカ軍撮影で配られたモノなのかなどを
明示する。さらに映像の不自然な点を指摘したり、
専門家に解説してもらうなどして、
どんな意図で撮影されたものなのか、
あるいは撮影させたものなのかを出来るだけ探る。
またアメリカ側だけでなく、
たとえばアルジャジーラテレビが同じ場面、
状況をどう伝えたかも合わせて放送するなど、
情報源をできるだけ多元化する。
こうした対抗策しかないのが実状だ。
だが特別番組に明け暮れ、
通常番組も放送しなければならない中で、
どこまでそうした吟味ができたかは
あまり胸を張れる状況ではない。

たとえば、ある日バグダッドの大統領宮殿の内部映像が
夕方6時前に入ってくる。
急いで編集して放送に突っ込む。
そこにはフセイン大統領が使っていたとみられる
豪華な調度品などが設えられている。
アメリカ軍が撮影して公開したモノだ。
さらに編集を加え全国ネットニュースの中で、
もう一度その映像を見せた。

新しい映像、しかも刺激的な映像が飛び込んできたら、
各ニュース番組は競争で出す。
もちろんすぐに出してはいけない類の映像はあるだろう。
しかし大統領宮殿の内部の映像などは
迷わず出す種類のものだ。
そこに吟味があるかと言われれば、ない。
アメリカとしては、
フセイン大統領がいかに庶民とかけ離れた豪華な生活を
していたかを積極的に出すことで、
市民を抑圧していた独裁者というイメージを
強めることができる。

思い出すのは、アフガン攻撃の際に
アメリカがメディアに配った映像だ。
特殊部隊がアルカイダの拠点を
襲撃した模様を撮影したものだ。
空からパラシュートで次々と降りてきて、
建物のなかに突入する。中はもぬけのからで、
パソコンなどが散乱し
あわてて逃げたあとのような映像が映し出される。
VTR2分間に編集されていた。

このケースでは、
アメリカ軍の撮影でしかも編集されていると明示し、
専門家の意見も交えて、
映ってない部分があるということ、
意図を持って公表された可能性を示すなどして
バランスをとった。後にこの映像では
映っていないところに意味があったことが判明した。
実は特殊部隊は敵の攻撃にあって銃撃戦となり、
けが人も出ていたのだ。

今回は、捕虜となったアメリカ女性兵士を
アメリカの特殊部隊が救出したことが報じられた。
しばらくしてわかったことだが、
救出と言っても、実は特殊部隊が到着した時には
イラク兵は逃げた後で、
人質のアメリカ兵だけが病院に残されていたという。
救出劇といった代物ではなかったのだ。
当初はもっと劇的な救出劇として伝えられ、
アメリカのメディアはすぐに飛びついた。
女性兵士の物語をテレビドラマや映画にしようという話も
出ているという。

テレビはわかりやすい『物語』が大好きだ。
テレビはいつもお腹をすかせて
そうした物語を待っている。
そして目の前に現れるとパクリと食いつく。
今回の戦争でも、
アメリカ政権内に居る情報操作の専門家が、
メディア戦略を練っていたのだろう。
世論を味方につけるために役立つと
思われる情報と映像を流し、物語をつくりあげる。

湾岸戦争でアメリカ軍が
イラクに占領されていたクウェートに進軍した際、
数百人の市民が星条旗の小旗を振って出迎えた。
後に「あれを仕掛けたのは私だ」と告白した人物がいる。
情報戦略コンサルタント『レンドン・グループ』を
率いるジョン・レンドン氏だ。
彼はカーター元大統領の選挙参謀をしていた人物で、
その後CIAの工作に関わり、
過去十数年に工作を請け負って
およそ120億円を受け取ったとされる。

湾岸戦争で最も人々の記憶に残っている映像のひとつに、
油にまみれた水鳥の姿がある。
イラク軍が油田に放火し油が流出した、と報道された。
後にその映像は
全く別の場所でとられたことがわかったのだが、
これもレンドン・グループが
メディアに流したという。その後メディアは
油まみれの水鳥の映像や写真を流し続けた。
戦争の本質とは別のところで、その映像が持つイメージが
人々の意識に刷り込まれていった。

後にウソだとわかっても、人々はなんだと思う一方で、
イラクならやりかねないよな、
という意識を持つかもしれない。
イラクがやったかやらないかは問題ではなくなり、
イラクの残虐性というものだけが
いつのまにか刷り込まれていくのではないか。
むろんそう思われても仕方のない行動を
とっていたとはいえ、
少なくとも、繰り返し流される映像が荷担したのは
間違いないだろう。

なぜメディアは、その映像を
イラクの仕業と信じて流したのか、
あるいは裏をとらずに流したのか。
アメリカのメディアが
なぜあっさり信じたのかわからないが、
日本で流れた理由は容易に想像がつく。

いかに多様な映像を世界から集めて処理するかが
テレビ局の勝負になっている中で、
海外の信用できる通信社が流した映像は、
キャプション(映像についている説明書き)を元に
そのまま放送するのが常だからだ。
国内では自前で撮るのが原則だが、
海外のニュースに関しては、
たとえばCNNが流せば「CNNによると」と言って
放送することにいまや抵抗はない(ネタにもよるが)。
かくして映像はあっという間に世界をかけめぐる。

つまり情報操作する側からすると、
一度大手メディアの電波に載せてしまえば
世界中にその映像を自動的に配信できることになる。
そこにメディアが好むわかりやすい『物語』が
含まれていさえすれば、
すぐに地球の裏側の人々も観ることになる。

今回の戦争報道を観ていた人々は、
メディアにどんな印象を持っただろうか。
なぜ軍事評論家を連れてきて戦況報道ばかりやるのか、
兵器を詳しく解説したり、
まるで戦争をゲームのようにとらえているのではないか。
戦争の現実をもっと伝えるべきだ、
市民の被害などにもっと時間を割くべきではないか。
戦争の派手な映像ばかり流しても戦争の本質は伝わらない、
この戦争の本質をもっと多面的に
歴史も掘りさげて報道すべきではないか。
こうした意見は当然あるだろうし、
どれも当たっている。

考えてみると、戦争が特別なのではない。
普段からこうした批判に耐えうるだけの報道を
しているかという問いかけに他ならない。
戦争は、極端な形で
メディアの力を試される場であるだけで、
本質的には普段どのようなニュースの作り方を
しているかが問われているのだ。

松原耕二さんへ激励や感想などは、
メールの表題に「松原耕二さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-05-13-TUE

TANUKI
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